2020年12月31日木曜日

おおつごもりに

2020年も暮れようとしている。「おおみそか」のことを、晦(つごもり=月籠り=月の終わりの月が籠るころ)のうちの一番最後(十二月)の晦(つごもり)なので、古典では「おおつごもり」と言う。

さて、今年のコロナ騒動ほど(たぶん)人類すべてに影響を与える事件が起こった年はあるまい。現時点でもこの厄災はまったく収束する気配を見せていない。展望がもてないとは、まさにこういうことを言うのであろう。

ただ、だからと言って顔を下に向けても仕方がない。

ここはひとつ日本人得意の「しょうがない精神」を発揮することにしましょう。

 

2020年12月30日水曜日

かたじけない

時代劇などを見ていると、「かたじけない」という感謝の言葉がでてくるのであるが、今日は「かたじけない」について書いてみる。

 かたじけないは、「忝い」「辱い」と表記して、文語「かたじけなし(この語は『竹取物語』にも見られる)」の口語で、「ありがたい」が一般的なのに対し、あらたまった丁寧な言い方である。「忝い」は、「おそれ多い」「もったいない」など感謝をする気持ちを、一方「辱い」は「恥ずかしい」という気持ちを表している。 

本来、相手の身分や言動と自分を比べた時に引けを感じ、「恐れ多い」といった感情を表す語で、それが転じて「ありがたい」「もったいない」という感謝の念を表す言葉となった。「恐れ多い」という意味の「かたじけない」は、「ありがたし」の「がたし」の例から、「難しけ(難気)なし」が語源と思われるということだ。

どうだろう、T高校の受験生諸君、重要単語の「かたじけなし」すでにインプットしていただろうか?

2020年12月29日火曜日

全部そろっている。

数日前の新聞に掲載されていた書籍のコマーシャルにチョイとドキリとさせられた。

見出しには「74歳、ないのはお金だけ。あとは全部そろっている。」牧師ミツコとある。

書籍の説明には、スッと伸びた背筋ではつらつとし、牧師の家庭に生まれ、自身も牧師となり、夫と共に40年以上教会を運営、夫を見送ったあとは公営住宅に一人暮らし。年金7万円の生活で「十分」、今あるものに感謝して生きる・・・とある。

うーん、スゴイなあ。

煩悩のかたまりのようなワタシには、とても真似が出来ない生活です。

 

2020年12月28日月曜日

雪の覚悟

昨日までの雪の予報は見事に覆り、極めて好天であった。
これはこれでよいのだが、せっかく雪の覚悟をして、車なども雪バージョンにしたのだから、聊か残念である。

毎年、年末から年始にかけてウインタースポーツは佳境を迎えるのであるが、今年はコロナの関係で、盛り上がりに少々かけるようだ。
まあ、スポーツの試合が出来るだけまだマシなのかもしれないが。
 

2020年12月27日日曜日

似非(えせ)

御殿場地方は、明日はひょっとすると雪かもしれないのだが、現在のとこところ穏やかな陽ざしが降り注いでいる。

「似非(えせ)」という言葉がある。

意味は①似ているはが本物ではない。にせもの。②つまらない、とるにたりない、質の悪い、の意。

一月になると「伊勢物語」の講義をするのだが、「伊勢物語」の「いせ」とは、「似非」の「えせ」から派生しているという説もあるようだ。


 

2020年12月26日土曜日

脅威の時代

冬になると富士山の見える日が多い。ここ四・五日の間、富士山は毎日顔を見せているのである。

富士山を見ることができて、御殿場は平穏無事であるのだが、コロナ騒動は依然として収まる気配が感じられない。東京都では今日の感染者が九百人を超えており、いよいよ千人越えをする勢いである。

我々の住んでいるこの地球というものが、途轍もない脅威の時代に突入したのでは、と思われる今日この頃である。


 

2020年12月25日金曜日

例年とちがう

印象として、例年よりも今年の「クリスマス」は、「クリスマスソング」を聴かなかったような気がする。

いつもであれば、スーパーなどに行くと、煩いほどの「クリスマスソング」が流れており、何か気ぜわしい、この時期独特の雰囲気があったのだが、どうも今年はそうでなかった。

勿論これは「コロナ騒動」のせいなのであろうが、煩いほどの「クリスマスソング」がないのは、これはこれでサミシイのかもしれない。

人間と言うのは、どうも我儘な生き物である。
 

2020年12月24日木曜日

Say It

クリスマス前後になるといつも聴いている(なんとなくクリスマスにふさわしい気がして)ジャズアルバムがある。それは、ジョン・コルトレーン(サックス奏者)の「バラード」だ。この中の「セイ・イット」という曲は、おそらくジャズを聴かない人も一度は耳にしているだろう。

