2015年9月30日水曜日

高校生の刺殺事件

高校生が同じ高校の生徒を刺し殺すというショッキングな事件があった。
この事件の異常な点は、女子生徒が友人の男子生徒に刃物で刺すことを依頼していることである。
ニュースによると、刺された女生徒は以前より「自殺願望」があったそうだ。
このことから考えると、殺人というよりは女生徒が男子生徒に刺すことを懇願したことが考えられるので、自殺幇助になるのだろうが、それにしても異常である。
頼む方も頼む方だが、それを真剣に実行する方も実行するほうだ。
私には到底理解できない事件であった。


2015年9月29日火曜日

日本では家に入る時、何故靴を脱ぐのか?

本日の放課後講習、「西洋と日本の家屋における習慣の違い」についての文章をテキストにした。
西洋の家屋では、靴を履いたまま部屋に入るが、日本では靴を脱ぐ、この習慣の違いは何故だろう、というのがこの文章の主旨である。

結論はこうだ。
よく、「日本は安全をお金で買わない」と言われているが、それは日本の家屋で代表される「安心のできる居心地」があるからだ、と。
つまり、日本では自分の家にいて、いきなり他の民族から攻撃されるようなことは滅多にない。
だから靴を脱いでいても大丈夫なんだ、と。

それに比べ、西洋ではいつも敵に襲われる不安を抱えていた。
敵の襲撃に備えるために靴を履いて家の中に入るのだ、と。

うーん、言われてみればそうだな。


2015年9月28日月曜日

オオカミは嘘をつく

オオカミは嘘をつくイスラエル映画の「オオカミは嘘をつく」を観た。
観るキッカケとなったのは、「イスラエル映画」ということと、「タランティーノ絶賛」の文句だった。

この映画、一言で言うと「妙ちくりん」な映画である。
何が「妙ちくりん」かというと、ストーリーは拷問場面を中心とした残酷映画なのだが、その残酷さが不思議にからっとしていて、ユーモアさえ感じられ、また残酷映画特有の後味の悪さがほとんどないのである。
この独特な感じは一体どこからくるのか?
それはおそらく「イスラエル」という特殊な環境を持つ国にあるのではなかろうか。

映画の中には馬に乗った変なアラブ人が登場する。
イスラエル人にとっては天敵のアラブ人である。
このアラブ人は、映画の中のイスラエル人と絡むのであるが、ここでのアラブ人の台詞がふるっている。

「アラブ人は全員殺人犯だと思っているのか?」






2015年9月27日日曜日

G南高デー

展覧会も後半を迎えている。

今日はG南高デーであった。
最初に私と同じ苗字を持つK先生、G南の国語科で一緒だった。
同じ学年、同じ教科ということで仲良くしてもらった。
次に現れたのが進路課でお世話になったKさん。
毎年来ていただいているので、感謝、感謝である。
そして、最後に顔を見せたのがSさん、若いのに妙に落ち着いたところのある国語教師である。

N西高関係では、去年まで隣に座っていたH先生。
またジャズライブに行こうぜ。
三月に卒業した写真部のWさん、いつも見にきてくれてありがとう。


2015年9月26日土曜日

奇遇

今日は何だか面白い日であった。

今から41年前(ずいぶん昔の話だ。)、私は現在の沼津城北高校(当時は沼津H部高校と言った。)で1年間講師生活をしていたのです。(あの時は楽しかったなあ。)
その時の同僚であった0先生から連絡があり、展覧会にお出でになると。(沼津朝日という新聞で展覧会を知ったとのこと。おお、懐かしいなあ。)

朝10時にO先生は現れた。
少し話しを始めた時、何と別の同僚であったOT先生が登場したのである。
OT先生とは今でも水曜テニスの付き合いがあるので、登場は不思議ではないのだが、このタイミングで登場するとは。

さて、ここまでの話であれば、まあよくあることかも知れないが、驚いたのは午後になって、さらに当時の同僚である書道のK先生までもが現れたことである。
K先生は「書」の関係で展覧会にいらしたのであるが、41年前の同僚が3人も現れるとは、本当に奇遇である。



