2015年9月15日火曜日

「枝をさしのべてゐる冬木」

「枝をさしのべてゐる冬木」

昭和五年十一月二十七日、九州においての句である。
以下日記を引用する。

十一月廿七日 晴、読書と散歩と句と酒と、緑平居滞在。 
緑平さんの深切に甘えて滞在することにする、緑平さんは心友だ、私を心から愛してくれる人だ、腹の中を口にすることは下手だが、手に現はして下さる、そこらを歩いて見たり、旅のたよりを書いたりする、奥さんが蓄音機をかけて旅情を慰めて下さる、――ありがたい一日だつた、かういふ一日は一年にも十年にも値する。夜は二人で快い酔にひたりながら笑ひつづけた、話しても話しても話は尽きない、枕を並べて寝ながら話しつづけたことである。 
 
 生えたままの芒としてをく(緑平居) 
 枝をさしのべてゐる冬木( 〃 ) 
 ゆつくり香春も観せていただく( 〃 ) 
 旅の或る日の蓄音機きかせてもらう( 〃 ) 
 風の黄ろい花のいちりん 
 泥炭車(スキツプ)ひとりできてかへる 
 泥炭山(ボタやま)ちかく飛行機のうなり 
 夕日の机で旅のたより書く(緑平居) 
 けふも暮れてゆく音につつまれる 
 あんなにちかいひびきをきいてゐる(苦味生君に) 

糸田風景のよいところが、だんだん解つてきた、今度で緑平居訪問は四回であるが、昨日と今日とで、今まで知らなかつたよいところを見つけた、といふよりも味はつたと思ふ。 

「一昨年――昭和五年の秋もおわりに近い或る日であった。私は当もないそして果てもない旅のつかれを抱いて、緑平居への坂をのぼっていった。そこにはいつものように桜の老樹がしんかんと並び立っていた。 」
 
枝をさしのべてゐる冬木 

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