ジョン・コルトレーンは、主に激しい一面の演奏(ソプラノサックスで吹く「マイ・フェイバリット・シングス」などで代表される)が評価されてきた。

以下、ウィキペディアから少し引用してみる。音楽評論家のアイラ・ギトラーは、切れ目なく続くサックスの音を「シーツ・オブ・サウンド」と形容し、1950年代末期にコルトレーンがモード・ジャズの領域に進むと、更に激しさは増していった。しかしコルトレーンは、デビュー当時からバラードも好んで演奏し、その最高傑作が「バラード」ある。コルトレーンの作品としては異色作だが、情感のこもった優しい演奏で(ライナーノーツにはリリシズムあふれるとある)、今もジャズを聴き始めたばかりのリスナーに薦められることが多い。本作に関してしばしば伝えられるエピソードは、「サックスのマウスピースの調子が悪く、速いフレーズを弾けなかったため、苦肉の策としてバラード・アルバムを作った」というものであるが、実際のところは、プロデューサーのボブ・シールが、よりファン層を広げるために着想したようである。

さて、この曲はあまりにも有名な曲であるのだが、このコルトレーンの演奏以外にはほとんど聴いたことがない。もし、コルトレーンが演奏していなかったら、おそらく世の中には知られることのなかった曲だろう、誠に持ってこれは謎だ。

因みに、「セイ・イット」部分の歌詞は次のようになる。

言っておくれ、何度も何度も繰り返して、
何度も何度も繰り返して。
君が僕のものだといつまでも言っておくれ。

もし、興味がわいた方は、ジョン・コルトレーン「セイ・イット」で、是非ユーチューブ検索をしてみてクダサレ。



2020年12月23日水曜日

フライドポテト

フライドポテトがどうしても食べたくなって、スーパーで購入する。手に入れると同時に食べ始めたのであるが、これがどうにも止まらなかった。

さて、何日か前の「チコチャンなんたらかんたら」という番組では、フライドポテトがやめられない理由を、次のように説明していた。

まず、「止まらない、やめられない」という食べ物には2つの大きな理由があるという。

ひとつ目は「油で揚げている」こと、そしてもうひとつが「ナトリウム(塩分)とカリウムの無限ループなのだと。

油は、口に入れると、唾液によって「脂肪酸」に分解され、舌がその脂肪酸を感知すると、脳に味を伝える能力が格段にアップ。食べ物の甘みやうまみを強く感じるようになる。つまり、油で揚げるとよりおいしく感じ、幸福感を得ることができるのだそうだ。

そして、人間にとって必要不可欠な栄養素であるカリウムと塩分のナトリウム、これが、フライドポテトが止まらなくなる最大の原因であるという。この2つの栄養素は、適切な割合を保つことで、細胞や血圧を正常に機能させている。

じゃがいもには、カリウムが豊富に含まれていて、これを食べると体の中にカリウムがどんどん増えてしまう。すると、正常なバランスに戻すために、ナトリウム(塩分)を求める。つまり、塩の付いたフライドポテトを食べたくなるという状況が生じるのだ。

結局、フライドポテトを食べると、 カリウムの量が増え、塩分が欲しくなり、塩が付いたフライドポテトを食べてしまうという、無限ループが生まれるのである。


 

2020年12月22日火曜日

天気予報への影響

天気予報では今日は暖かくなるとのことだったのであるが、どうもこの予報は当たらなかったようだ。(御殿場は結構寒いのです。)

この間、何かのテレビ番組で、最近、天気予報の精度が落ちていることを話題にしていた。

その理由というのが、「航空機からの情報が入ってこないから」であった。

つまり、コロナ禍によって航空機の利用が、極端に減ってしまった。利用が減ると航空機が空を飛ばなくなってしまう。航空機が空を飛ばないと空の情報が入ってこない、というわけだ。

コロナは思わぬところに害を及ぼしているのです。
 

2020年12月21日月曜日

紅葉越しの鐘楼

写真だけ見ると、紅葉越しに大きな屋根が見えるので、まるで京都かどこかのお寺のようだが、実はこれ富士霊園のなかにある鐘楼である。

写真を撮ったのが先々週だったか、まだ多少紅葉が見られたときである。

おそらく最近の寒さによって、これらの葉っぱは、みな色が変わったり落葉していることだろう。

USBメディアの安売り広告が出ていたので購入にでかける。

月曜日の午前中にも拘らず、店には人がいっぱい。何でこんなに人が出ているのだろうか不思議である。もっともワタシもその「人」の一人ではあるのだが。
 

2020年12月20日日曜日

トドメハ疫病

つい一週間前までは、今年の冬は暖冬かくらいに思っていたのだが、トンデモナイ、ここにきて急激な寒さ、日本海側の東北・北陸地域は大雪で、こちらこそトンデモナイ状況になってきている。

日本という国は、2011年の東北大地震あたりから大雨に大風さらに大雪、トドメハ疫病(コロナ禍)と、これは平安時代末期(小説「羅生門」で表現されている時代)の末法思想が流行ったような時代になってきてしまったのだろうか。
 

2020年12月19日土曜日

関越自動車道とえびカリ

 本日の夕刊に「雪の関越 粋なせんべい」
という見出しの記事が出ていた。

昨日・一昨日の大雪で、関越自動車道に閉じ込められた女性が、同様に立ち往生していたトラック運転手から、積み荷の米菓を差し入れて貰ったという記事である。

このトラックは魚沼運輸という運輸会社のトラックであったが、緊急事態ゆえ、荷主の「新潟・岩塚製菓」の同意を得て、積み荷のせんべいなどを立ち往生している車の運転手に配ってくれとの指令を出したのだそうだ。