2015年9月25日金曜日

「慰藉」

「だから、宗助の淋しみは単なる散歩か観工場縦覧位なところで、次の日曜まではどうかこうか慰藉されるのである。」
(*観工場縦覧 観工場は現在のデパート)

今日も漱石の「門」から引用してみた。
主人公の宗助が自宅から出て、街を散歩する場面である。

「慰藉」とは(「藉」は沈んだ心に元気を与える意)、寂しさで満たされない心や逆境にある人に、安らぎとなるものを与えること。
「慰」だけで何となく意味は類推できるのだが、「藉」にはヤラレテしまう。

漢文好きの漱石はなかなか難しい熟語を当たり前のように使用してくる。
まあ、ここが今の時代にはとてもオシャレに見えるのですがね。

2015年9月24日木曜日

「淋しみ」

シルバーウィークということで休みが続いた。
今日は休み明けで学校に行ったのだが、明日からまた休みである。
こんなに休んでいると、頭がパーになってしまうだろう。

朝の新聞小説で夏目漱石の「門」が始まった。
「三四郎」「それから」「門」と続く前期三部作である。
ところで、漱石の小説の中には所々にハッとさせられる箇所がある。
今日の「ハッ」は、「けれども彼の淋しみは」である。
「淋しみ」ですぜ。

「悲しみ」と同様、形容詞の「淋し」に「み」をつけて名刺化しているのであるが、これには、「おおー、こんな使い方があったのか」と驚かされた。
「悲しさ」「悲しみ」に比べ、現代では「淋しみ」の方は消えてしまい、「淋しさ」だけが残っているのだ。

死語となり、消えてしまった「淋しみ」であるが、漱石の小説でこの言葉を発見すると、これは妙に新鮮である。

2015年9月23日水曜日

「ハーゲンダッツ」のコマーシャル

今日もコマーシャルの話である。

「ハーゲンダッツ」というアイスクリームのコマーシャル。
仮面舞踏会のパーティー会場から、華やかなドレスを着た女性に、同じくきちっとしたスーツを着た男性が連れ出される。
まあ、そこまではまったく問題ないのだが、そのあとがイケナイ。
場面は屋根の上。
パーティー会場から抜け出した二人が、アイスクリームを食べる場面になるのだ。

さて、ここが問題なのである。
一体、どこで手にいれたのか、それぞれの手にはカップに入ったアイスクリーム。
会場を抜け出す時に、カップアイスと金属のスプーンなど、どうみても可笑しいだろう。

うーん、しかし「濃厚な幸せは長く続く」のナレーターはなかなかであるね。

2015年9月22日火曜日

「勝利」の選択

今年もコスモスの季節がやってきた。
写真は、先週撮った裾野の日帰り温泉「ヘルシーパーク」に近いところにあるコスモス畑のコスモス。

いつ撮ってもコスモスはいいなあ。

さて、日本のラグビーチームの大金星、ほんとうにすごいと思う。
どこがスゴイのかというと(勿論南アフリカに勝利したことがスゴイのであるが)、終了寸前の選択である。
確実に同点「引き分け」をする選択をせず、彼らは、あくまで「勝利する」選択を選んだのである。
たとえ「引き分け」であっても、これは世界のラグビー界を十分に驚愕させる出来事なのだ。
それを選択せず、「勝利」をもぎ取りにいった。
なんという勇気、彼らの決断に拍手、拍手ですな。

2015年9月21日月曜日

「チチー、こいこいこい」

私が最近はまっているコマーシャルに、赤城乳業のアイス「旨ミルク」のコマーシャルがある。
「チチー、こいこいこい。チチーこいこいこい」
という男子中学生?の呪文のような掛け声に、可愛い女の子(これも中学生くらい)が「じゃかましい」と、ストップをかける。
「チチ(乳)」という言葉に異常に反応してしまう少年たち。
少年たちは無意味に「チチー、チチー」と連呼する。
それを聞いた少女(この年代の少女は、少年よりもはるかに大人なのです。)が「じゃかましい」と一喝する。
少女のなんと痛快なことか。

