カタカナ語としてある種の定着を達成しているものがある一方、ほとんど定着している感がないカタカナ語が多数ある。
そして、それらの未定着のカタカナ語が実に堂々と公の談話で使われているのである。
例えば、「確認する」の意味で「飛行機の予約をコンファームした」とか、倫理上の問題を取り上げて、「エニシカルな問題」と言ったりする。
このようなカタカナ語の使われ方を見るに、日本人、特に英語の語彙力を持つ知識人たちの間では、外来語として定着していなくても、場合によっては使用例がなくても、英語の言葉をを日本語の中で使用してもよいという了解があるように思われる。
『カタカナ語使用の心理』谷川幹(2013年度 徳島大学入試問題から)
著者は、この未定着英語を使用する効果について、「語気緩和や婉曲、さらに知的な気取りの効果が挙げられる」という。
言葉というものの目的は、言うまでもなく「コミュニケーション」である。
「知的な気取り」のために、「コミュニケーション」を犠牲にするなど、本末転倒なんだろうがね。
おっと、「コミュニケーション」という外来語は定着語だろうか?
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