なんという素晴らしい措置。なんという英断。

ワタシは、かねがね「岩塚製菓・えびカリ」の大ファンであったのだが、この記事によりますます「岩塚製菓」が好きになってしまったのです。


2020年12月18日金曜日

鬼退治

「鬼滅の刃」が爆発的なヒットを飛ばしている昨今であるが、考えてみると、この時代は昨日触れた安倍晴明が活躍した時代とかなり重なるのではないかと思われる。すなわち、安倍晴明が有名になったのは「怨霊封じ」であり、「鬼退治」であるし、「鬼滅の刃」の主人公、竈門炭治郎が退治するのも鬼なのである。清明が活躍していた当時は、菅原道真の怨霊騒ぎがまだ色濃く残っているころであり、世の中も朝廷をはじめ、「精神の不安」を抱えていた人間が数多くいたと考えられる。 清明は、権力者藤原兼家の孫でもある一条天皇の病を、祈祷により平癒させたことで一躍有名になったのだ。

さて、時をコロナが跋扈している現代に戻すと、残念ながら清明のようなヒーローは出てこないが、その代わりをしているのが竈門炭治郎なのではあるまいか。我々はアニメの中のヒーローに「現代の鬼退治」を期待しているのである。
 

2020年12月17日木曜日

狼藉

テレビで陰陽師・安倍晴明の特集を見ていると、関連する平安時代の古文書の中に「「狼藉」という言葉が出てきた。

「狼藉」の意味は、「狼藉者」などで使用されるので何となく理解はしているのだが、ハテ、「狼」と「藉」の意味は一体何だろうか。

こんな時はすぐに「語源辞典」である。

「語源辞典」には次のようにある。狼藉の意味は、乱暴なふるまい。物が乱雑に散らかっている様子。狼藉は、中国の通史「史記 滑稽列伝」による漢語である。「藉」には「敷く」や「踏む」「雑」などの意味があり、「狼藉」は、狼が寝るために敷いた草の乱れた様子から、物が散らかっている様子を意味した。この語が日本に入り、派生的な用法として「乱暴なふるまい」も意味するようになった。

そうか、元は「散らかっている様子」なんだね。


 

2020年12月16日水曜日

クーロンヌ

 先日、富士吉田まで出かけたおりに購入したパンが「チーズとくるみのクーロンヌ」というパンであった。

「クーロンヌ」とは「クラウン」、どうやらフランス語で「王冠」を意味する言葉らしい。どう見ても「王冠」には見えないのだが、見る人が見れば「王冠」なのでしょうね。

フランスパンの生地にチーズとくるみを入れてU字型に成形したものであって、噛み心地に秀でるというか何というか、この「食感」が良いのである。

ワタシの大好きなパンであるのだが、このタイプのパンにお目にかかることは滅多になく、富士吉田のスーパーに入っている「山梨さえき」?というパン屋さん?でいつも購入している。(「山梨さえき」がパン屋さんかどうかは不明)

2020年12月15日火曜日

ブログの更新

昨日はグーグルに異変があり(このことはテレビニュースでも放送していたようです。)、残念ながらブログを更新することが出来なかった。

こんなこともあるのです。昔だったら更新できないことにイライラして、だれともなく文句を言ったのだが、最近はほとんどイライラしなくなってしまった。これが歳をとるということなのでしょうか。

そもそもこのブログの元はブログ・スポット(「グーグル」が提供するブログサービス「Blogger」のドメイン=インターネット上の住所らしい)なので、このような事態になってしまったのです。

2020年12月13日日曜日

大豆ミート

 「大豆ミートのふわふわバーガー」を食べてみた。

コマーシャルの文句にはこうある。「豆乳入りのしっとりとしたパン生地でパティとオーロラソースをはさんで焼き上げました。」さらに「大豆ミートパティにはお肉の代わりに大豆ミートが使用されています。」とも。

製造会社の「Pasco」というのは、愛知県にある「敷島製パン」であり、この会社は時々「オッ」というような意表を突くパンを作ってくるのだが、今回のパンは「聊か真面目」と言ったら失礼になるが、肉の代わりに大豆を使用した健康志向のパンなのである。

食べた感じは普通のハンバーガーのパテとそれほど変わらないような気もする。大豆を肉の代わりにする手法は日本の精進料理にもあるので、日本人であれば、それほど抵抗なく食べられるのではなかろうか。



2020年12月12日土曜日

河内のオッサンの唄

現在放送しているNHKの朝の連続ドラマに、大阪の河内弁が使われている。

ワタシは特に河内とは縁はないのだが、河内弁と言えば1976年に発売され、大ヒットした「河内のオッサンの唄」というフォーク系の歌手「ミス花子」が歌う曲がワタシに強烈な印象を与えている。

これは是非ユーチューブで聴いてほしいのだが、参考までに以下歌詞をあげてみる。


「河内のオッサンの唄」

おー、よう来たのワレ
まあ上がって行かんかいワレ
ビールでも飲んで行かんかいワレ
久しぶりやんけワレ
何しとったんどワレ
早よ上がらんけオンドレ何さらしとんど
河内のおっさんの唄
河内のおっさんの唄

これから暑いのワレ
仕事がエライのワレ
もっと飲まんけオンドレ何さらしとんど
明日は休みやんけワレ
男はもっと飲まなあかんどワレ
しっかりしとらんけワレ何さらしとんど
河内のおっさんの唄
河内のおっさんの唄

