「江戸っ子は皐月の鯉の吹流し口先ばかりではらわたはなし」
(江戸っ子は言葉は荒いが腹の中には何もなく、さっぱりとしている。)という川柳がある。
この川柳でもわかるように、江戸時代に生まれた「こいのぼり」は、当時から「吹流し」であった。
言い方も「鯉の吹流し」である。
しかしながら、「こいのぼり」の「のぼり」は「幟」である。
沼津にも「幟道(のぼりみち)」の地名があるが、その「幟」だ。
「幟」というのは、「吹流し」ではない。
言ってみれば、旗のような形のものである。
したがって、現在の日本の空にあがる鯉も「鯉の幟」ではなく、「鯉の吹流し」と言うべきなのであろう。
まあ、現在ではそのような言い方は、まずしない。
この理由を考えてみると、おそらく「鯉の滝登り」の「登り」との混用が起因しているように思われる。
中国の正史、二十四史のひとつ「後漢書」によると、黄河の急流にある「龍門」と呼ばれる滝を多くの魚が登ろうと試みたが、鯉のみが登り切り、龍になることができた。
これにちなんで「鯉の滝登り」が立身出世の象徴になったのだと。
つまり、本来「鯉の吹流し」というべきところを、「鯉の滝登り」という縁起の良い故事をふまえ、さらに「幟」の意味も加味した「鯉のぼり」にしたのではないか。
これが民俗学なぞ、まったくの素人である私のずうずうしい推測である。
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