「枝をさしのべてゐる冬木」
昭和五年十一月二十七日、九州においての句である。
以下日記を引用する。
十一月廿七日 晴、読書と散歩と句と酒と、緑平居滞在。
緑平さんの深切に甘えて滞在することにする、緑平さんは心友だ、私を心から愛してくれる人だ、腹の中を口にすることは下手だが、手に現はして下さる、そこらを歩いて見たり、旅のたよりを書いたりする、奥さんが蓄音機をかけて旅情を慰めて下さる、――ありがたい一日だつた、かういふ一日は一年にも十年にも値する。夜は二人で快い酔にひたりながら笑ひつづけた、話しても話しても話は尽きない、枕を並べて寝ながら話しつづけたことである。
生えたままの芒としてをく(緑平居)
枝をさしのべてゐる冬木( 〃 )
ゆつくり香春も観せていただく( 〃 )
旅の或る日の蓄音機きかせてもらう( 〃 )
風の黄ろい花のいちりん
泥炭車(スキツプ)ひとりできてかへる
泥炭山(ボタやま)ちかく飛行機のうなり
夕日の机で旅のたより書く(緑平居)
けふも暮れてゆく音につつまれる
あんなにちかいひびきをきいてゐる(苦味生君に)
糸田風景のよいところが、だんだん解つてきた、今度で緑平居訪問は四回であるが、昨日と今日とで、今まで知らなかつたよいところを見つけた、といふよりも味はつたと思ふ。
「一昨年――昭和五年の秋もおわりに近い或る日であった。私は当もないそして果てもない旅のつかれを抱いて、緑平居への坂をのぼっていった。そこにはいつものように桜の老樹がしんかんと並び立っていた。 」
枝をさしのべてゐる冬木
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