今日の競馬は取ったんけ
今日は良う荒れたのうワレ
ワイは全然さっぱりあかんかったやんけ
おまんとこのおかん元気け
連れて来たったらいいのにワレ
ごっつう久しぶりやんけ

おいカカア、もっとビール持ってこんかい
何されしてけつかんじゃい
裏の家かてもっと良う働くど
あんた今冷やしてまんね
あんまりうるそう言わんといてか
うちかて忙しいんやでワレ
河内のおっさんの唄
河内のおっさんの唄

オイ、ワレ男っちゅうもんわな
酒の一升も飲んじゃってさ
競馬もやっちゃってさ
その為にさ思いっ切り働くんじゃいワレ
てやんでべら坊めやんけ

やんけやんけやんけやんけそやんけワレ
ワレワレワレ そやんけ
やんけやんけやんけやんけそやんけワレ
ワレワレワレ そやんけ
河内のおっさんの唄
河内のおっさんの唄

オイ、ワレもう帰るんけ
気ぃ付けて帰ったらんかい
前のドブ川にはまったらあぶないどワレ
また元気で仕事しようやんけワレ
働いて働いて銭ためて
蔵建てたろうやんけ

やんけやんけやんけやんけそやんけワレ
ワレワレワレ そやんけ
やんけやんけやんけやんけそやんけワレ
ワレワレワレ そやんけ
河内のおっさんの唄
河内のおっさんの唄



 

2020年12月11日金曜日

紅葉

紅葉という言葉は不思議なもので、写真のように、葉っぱが紅くても黄色くても紅葉と言ってしまう。理屈を言うならば、銀杏の木などはまぎれもなく黄葉(おうよう)である。

ただし、「この色は明らかに紅くはないのでこれは紅葉と言ってはイケナイ」などと、無粋なことを言う人は誰もいないだろう。

このあたり(色彩感覚)のいい加減さが日本人の良いところだと思う。青信号とて「あれは青ではなく緑だ」とも言わないのである。


 

2020年12月10日木曜日

新型水素自動車

トヨタ自動車から水素で動く自動車「ミライ」の新型が発表された。ネットニュースでは次のように触れられている。

水素自動車(FCV)のメリットはわかりやすい。走行時のエミッションフリーはいわずもがな、EVの欠点である充電時間も、水素充填という給油の延長で考えられる。だが課題も多い。まず、LCA=ライフサイクルアセスメントでみると現状EVよりも劣る。水素の生成方法にもよるが石炭火力の電力で作る水素は、(いまのところ)発電電力を5~10%程度のロスでエネルギーにできるバッテリーにかなわない。

実はワタシ、水素自動車を運転したことがあるのです。

この件に関しては、2015年8月18日のブログを見てほしいのです。 

 

2020年12月9日水曜日

相良油田

水曜テニスであった。天候のせいであろうか(暑くも寒くもない)、気分良くテニスをすることができた。

この間、何かのテレビ番組で「静岡県には油田がある」ことを知った。

静岡県牧之原市にある相良油田(相良油田)は、1872年(明治5年)2月に、海老江の谷間で油くさい水が出ることと聞いた、元徳川藩士の村上 正局まさちかによって発見されたことに始まる。同年3月には、静岡学問所の外国人教師エドワード・ウォーレン・クラークによって、それが石油と判定される。

現在、石油採掘は停止しているが、井戸そのものと簡単な試験ができる程度の設備は保存されている。 日本では太平洋岸唯一の産油地だったが、産油量の激減や日本国外からの安い原油の輸入などのため、1955年に採掘停止になった。世界的にも希な軽質油で、精製せずにそのままで自動車が動くほどだった。

ふーん、太平洋岸では唯一の油田だったんだね、しかも精製しないで使えるとは。


2020年12月8日火曜日

試験監督

期末試験の監督にT高まで出かける。何だか分からんが、二年生の教室では熱烈な歓迎をされた。

一見、試験の監督は何もしないで立っているので、楽なように思えるのであるが、ワタシにとって試験監督ほどツライことはない。

つまり、試験時間の五十分の間、ジーっとだまって、さらにつっ立っていなければならないのだ。これだったらベラベラ喋って授業をやっている方が百倍もいいのである。

まあ、そうは言うものの監督も今日で終了。生徒の試験も今日で終了。

生徒たちは、あの煩わしい「コロナ」さえなければ、明日からは年末の、慌ただしいけれどワクワクするような日々を送れたのでしょうがね。


 

2020年12月7日月曜日

古典講座の開講

御殿場の図書館から連絡があり、今年度も古典講座を開講することになった。

例年、図書館のあまり広くない教室で講座を開講していたので、コロナ騒動の今回は無理だろうなと思っていたのだが、今年度に限って、御殿場市民会館の広い会議室を使用しての開講となるそうだ。

最初に講師を引き受けてからもう六回目となる。イヤハヤ、よくもまあここまで続けてきたものだ。

因みに、今年は「伊勢物語」を講義予定なのです。
 

2020年12月6日日曜日

「鬼滅の刃」の女性人気

現在、世の中を席捲する勢いの「鬼滅の刃」であるが、このアニメが何故斯くまで女性人気を博しているのか(かつての少年漫画にはあまり見られなかった現象である)、今朝の新聞にはその理由が紹介されていた。

