2015年2月28日土曜日

「霊操」

昨日は「操」について書いたのであるが、「操」という字、動詞では「あやつる」の意を持つ。
「操業」「操作」、挙げればきりがない。

さて、その中に「霊操」というのがある。
「霊操」とは、イグナチオ・デ・ロヨラによって始められたイエズス会の霊性修行、またその方法を記した著作だという。

「体操」で身体を鍛えるように「霊操」は「霊魂」を鍛えるのだと。
修行の到達点においては、神と深い人格的交わりを持つ。
これが神のご意志を見出すことなのだそうだ。
なお、「霊操」は一回一時間、一日五回、これを四週間行なう。

うーん、私にはとてもできんね。

2015年2月27日金曜日

松と操を比べんいざや

N西では日曜日に行なわれる卒業式の練習。

N西の校歌は校歌としては珍しい男女二部合唱である。
旋律もなかなか美しく、聴いていると頭の中にスッと入ってくる秀逸な旋律だ。
しかしながら、旋律と共に発せられる歌詞は、(これは歴史のあるどこの学校でも同様だが)極めて、暗喩的であり、難解な部分を含んでいる。

例えばN西の校歌には「松と操をくらべんいざや」の部分。
松は樹木の松である。
一方、操というのは狭義で貞操のこと。
広義では、本来やろうと思ったことや自分の主義・主張を、誘惑や圧迫に負けないで貫くこと。
おそらくここでは、後者の意味で、「自分の決めたことを、しっかり貫いていこう」ということだろうと想像した。

さて、それではこの操を樹木の松と、どう比べるのか。
要するに、松は何の暗喩か?
ということになる。
これは漢和辞典を引くことによって何となく理解できた。
辞典(三省堂 漢字海)にいわく。
松は常緑高木であり、厳寒に耐え樹齢も長いので、貞節や長寿の象徴とされる。

ん?
貞節?
貞節だったら貞操と同じ意味ではないか。
貞操というのは、「(婦人が)性的関係の純潔を保持すること。(三省堂 新明解国語辞典)」
とある。

うーん、かつて女子高校だったN西の、これは遺物なのだろうか。



2015年2月26日木曜日

骨肉の争い

昨今のニュースを賑わしているのが、大塚家具のお家騒動である。
週刊誌的にいうなら、「父娘の骨肉の争い」とでも言うのだろうか。
創業者の父親と、その後を継いだ娘が会社の運営方針をめぐって対立しているのである。

娘は、父親の始めた訪れたお客に名前などを書いてもらい、店員が商品の案内をする「会員制」と呼ばれる販売手法(この手法が、だんだん時代に合わなくなり、大塚家具は赤字をかかえてしまった。)を見直し、お客が気軽に入店しやすくなるような戦略を強化した(この戦略によって業績が伸びた。)のである。

自分が創業したのだから、自分の方針でやらせろという父と、会社は社長の私物ではないのだから、利益を第一に考えなければならないという娘。

ニュースを見ていると、それぞれどちらの言い分にも一理がある。
なかなか外側からは、見えない部分もあるのだろうね。


2015年2月25日水曜日

名古屋シリーズ⑥

今日も名古屋シリーズ。

名古屋で宿泊したホテルの部屋の真ん前に、写真の看板があった。
何と、名古屋なのに「東京福祉大学」である。
聞けば、ここは「東京福祉大学」名古屋キャンパスだという。
さらに、同大学は2000年に群馬県伊勢崎市で開学したそうである。
何か妙な感じは否めないのであるが、「東京」の名を冠することが肝心なのだろう。

考えてみれば、千葉県にあっても「東京ディズニーランド」と、いうものね。


2015年2月24日火曜日

三勝食堂

名古屋に宿泊の時、宿泊所の近くにあった食堂の看板である。

こういうタイプの看板は、時代がかっていて、何となく好きだ。
看板の右側面と左側面には、「いらっしゃいませ 食事・晩酌」とあり、そのあとに「三勝食堂」とある。
「食事」は兎も角、「晩酌」という言葉がフルっている。
「晩酌」というのは、三省堂の新明解国語事典によると、「家庭で晩飯の時に習慣的に酒を飲むこと」である。

「家庭の」は削除しても、同じ意味となるそうだ。
しかしながら、そのあとの「習慣的に」が問題である。
「毎日、酒を飲む習慣があって、今日も飲まずにはいられない人、いらっしゃいませ。」
てぇ意味にでもなるのだろうか。

さて、正面のメニューもなかなか面白い。
真ん中あたりに、「カレーカツ丼 700円」とある。
エエーッ、「カツ丼」の上に「カレー」がかかっているのか?
もっとも、名古屋と言えば「みそカツ」だ。
では、「みそカツ」の上に「カレー」か?
なんか両方とも妙な感じだなあ。