少女の名は「鎮西寿々歌」、これからが期待される女優だという。
旨ミルク チョコレート














2015年9月20日日曜日

若返り

展覧会場の生花である。
今日現在(9/20)ほとんどが枯れてしまって、残っているのは、ほんの一部であるが、我々の展覧会の初期を支えてくれた。

さて、「ずんぶり浸る展」も後半に突入である。
去年の「ずんぶり」よりは、はるかに多くの方に来場いただいている。
この調子で最後までいってくれると良いのだが。

私の今日のお客、G南時代の教え子であるT子さん。
二人のかわいらしい娘さんといっしょに来てくれた。
いつものことだが、教え子の顔を見た途端、私の頭はG南時代にタイムスリップする。
懐かしいなあ。
T子さん、私を若返らせてくれてありがとう。



2015年9月19日土曜日

「寿昌」という筆

晴峰三種.jpg「寿昌(じゅしょう)」
最初は何の事かさっぱりわからなかった。
相棒の書道教師Sさんが、他の書道家と話をしていて盛んに出てきた言葉である。
気になったので早速彼に聞いてみた。
すると、「寿昌」とは、超高級筆のことが分かった。
山羊の毛で作る筆である。
安いものでも七万円から八万円、高いものになると、二十万円から三十万円もするという。
値段がすべてではなかろうが、凄い筆だ。
いや、だと思う。

何でも、初めてこの筆を持った人間は、心が震えるのだそうだ。
震えてまともに字が書けなくなるのだと。
そして、この筆を使いこなすようになると、まるで神の啓示があったように勝手に手が動きだすのだと。

妖刀という刀があるが、これは妖筆ですな。

2015年9月18日金曜日

「いそいでもどる かなかなかなかな」

 「いそいでもどる かなかなかなかな」

最初、この句をヨミチガエテ、「いそいでもどる なかなかなかなか」とヨンデしまった。
急いで戻るのだが、目的地にはなかなか到着できない。
こんなふうに解釈してしまった。

実は「なかなか」ではなく、「かなかな」だったのだ。
つまり、「かなかな」蝉の「蜩(ひぐらし)」のことだ。
したがって、なかなか到着できないのではなく、いそいでもどっている時、さらに追い討ちをかけるように、蜩が「かなかなかな」と忙しげに鳴いている。
こんな按配なのだろう。


書のほうは、筆のスピード感において「いそいで」を表現しているような気がする。
一方、写真ではリレーのバトンタッチで、「いそいで」いる感を出してみた。

まあ、見ようによっては「禅問答」のようなところもあるだろう。
作者は二人ともかなり気に入っているのだが。

2015年9月17日木曜日

「私ひとりの音させている」

「私ひとりの音させている」

会場の壁面には展示できず、床に置くハメとなってしまった作品である。
笑ってしまったのは、二人とも一点余分に作ってしまったことである。
壁面の展示許容量を考えてみると、どう考えても、十二点でいっぱいになるのだが、フタを開けてみると、お互いに十三点の作品が用意されていたのだ。
仕方なく、余分の作品は床に置くこととなった次第。

「詰め」が甘すぎたのである。


2015年9月16日水曜日

「南無観世音おん手したたる水のひとすじ」

「南無観世音おん手したたる水のひとすぢ」

書のほうが縦長なので、ややバランスが悪くなってしまっている。
縦長の写真はチョイトできないので、まあバランスが悪いのはしょうがないか。

「観世音」の「おん」と「おん手」の「おん」が続いている大胆な句である。
また、七・七・七と山頭火には珍しく規則性のある句でもある。
山頭火が四国八十八ヵ所巡礼で香園寺というお寺を訪れた際の句だという。