表題は「現代を映す女性キャラ」とあるが、ここでその記事をチョットだけまとめてみる。

「鬼滅の刃」には多くの女性キャラクターが活躍している。すなわち、伝統的に男性キャラが主だった少年漫画であるが、近年の人気作品に共通するのは、主人公と最初から同じ景色を見ている女性キャラがいる。

「鬼滅の刃」では、主人公の妹「禰豆子」だったり、鬼殺隊の「胡蝶しのぶ」とか「甘露路蜜璃」である。彼女たちは「男らしくないと」と気負う主人公たちに理知的に接し、戦闘能力も兼ね備えている、さらにこれらキャラクターには、女性性というものに絡め取られた女性の苦悩も表現されているのだ。すなわち、女性読者はいろいろな姿を自分に重ね合わせて読むことが出来るのである。

ふーん、最近は少年漫画と言えども、兎にも角にも女性を味方にしなければ始まらないのですよね。


 

2020年12月5日土曜日

話題がない

話題が何もない時にブログを更新する辛さを、今味わっているのだが、それほど今日はネタがないのである。

しょうがないので、インターネットニュースに載っていた中国の「コロナウィルス封じ込め(11月29日の新規感染者は18名だという)」作戦にふれてみる。

日本では「三密」での回避が打ちだされたが、中国の方針は「四早」だったという。

「四早」とは、早期発見・早期隔離・早期診断・早期治療のこと。日本でもそのようなことは当然分かっていることだと思うが、社会主義国家では議会を通さず法律に近い規制が作れる。震源地の武漢では、封鎖前後だけで三十、一日一本のペースで「新しい規制」が発令されたそうだ。

制度の是非はともあれ、国家規模で「四早」を徹底できたことが大きかったのだと。

こうすればこうなるということが分かっていても、それが実行できないのが今の日本なのだろう。



2020年12月4日金曜日

土肥

故あって土肥(とい)まで出かける。

以前、N東高に勤務していた時に、海浜教室で二回ほど訪れたことがあり、まったく馴染みのないところではなかった。

かつては土肥に辿り着くまで、ずいぶん時間がかかった印象(その昔は陸の孤島と言われていたのです)があるが、現在は伊豆中央道、修さらに修善寺道路から天城道路と、有料道路は使うものの、三島から一時間ほどで着いてしまう。

これこそ文明の力ですな。

途中には温泉が数多くあり、温泉大好きのワタシとすれば、「次は絶対入浴だぞ」の気分で通過したのである。

 

2020年12月3日木曜日

アップルタルト

御殿場は、昨日・今日と、急に冷え込んできた感がある。

いよいよ冬の到来か?

十月の写真展の際に、差し入れしていただいたアップルパイで、大変美味しいものがあった。これはいつかまた食べたいと思っていたのだが、今日時間ができたので、三島の光が丘というところまで出かけてみた。

お店は二坪か三坪くらいの極めて可愛らしいものであったが、店内には焼き菓子やケーキ類が所せましと並べられている。さっそく「アップルパイを下さい。」と言ってみたのだが、「ウチではアップルパイは作っていません。」の返事、どうもワタシが勘違いしていたようで、かつて食べたものは「パイ」ではなく「タルト」のようであった。ワタシはさらに「ではアップルタルトを下さい。」と勢い込んで言ったのだが、「今日は作っていません。」との冷たい返事。

「ガーン」であるが、仕方がないので冷蔵ケースの中にあった「チョコバナナタルト」というやつを買って引き揚げてきたワタシなのである。
 

2020年12月2日水曜日


昨日に続いて花札の札である。

花札の中には「雨」という札(上の札の右から二番目)があり、これには11月の札であり、絵には小野道風と蛙が描かれている。

小野道風と言えば平安時代の能書家であり、幼いころ柳の枝に蛙が何度も何度も飛びついているのを見て、自分も「蛙同様に努力しなければ」と思い、これ以来努力を重ねて有名な書家になったという逸話を持つ人物である。

さて、ここで疑問であるが、博打に使われていた札に何故「道徳の見本」のような、小野道風が登場してきたのだろうか。

いろいろ調べてみると、この11月の札、明治時代までは小野道風ではなく斧定九郎(おのさだくろう)という歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」に登場する悪役浪人であり、架空の人物だったそうだ。しかしそれが(明治政府の意図なのかどうか)、悪人が努力の人となったようである。

博打であれば、悪人「斧定九郎」の方が適しているような気がするのですがね。



2020年12月1日火曜日

「シカとする」

T高で三年生の教室に行くと、面白い本(タイトルは失念してしまったが、外国人に日本語を教えている日本語の講師が書いているもの)が目についたので、ついつい読んでしまった。

この本は、日本人でも「実は分かっていなかった語」を抜き出して、面白おかしく説明する、こんな按排の本であった。

例えば「シカとする」とは、任侠用語であり、花札の鹿と紅葉が描かれている札(上の真ん中の札)のことなのだそうだ。この札の中の鹿はソッポをむいており、さらにこの札は十点だという。つまり「シカと」とは「鹿十」であり、ソッポを向いて無視することが、「シカとする」となる。