単なる「カツカレー」だったら怒るぜよ。







2015年2月23日月曜日

「マンホール」の蓋

名古屋の道を歩いていて見つけた「マンホール」の蓋である。
マンホールの蓋というのは、地域によってそれぞれのデザインを使っているので、面白いデザイン(キャラクターか?)をみつけると、思わずジッと見てしまう。

人の歩いている歩道で、足を止めて写真を撮るという動作は、人通りが多ければ多いほど恥ずかしいのである。
しかし、今回は思い切って足を止め、しっかりシャッターをきってしまった。

円の中心にいる虫のようなもの。
ナンカ宇宙人のような顔をしているのだが、よく見ると、「アメンボウ」であった。

なるほどね。
水に「アメンボウ」なのである。

2015年2月22日日曜日

和モダン

写真は「河文」という名古屋最古の料亭である。
明治時代には、総理大臣の伊藤博文も訪れており、その書も掛け軸として、残されているという。

一昨日宿泊した名古屋丸の内の「アイリス愛知」の直ぐ近くに、妙な形をした建物があったので、写真を撮ってみたのだが、それが料亭「河文」の建物の一部だった。

料亭というと、ちっと庶民には近寄りがたい(近寄りがたくというよりも、近寄ることが出来ない)場所であり、きっと、かつては日本の中枢にいた人間が、良くない相談(良い相談もあったかも知れないね)をしていたのだろう。

しかしながら、最近は「料亭ばかりでは」ということで、イタリアンのレストランも併設したのだと思う。

和モダンというのか何ていうのか、この雰囲気は結構好きな雰囲気である。
おおー、この中でランチでもディナーでも食べてみたいものだ。



2015年2月21日土曜日

結婚式

名古屋での結婚式は素晴らしい結婚式であった。
一種のショウを見ているような感じであった。
後で聞けば、式をプロデュースする専門家がいて、いろいろ手助けをしているとのこと。
最近の結婚式の新しい形なのかもしれない。

何れにしろ、久しぶりにG南時代の生徒たちに会うことが出来、楽しい一時を過ごすことができて感激である。

同じテーブルについたかつての教え子たちは、皆結婚しており、落ち着いた雰囲気であった。
不思議なもので、十年以上顔を合わせていなかったのにもかかわらず、まるで先週以来ででもあるかのような会話が出来た。

みんな生き生きとしていて、私にも勇気を与えてくれた。

2015年2月20日金曜日

名古屋より

G南の時の教え子の結婚式が名古屋で、ということで、前日になごやに乗り込む。今回は、お金がないのと興味本位から東名バスに乗ってみた。
結果からいうとこれは修行である。修行というよりも苦行か。御殿場を13時に出て名古屋到着が18時だった。五時間バスはさすがにつかれるなあ。

宿泊場所は「アイリス愛知」。
結婚式場も兼ねた立派な施設である。
写真は部屋からの夜景。
なかなかの夜景であった。

明日の結婚式が良い結婚式でありますように。

2015年2月19日木曜日

げそ天蕎麦

「秘密のケンミンショー」という番組で、山形の「げそ天そば」について紹介していた。

要するに、ざる蕎麦にイカの「げその天麩羅」をセットしたものである。(これが美味いんだなあ。)

我々の地元で天麩羅蕎麦と言えば、海老の天麩羅がのっているもの、あるいはザル蕎麦の横に海老の天麩羅がが添えられてているものを想像するのであるが、山形の蕎麦に添えられるものの一番人気は、この「げその天麩羅」なのである。

コストパフォーマンスにも優れ、味のほうも実に美味い。
どうしてこれが全国的にヒットしないのだろう。
不思議である。

2015年2月18日水曜日

確定申告

確定申告のために御殿場市民会館まで行く。
いつも思うのだが、確定申告とはなんぞや?

「確定」の意味は、「あいまいなところや不確かなところがなく、そのように決定すること」である。
この意味で注目したいのは「あいまいなところ」である。

自分の収入に関しては「源泉徴収」という鬼のような制度があるので、実に確かなのだが、問題は控除のほうである。
税にほとんど知識のない私には、よくわからないのだが、何かもっと控除されるものがあるような気がするのだ。

実に「あいまい」な気分で申告を終えた私であった。


2015年2月17日火曜日

あれから一年

雪が降りそうで降らない、妙な天気であった。
相変わらず三年生の二次対策をやっている。
これがなかなか疲れるのです。
マンツーマンで三人相手にすると、もうへとへとだ。
普段、しっかり頭を使っていないからでしょうかね。