このすぐ後の句に
「秋の夜の護摩のほのほの燃えさかるなり」
があるが、「ほのほの」という擬態語がなんとも言えない。







2015年9月15日火曜日

「枝をさしのべてゐる冬木」

「枝をさしのべてゐる冬木」

昭和五年十一月二十七日、九州においての句である。
以下日記を引用する。

十一月廿七日 晴、読書と散歩と句と酒と、緑平居滞在。 
緑平さんの深切に甘えて滞在することにする、緑平さんは心友だ、私を心から愛してくれる人だ、腹の中を口にすることは下手だが、手に現はして下さる、そこらを歩いて見たり、旅のたよりを書いたりする、奥さんが蓄音機をかけて旅情を慰めて下さる、――ありがたい一日だつた、かういふ一日は一年にも十年にも値する。夜は二人で快い酔にひたりながら笑ひつづけた、話しても話しても話は尽きない、枕を並べて寝ながら話しつづけたことである。 
 
 生えたままの芒としてをく(緑平居) 
 枝をさしのべてゐる冬木( 〃 ) 
 ゆつくり香春も観せていただく( 〃 ) 
 旅の或る日の蓄音機きかせてもらう( 〃 ) 
 風の黄ろい花のいちりん 
 泥炭車(スキツプ)ひとりできてかへる 
 泥炭山(ボタやま)ちかく飛行機のうなり 
 夕日の机で旅のたより書く(緑平居) 
 けふも暮れてゆく音につつまれる 
 あんなにちかいひびきをきいてゐる(苦味生君に) 

糸田風景のよいところが、だんだん解つてきた、今度で緑平居訪問は四回であるが、昨日と今日とで、今まで知らなかつたよいところを見つけた、といふよりも味はつたと思ふ。 

「一昨年――昭和五年の秋もおわりに近い或る日であった。私は当もないそして果てもない旅のつかれを抱いて、緑平居への坂をのぼっていった。そこにはいつものように桜の老樹がしんかんと並び立っていた。 」
 
枝をさしのべてゐる冬木 

2015年9月14日月曜日

「悔いるこころの曼珠沙華燃ゆる」

「悔いるこころの曼珠沙華燃ゆる」

この句に関しては、驚くことあり。
写真と書の一致である。
ふたつの作品は、相談して作製したわけではない。
お互いに写真と書を持ち寄って、開けてみると不思議なくらい似ていたのである。
考えていたことの一致とでもいうのか。

写真は、ベースの写真のバックを黒にして、そこに赤い曼珠沙華の花としてみた。
ややベタな感は否めないが、句から受けるイメージはこんなものであろう。

失敗を重ねて行く山頭火の「悔い」は、相当強いものであったにちがいない。

2015年9月13日日曜日

「春の雪ふる女はまことにうつくしい」

「春の雪ふる女はまことにうつくしい」

山頭火が兵庫県の宝塚に観劇に行ったときに詠んだ句だという。
雪道を歩いていて、ふと顔を上げると美しい女が見えた。
僧形の山頭火であるが、色欲を払拭することができなかったのであろう。
思わずその女の顔をじっと見てしまった。

いかにも山頭火らしい。

写真は昨年の十二月に結婚式を挙げた姪の、ウエディングヴェールである。
「ヴェールにつつまれた」とはよく言ったもので、これを被るだけで、つつまれたものは謎めいてくる。
ほんとうに不思議だ。


2015年9月12日土曜日

「いちめんの煙行手掩へるたそがれの音」

「いちめんの煙行手掩へるたそがれの音」

「いちめんの煙」
何の煙なのだろうか。
山頭火の行手を掩(おお)うように煙っている。

私には夕暮れの農村の風景が浮かぶ。
ミレーの「晩鐘」のイメージだ。
すると「たそがれの音」はお寺の鐘なのだろうか?