他にも「ピカ一」は、花札の中では「光もの(たぶん、山に月とか松に鶴が描かれているもの)」が、際立って点が高い(二十点)ことから「群を抜いていること」を「ピカ一」と言うようになったのだとか。

フーン、なるほどね。

 

2020年11月30日月曜日

ライトアップの空振り

昨夜、紅葉ライトアップをしているはずの「秩父宮記念公園」に出かけてみたのだが、肝心の紅葉は思ったほど見られず、「残念な思い」だけを残して帰ってきた。

自然が相手の行事というのは、得てして思うようにはならないことが多い気がする。自然にとってみれば、「人間様の都合通りにはならないぞ」ということだろう。

まあ、こればかりはどうしようもないことだ。
 

2020年11月29日日曜日

ラブライブ恐るべし!

昼間、「噂の東京マガジン」というテレビ番組を見ていると、「静岡県の沼津市・奇跡の人口増加」の文字、一体何のことかと目を凝らして見てみた。

要はこうである。人口の減少に苦しんでいた沼津市であったが、思わぬ展開がそれを救った、その大きな理由は、沼津市を舞台としたアニメ「ラブライブ・サンシャイン」のファン(若者が多い)たちが続々と沼津市に移住しているからであると。

何だかオジサンには理解できかねるのであるが、実際、テレビのインタヴューに答えていたファンによると、「ラブライブ」の舞台となっている沼津にあこがれて移住してきたファンは百人はいるとのことであった。
 

フーン、「ラブライブ・サンシャイン」が人気アニメであることは、十月に開催したワタシの写真展会場(芹沢光治良記念館)がその聖地となっており、その会場に多くの「ラブライブファン」がやってきたことで実感していたが、まさか一地方都市の人口を増やしてしまうとは。

「ラブライブ恐るべし!」である。

(写真は、写真展会場である芹沢光治良記念館駐車場に停車している「ラブライブツアーの団体用バス)

2020年11月28日土曜日

日本シリーズ

今年のプロ野球日本シリーズは、去年同様パ・リーグ(ソフトバンク)の圧倒的な強さで終わったが、昨日の新聞にその理由が紹介されていた。

分析したのは、パ・リーグとセ・リーグの両方でコーチ経験のある人物であった。

将来の各チームの強弱を左右するのは、それぞれのチームがドラフトにおいて、どのような選手をとるかであるが、ここにセとパでは大きな差があるという。

傾向として、パは剛腕投手であり、セは完成度が高そうな投手なのだそうだ。そしてパの場合この剛腕投手が速い球に強い打者を育てていくのだと。

今回の日本シリーズ、ソフトバンクと巨人の試合を見ていると、その打力に圧倒的な差を感じた。やはり、このことが原因なのでしょうね。
 

2020年11月27日金曜日

いつ?どこで?

十一月もあと残すところ三日、いよいよ師走となり、今年も暮れて行く。

コロナ騒動の方は一向に収まらず、感染はどんどん広がっていくようだ。

とにもかくにも、今回のコロナウィルスのたちの悪さは、罹患している本人が、自分では意識のないまま、また他人にうつしてしまうことだ。

昨日のニュースでも、うつされた人がどこで罹患したのかと、首を傾げていた。本人の言によれば、「恐らく電車かバスの公共交通機関ではなかろうか」ということである。

 

2020年11月26日木曜日

無事これ名馬

車の半年点検をおこなった。

わが愛車ジューク(正式には1600GTFourというターボチャージャー付の四輪駆動車である)、走行距離は15万キロに近づいている。ここまでほとんど故障なく走ってこられたことに感謝しなければならない。

「無事これ名馬」という言葉があるが、自分の車を褒めてやるとすれば、まさにこういうことになるだろう。

写真はたびたび登場してくる「二の岡神社」、銀杏の落ち葉が境内に敷き詰められていて、黄色い絨毯のようである。



 

2020年11月25日水曜日

1970.11.25

今から50年前、1970年の11月25日は、小説家の三島由紀夫が割腹自殺した日である。

今日の夕刊には三島関係の記事がいくつか載せられていたが、その中でも美学者谷川渥氏の説明する「三島美学」は、秀逸であった。

氏は、三島の美学を「薔薇の花」で例える。

「薔薇の花弁は折り重なって、内と外があやふやになっている。これはつまり、内面と外面があるということの否定であり、すべては外面であるというのが三島の思想なのだ」と。

そしてこの美意識の背景にはニーチェの哲学があるとも。

「人間の真実が内面にあるとか、表側は嘘だけれど裏側に真実があるとか、そういう考え方をニーチェは『背後世界論』といって否定した。」

さらにいう。「三島は30歳から肉体を鍛え始め、自決する45歳までひたすら表面を築きあげようとした。最後に選んだ割腹というのは、内臓をさらけ出すこと。内と外の二元論を、血を出すことによって破ろうしたのである。自らの美意識に殉じたかのように。」

50年前のこの日、ワタシは大学一年生であった。帰宅途中の電車の中で、前の座席に座っていた人が号外の新聞を読んでおり、その一面に出ていた大きな写真の片隅に、人の首がころがっていたことを今でも思い出す。


 