午後、去年卒業した生徒(今は立派な大学生です。)が顔を見せてくれた。
去年の今頃、ちょうど小論文を指導していた生徒である。

去年と同じ時期に、同じ部屋の同じ席に座ってている、そして同じ顔(当たり前だが)をした生徒を見ていると、非常に不思議な感じがした。

2015年2月16日月曜日

「Bitte ラム&レーズン」

我が家は、私以外はすべて女性で構成されている故、家の中には常にお菓子が存在している。
存在というよりもゴロゴロしていると言った方が適当か?
私自身、そのゴロゴロしているお菓子を時々試してみるのだが、最近「おっ、これはなかなかイケますぜ。」と思ったのが、右のグリコ「Bitte ラム&レーズン」である。

言ってみれば、北海道銘菓、六花亭の「バターサンド」にチョコレートをコーティングした味なのだが、よく出来ている。
この味は秀逸だ。

もっとも、ラムレーズンが大好きな私なので、これは多少えこひいきもあるのだろうが、何はともあれ美味いのです。

2015年2月15日日曜日

ジェーン・スー

「ジェーンスー」の画像検索結果ジェーン・スーという妙な女性がいる。
昨日、ラジオ放送の「久米宏ラジオなんですけど」にゲストで出演していて、「面白いことを言う女性だなあ」とエラク感心してしまった女性である。

職業は、日本の音楽プロデューサー、作詞家、コラムニスト、ラジオパーソナリティー、といったところだろうか。

妙というのは、自称が「未婚のプロ」とか、著書に「私たちがプロポーズされないのには、101の理由があってだな」とかがある。
さらに、ジェーン・スーは芸名であり、生まれも育ちも東京都文京区「生粋の日本人」なのである。
なぜジェーン・スーになったかというと、外国人が割り引きされるプランがあったホテルに、外国人のふりをして宿泊、その時に使った偽名が、ジェーン・スーであったのだと。

なんかだんだん興味がわいてきたぞ。

2015年2月14日土曜日

森林破壊の先駆者

IN MY DREAMS赤坂憲雄『旅学的な文体』 の中に、次のような
ことが書かれている。

青森の「三内丸山遺跡」の縄文人たちは、木を伐る人の群れであり、大がかりな森林破壊の先駆者であった。

この時代の人々は、我々が想像しているような原始的段階にはなかった。彼らは、森の木を伐採し、次々と草地へと変えていった。伐られた木は暖をとり、調理するするための燃料となり、住居や公共の施設をつくるための材料とされた。

すなわち、彼らは生きるために、自然破壊を繰り返し行なっていたのだ。
現在に生きる我々は、自然破壊を短絡的に「悪の所行」と決めつけ勝ちであるが、この文は、その「悪の所行」を少々考えさせる文でもあった。

(写真は次に購入しようと思っている、ダスコ・ゴイスコヴィッチの「in my dreams」)

                         

2015年2月13日金曜日

「サン・ド・マー」

ダスコ・ゴイコヴィッチの「サン・ド・マー」というアルバムをセブンネットで購入する。
正確にいうならば「SAMBA DO MAR」である。

ダスコ・ゴイコヴィッチは、旧ユーゴスラヴィア出身のトランペット奏者で、1931年生まれというから、現在は80歳を超えている。
まあ、言ってみればジイさんトランペッターなのだが、これがどうしてどうして、2014年の師走に突然ビッグバンド・ボッサ発表、まだまだ活躍しそうなのである。

さて、今回購入した「サン・ド・マー」は、ダスコがブラジル音楽に魅了され、2003年にレコーディングした、サンバ、ボサノバ調だ。
聴いていて、実に楽しい作品でもある。

2015年2月12日木曜日

いももち

北海道のソウルフードと言われるもので、「いももち」
という「イモでつくったモチのようなものがある。(もちといってもこのモチはまったくのびないモチだ。)
今晩の「秘密のケンミンショー」という番組で、この「いももち」を取り上げていた。

製法はきわめて簡単。
皮をむいて茹でたり、蒸したりしたジャガイモを潰し、これにジャガイモ澱粉とか片栗粉を加えて練り上げ、丸餅のようにして焼き上げる。
最後に、醤油、バターなどをつけて出来上がり。

北海道は寒冷地ゆえ、米よりもジャガイモの方が収穫しやすいため、このような食文化が発達したのだそうだ。

私も「いももち」は北海道で何回か食べた経験があるが、うまいんだなー、これが。





2015年2月11日水曜日

未定着外来語

カタカナ語としてある種の定着を達成しているものがある一方、ほとんど定着している感がないカタカナ語が多数ある。
そして、それらの未定着のカタカナ語が実に堂々と公の談話で使われているのである。
例えば、「確認する」の意味で「飛行機の予約をコンファームした」とか、倫理上の問題を取り上げて、「エニシカルな問題」と言ったりする。
このようなカタカナ語の使われ方を見るに、日本人、特に英語の語彙力を持つ知識人たちの間では、外来語として定着していなくても、場合によっては使用例がなくても、英語の言葉をを日本語の中で使用してもよいという了解があるように思われる。