何はともあれ、この風景を写真にすることは、なかなか難しい。
写すのが「音」ですぜ。

そこで私は考えた。

音を色で表現してみよう。
「たそがれ」というのは、空の色が変化して行く。
その変化を色で表現してみた。
ベースの写真は、琴を弾く手である。

うん、うん、なかなか良い色になったぞ。








2015年9月11日金曜日

「ふくろうはふくろうでわたしはわたしでねむれない」

「ふくろうはふくろうでわたしはわたしでねむれない」

この句を見た時、すぐに頭に浮かんだのがN東時代に撮った写真であった。
大太鼓に頭をくっつけて、目をつぶっている生徒。
学校祭の最後をかざる後夜祭でのワンショットである。

一体、何を悩んでいるのか。
学習のことか。
人間関係のことか。
それとももっとスケールの大きい何かか。
考えすぎて、恐らく彼は、疲れ切ってしまったのであろう。

おおー、自分にもこんな時代があったような気がする。
青春の1ページですね。




2015年9月10日木曜日

「炎天のレールまっすぐ」


「炎天のレールまっすぐ」

サイズがやや合わないセットとなってしまった。
書と写真の句におけるイメージはぴったりなんですがね。

山頭火の句というのは、雨の中とか、風の中とか、厳しい自然の中を歩いている句が多い。
この句もその例にもれず、「炎天」の中をひたすら歩いている。
山頭火は、その歩きの中から「真直ぐ」な鉄道のレールを見つけたのであろう。
右に曲がり、左に曲がっていく自分の人生に比べて、炎天の下のレールの、なんと「まっすぐ」なことか。

写真は御殿場線の線路である。
実際、八月の昼下がりに撮影してみた。
まさしく
御殿場線の線路は、「炎天の下まっすぐ」にのびていた。

2015年9月9日水曜日

「しぐるる土をふみしめてゆく」

「しぐるる土をふみしめてゆく」

昭和六年、山頭火は「故郷(熊本)に落ち着くことが出来なかった」と、再び旅に出る。
この句は、その旅で詠んだ句。
「浦上天主堂」の記載のあとにでてくる句である。

直前の句
「いただいて足りて一人の箸をおく」
また
「雨ふるふるさとははだしであるく」の句があとにでてくる。

さて、この句の写真はなかなか苦労した。
「雨降りの中の歩き」なのだ。
以前撮った「水辺を歩いている人」の写真をトリミングして、さらに色を変化させてみた。
すると、これがなかなか面白い。
書とのフィット感もでてきた。

こういうのを「しめしめ」と言うのであろう。


2015年9月8日火曜日

「何を求める風の中ゆく」

「何を求める風の中ゆく」

書の方は「風」をポイントにしている。
風による揺らめきである。
柔らかいタッチで「風」を表現する。

一方、写真の方は「何を求める」にポイントを置く。
野猿の鋭い目付き。
これから「何かを求めるために向かう厳しさ」に対しての「覚悟」である。

いかにも山頭火らしい句に、いかにもそれらしい写真と書、といったところか。


2015年9月7日月曜日

「ぢっと瞳が瞳に喰い入る瞳」

「ぢっと瞳が瞳に喰ひ入る瞳」
今回の看板作品である。
写真はこの春の卒業生、昨年の体育大会でのワンショット。
(生徒の写真ゆえ、ブログではこのへんが限界ですな。額のサイズは縦80センチ、横60センチとかなり大きいのです。)

16~18くらいの女の子というのは、時にエッと思う輝きを見せる。
普段は気がついていなかったのに、おおー、こんな輝きがあったのかと。

彼女の視線のさきには一体何があったのか?
今となってはよくわからないが、恐らく自分の最も興味のあったものにちがいない。
それは、その喰い入るような瞳でわかるのである。


2015年9月6日日曜日

「ずんぶり二人展」二日め

今日の来場者第一号は、私のF高時代の教え子。
と、言っても今は大学生の母親である。
M子さん来場ありがとう。
次にやってきたのが中学時代の友人二人組。
家がそう遠くないゆえ、やってきてくれた。
三番目の来場者が、相棒の義理のご両親。
今年もお世話になります。

そうこうしているうちに、静岡新聞の記者より連絡があり、午後取材をしたい旨を伝えてきた。
去年に引き続き静岡新聞に掲載となるだろうか。
記事にしてくれると、これはありがたい。
大きなコマーシャルである。