2020年11月24日火曜日

ポテトサラダ

ポテトサラダというサラダがあるが、考えてみればこれは不思議な食べ物である。

そもそも、サラダというものは生野菜に塩をかけたものが起源だという。

Wikipediaによると、古代ギリシャ・ローマの時代にはすでに生野菜(主にキュウリなど)を食す習慣があり、「サラダ」の語源は調味料の「塩」を意味するラテン語の「サル」(sal)または「塩を加える」を意味する動詞「サラーレ」(salare)にあり、当時のサラダの原形が塩を振りかけて生野菜を食することにあったことをうかがわせるそうだ。

さて、話はポテトサラダに戻るが、ポテトサラダの中には生野菜はキュウリ以外あまり存在していないのである。だいたい主役のポテトが生ではないのだ。それなのに、堂々とサラダを名乗っているのは実に奇妙である。

このことはジャガイモ(ポテト)が謙虚すぎることに原因がありそうだ。自分が主役であるのにすでに茹でられてしまっている、したがって大声で主張することができない。なんと哀しいことか。

じゃがいもよ、もう黙っていることはない。意を決して「サラダ」の名を捨てよ。(ワタシも陰から応援しているから。)
 

2020年11月23日月曜日

月曜テニス

本日は勤労感謝の日であり、世の中は休日ゆえ、イレギュラーの月曜テニスに行ってみた。(メンバーは水曜テニスとほぼいっしょなのです。)

週の初めのテニス、このテニス自体は楽しいのだが、身体がキツイ。(ワタシには、これからまだ一週間の仕事があるのです。)

さて、コロナ感染者の方は、残念ながらまだまだ増えていきそうだ。これに対処するには方法はふたつ。前回と同じように、きっぱりと人の移動を止め、ひたすら収束するのを待つ。そしてもう一つはスウェーデンのように、多少の増加(犠牲)はしょうがないと、普通に経済を動かし、普通に生活する。

両立なんてえのは、きわめて難しいンではないですかね。


 

2020年11月22日日曜日

紅葉というのは

昨日の暖かさからは一変、肌寒い一日となってしまった。

紅葉というのは、全体の葉が紅くなければ紅葉ではないのだろうが、緑の葉に混じって、チラチラと見える紅い葉も、なかなか乙なものである。

特にすべてに陽が当たるのではなく、部分的にスポットのように陽が当たっているのは、何となく趣きがある。

(おおー、まるで清少納言のようだ。)
 

2020年11月21日土曜日

かつがつ

今教えている古典の教材に「大鏡」という歴史物語があるのだが、その中に「かつがつ、式神(しきがみ)一人内裏に参れ」の台詞が出てくる。

これは陰陽師である安倍晴明が、自分の家来の式神(人の目に見えない鬼神)に対して命令を下す場面である。

さて、この台詞の中の「かつがつ」に注目してみたい。

「かつがつ」とは副詞であり、「且つ且つ」と書いて、①「不満ながら」とか「ともかくも・まあまあ」の意、あるいは②「かろうじて・やっと・わずかに」の意、さらに③「とりあえず・急いで」の意、そして④「早くも・今からもう」の意を持つ。

ここでは③の「とりあえず」の意で使っているのだが、「且つ且つ」の「且つ」だけにしぼってみると「且つ」の意は「一方では」となる。したがって「「且つ」を二つ並べると「一方では、一方では」となり、「あちらこちら」の意が強くなるのだが、それが何故「とりあえず」の意になってしまったのでしょうかね。


 

2020年11月20日金曜日

自然の摂理

今日、旅の番組を見ていると、福島県の阿武隈川が登場、さらにその河川敷が映し出されたのであるが、ここには植物の戦いが起こっていた。

その戦いというのは、在来種である「ススキ」と、外来種の「セイタカアワダチソウ」の戦いであり、どちらが駆逐されるかである。

ワタシとしては、当然、在来種の「ススキ」を応援したいのであるが、「「セイタカアワダチソウ」もなかなかしぶといのである。

正に「強いものが生き残っていく」という自然の摂理をまざまざと見せつけられているようで、何かゾッとするものを感じた。

(写真は御殿場二の岡神社の境内)
 

2020年11月19日木曜日

七人の侍

 写真は最近「二の岡神社」の鳥居前に設置された真新しい案内版である。

案内板には、「黒澤明『七人の侍』と二の岡神社」とある。

要は「二の岡神社」は、ベネチア国際映画祭銀獅子賞の「七人の侍」のロケ現場としての聖地であるという説明だ。

黒澤作品は、この他にも「椿三十郎」「影武者」「乱」等々、御殿場をロケ地として多く使用してきたのだと。

今、どうしてこのタイミングでこの案内板が設置されたのかは定かではないが、いづれにしろ世界の黒澤が、この地を愛していたことは間違いはないだろう。

2020年11月18日水曜日

紅葉

水曜テニスの帰りに、「二の岡神社」に寄って紅葉を撮ってみた。

色々なテレビ番組を見ていると、関東から東北ににかけての地方は、もう大分紅葉が始まっているようだ。

何でも今年の紅葉は例年に比べると、美しいらしい。

今日の東京都のコロナ感染者は、過去最高の493人を記録したという。世の中、嫌なことばかりが続いているので、ひとつくらい良い事があってもいいだろう。
 

2020年11月17日火曜日

打撃

北海道ではコロナウィルスの感染拡大によって最悪の状態が続いている。

さあ、これから冬の北海道ということで、いつもなら賑わいも迎える時期なのに、北海道にとっては経済的な打撃も計り知れないものがあるだろう。

斯くいうワタシもを、唯一の楽しみである「冬の北海道行き」を断念せざるを得ない状況に追い込まれてしまった。

思えば毎年毎年、もう三十年以上も北海道に通っていたのだ。

ワタシへの打撃も計り知れないほど大きい。


 

2020年11月16日月曜日

クイズ

写真は昨日と同様、先日の写真展に来てくれたN西の卒業生たちである。ちょうど夕陽が沈む時だったので、牛臥の海岸に出て撮ったもの。

職員室の机の上に置かれていた冊子のクイズに面白いものがあった。

①「男は度胸、女は愛嬌」の続きは?

②原稿用紙の真ん中にあるマーク(【】を縦型にしたもの)は何というか?

③イタリア語で「私を元気づけて」という意味のデザートは?

さて、皆さんも考えてみてくだされ。
 

2020年11月15日日曜日

バずる

最近よく耳にする言葉で「バずる」という言葉がある。

バズるとは、インターネット上で口コミなどを通じ、多くの人々が一つの話題について様々な意見を交わす様子を、群がり飛び回るハチに見立てて表現した言葉であり、各種メディアや一般消費者の話題を席巻するさまを指す語ということである。 

バズるという語は英語の動詞 buzz を日本語化した言い方である。 buzz には「噂話などでガヤガヤ騒ぐ」、元は「ハチがブンブンと羽音を立てて飛び回る」といった意味合いがあるそうだ。

うーん、流行の言葉についていくのはなかなか大変だぞ。





2020年11月14日土曜日

日曜始まり

年末がだんだん近づいてきているので、来年のスケジュール手帳を、ガラにもなく手に入れようとしたのだが、いざ購入する段になって驚いた。

最近のスケジュール手帳には、「日曜日始まり」の手帳がほとんどないのである。

歳をとってミスが多くなってきたワタシにとって、今までのスタイルと異なった「月曜日始まり」というやつは、きわめて危険なのである。いろいろな日にちを勘違いする原因にもなりかねない。

一体、どうして「月曜日始まり」が増えてしまったのかと調べてみると、どうも理由は週休二日が定着してきたからということらしい。つまり、土曜日・日曜日と続く休日の予定を記入するには、こちらの方が都合が良いということ。

うーん、年寄りにはだんだん不便な時代となっていくのですね。
 

2020年11月13日金曜日

「ラブライブ」の隆盛

左の写真は「芹沢光治良記念館」の駐車場に止められた「ラブライブ・サンシャイン」のラッピングバスである。

なんと、沼津市が舞台になっているアニメ「ラブライブ」ファンのために、東海バスがバスをラッピングしてツアー客を乗せているという。

さて、そのバスが何故この駐車場に止まっているのかというと、わが愛する「芹沢光治良記念館」が、「ラブライブ」の聖地となっているからである。

つまり、アニメに登場する女の子の一人が文学少女であり、芹沢光治良のファンでもあるのだと。

ワタシもアニメを観たわけでもないので詳しいことはよく分からないが、なにはともあれワタシの写真を展示してある二階のフロアに日本全国から「ラブライブ」ファンがやってくるのだ。それはもう凄い勢いでファンはやってくる。

ワタシの聖地がアニメの聖地と重なってしまったので、本当にワサワサしていたのであるが、これもひとつの運命と考えて、達観するようにしていたのである。
 

2020年11月12日木曜日

皆さんに感謝

今回の展覧会を終えてしみじみ感じたのは「人との縁の有難さ」というものであった。

ワタシが教員になり立ての頃の生徒(生徒と言ってももう還暦を迎えている生徒達だが)から現在教えているT高の生徒まで、その間およそ45年、その間に接した生徒が(勿論同僚だった先生たちも)、ほぼ勤務した学校ごとに今回の展覧会に顔を見せてくれたのである。

こんなに有難いことはない、ほんとうにこれは文字通りの「有り」「難い」ことなのである。

皆さんに感謝。

ワタシもこのことを糧に、これからも精進していかねばなりませんね。
 

2020年11月11日水曜日

コスモス

いよいよ最後の作品「コスモス」である。

「コスモス」を撮ることははワタシのライフワークのようなものであり、この花の写真だけは今までの展覧会においてすべて展示してきた。

何だか魅力的なんだよなー、コスモスという花は。



コスモス

 

「浮遊」
意味は、空中や水面に浮かび漂うこと。また行先を定めないで旅行すること。

コスモスという花は、この「浮遊」感が、非常に感じられる花である。(この思いは私だけか?)
これは茎が長い上に、その花びらがプロペラみたいに見えるからであろうか。
いかにも空中を「浮遊」し、また彷徨っているようでもある。

 「浮遊」という言葉、私はその雰囲気から外国語を日本語に翻訳するときに出来た造語なのだろうと思っていた。       

しかし、この言葉、意外に古くから存在しており「源平盛衰記には、次の表記があるそうだ。
「本朝鼎臣(ていしん)の外相を以て異国浮遊の来客見えん事・・・・・」