午後一時半過ぎに、二人してインタビューをうける。
やはり、プロの記者、ポイントのしっかりした取材をする。
良い記事にしてくれるといいなあ。

午後にはその他職場の同僚がふたり。
さらにN東時代に同僚だったS先生がご夫妻で見える。
また、現在授業を担当している箏曲部の生徒や芸術科の生徒のご両親も見えた。

というわけで、今日も充実した一日でした。

2015年9月5日土曜日

オープニングコンサート

「ずんぶり浸る展」の開催である。
午前九時に会場到着。
十時頃には来場者、G南の同僚であった英語のT先生ご夫妻が最初の来場者であった。
また、その後N東の時にお世話になった事務のTさんご夫妻と、初日の午前中には珍しく何人かの方に来場していただいた。

何と言っても今日のメインはオープニングセレモニーである。
去年同様、N西音楽専攻の教員によるミニコンサート。
今年も心地よい音楽が会場に流れた。
(音楽専攻の先生方、どうもありがとうございました。今年の先生方の演奏には特に力が入っていましたね。)

というわけで、コンサート会場化した展覧会場には、ざっと五十人の聴衆。
盛況のうちにオープニングセレモニーは終わった。


2015年9月4日金曜日

「ずんぶり浸る展」準備

去年に続いての「ずんぶり浸る展」
いよいよ明日から開催である。

今日は午後から準備。
要領が分かっているので去年よりは大分楽であった。
今年も結構面白いぞと、自画自賛。
ただし、Sさんも私も「感覚派」ゆえ、大分「詰め」の甘いところ有り。
作品がそれぞれ一作品多くなってしまい、壁面の展示場所が足りなくなってしまったのだ。

うーん、こんなことは壁に展示できる数と、作品の数を冷静に考えると 、すぐ判ることなのですがね。


会場には明日の開催を勘違いして、今日見えた方もあったとか。
間違えた方には申し訳ないが、早速お出でいただくのは、我々にとって、なかなか嬉しい情報である。





2015年9月3日木曜日

ステップトリーダ

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昨日から今日にかけて、静岡県内では大雨洪水警報が続いている。
昨日は落雷もあったようだ。

落雷と言えば、何の番組か忘れてしまったが、ステップトリーダという現象について特集を組んでいた。


ステップトリーダ(先駆放電)とは、雷の放電現象の時に雷雲から最初に延びる複数の弱い光のことで、下の地面の側から延びるのがストリーマ(線条・先行放電)だという。
そして、この二つがつながることにより、大量の電荷が発生するそうだ。

ヘー。
下から迎え出る光があるとは思わなかったな。
自然界というのは本当に凄いね。





2015年9月2日水曜日

一般国民

オリンピックエンブレム問題について、組織委員会事務総長の記者会見があった。

この時に彼が発した言葉「一般国民の理解は得られない」が、またネットを賑わしている。
「一般国民」とは、法を司る立場の人間とか政治を動かす立場の人間と対比して用いる言葉だという。

おそらく、ここで彼が言いたいことは、「専門家(デザインの)と、そうでない人ではデザインに対する知識の差があるので、なかなか理解はえられない」ということなんだろう。
しかしながら、何だか上から目線のような言葉「一般国民」を使用してしまったので、話が面倒くさくなってしまったのだ。

きっと、自分は一般の国民ではないという自負があるのだろうね。





2015年9月1日火曜日

オリンピックエンブレム

決定したはずの東京オリンピックのエンブレムが白紙撤回となった。

何の先入観念もないままこのロゴを見た時には、私の好みのデザインであり、「おおー、なかなか良いではないか。」と、感心したものであった。
しかし、こう次から次へと疑惑が出てきてしまったのだから、これはもうどうしようもない。
今日出てきた疑惑(空港の写真)などは、完全なコピーであり、弁解はできないだろう。

ただ、競技場のこともそうだが、選んだ側の人間の責任がどうも見えてこない。
選考した人間は、それほど責任を持って選んではいないのだろうか。


それにしても、デザインというのは本当に難しいなあ。