『カタカナ語使用の心理』谷川幹(2013年度 徳島大学入試問題から)

著者は、この未定着英語を使用する効果について、「語気緩和や婉曲、さらに知的な気取りの効果が挙げられる」という。
言葉というものの目的は、言うまでもなく「コミュニケーション」である。
「知的な気取り」のために、「コミュニケーション」を犠牲にするなど、本末転倒なんだろうがね。
おっと、「コミュニケーション」という外来語は定着語だろうか?







2015年2月10日火曜日

国宝一文字

三島市にある佐野美術館のチケットをいただいたので、学校の帰りがけに寄ってみた。
現在の展示タイトルが「ひとの縁は、ものの縁」

沼津市の実業家・矢部利雄氏が一代で築き上げたコレクション、「矢部コレクション」とでも言うのだろうか。
漆工、金工、陶磁器、さらに絵画に刀剣などの展示であった。
なかでも、「おおーこれは。」と思ったのが、長篠の合戦の恩賞として、織田信長が奥平信正に与えた一文字の太刀(国宝)である。
素人の目でみても、「うーん、これは切れそうだ。いや、切れたにちがいない。」と、その妖しさに引き込まれてしまう見事さであった。

もっとも、調べrてみると、一文字の太刀で国宝とされるものは、十振り以上あるようで、ここの一文字は「長篠一文字」というようである。

(写真は佐野美術館の庭で見かけた「梅の花」)

2015年2月9日月曜日

日本で、神社の一番多い県は?

昨日は「みくりやそば」のことを取り上げたのであるが、歩いていると写真のようなバスが駐車していた。

このバスは修理工場に駐車していたので、どこかを修理するか、あるいは車検なのであろうが、ずいぶん思い切ったボディーペイントである。
昨日説明したように、しいたけ、にんじん、鶏肉の具材が見られる。

日本で神社の一番多い県は新潟県で、お寺の一番多い県は、愛知県なのだそうだ。
へー、知らんかったなあー。



2015年2月8日日曜日

みくりやそば

御殿場のかつての名が「みくりや」である。
「みくりや」とは「御厨」と書き、神饌(神に供える酒食)を調達する場所のことだと言う。
つまり「台所」を意味する「厨(くりや)」に「神の」という意味の「御(み)」をつけたスタイルである。

現代では、この名を持つ地名は少なくなったようだが、かつては御殿場以外にも「御厨」の名は結構あったようだ。

御殿場も「市」となる前は、静岡県駿東郡御厨町であったのだ。

さて写真は、その「みくりや」を冠した「みくりやそば」のコマーシャル幟型看板である。
「みくりやそば」の特徴は、蕎麦のつなぎに山芋や自然薯を、出し汁には鶏肉を使用していること。
具材として、「鶏肉」「しいたけ」「にんじん」を入れるということなのだそうだ。

2015年2月7日土曜日

日本酒は、器に注ぐ前に酒瓶を激しく振ると美味くなる。

最近、あまり見かけることのなくなった、家と家との間の細道である。
この細道は公道なのだろうか。
それとも私道?
まあ、そんなことはどちらでも良いことなのだろうが、気になると言えばきになる。
生け垣(常緑樹を植えめぐらして作った垣根)で、境界線を作っている家も、最近はあまり見かけなくなった。
こんな細道を見ると、たまらなく昔が懐かしくなるようだ。

番組名を忘れてしまったが、その道のスペシャリストが教えてくれるナントカカントカというやつ。
その中で、日本酒のスペシャリストが面白い日本酒の飲み方を伝授していた。
スペシャリスト曰く、「酒を器につぐ前に、酒瓶を激しく振ると美味くなる。」
へー、そうなんだ。
理屈は、分子を増やすことによって、旨み(まろやかさ)が出てくるのだと。

2015年2月6日金曜日

予報は予報

予報では朝から「雪」のはずであったが、予報がはずれて、朝は晴天であった。

予報というのは、あくまでも予報であるのだからこれは文句の言えないことである。
予報の哀しさは、「予め(あらかじめ)」
「報じ」なければならないところ。」
ある意味、相撲の行司と同じだ。

行司という仕事も、「どちらが勝ったのか」報じなければならない仕事なのである。
それは、自分自身それ程の確信がなくても、である。



2015年2月5日木曜日

安定

人間社会にはそれ自体の安定を求める力が内在し、その為に文化の各領域の価値意識が相互に牽制しあって、全体としての安定を維持している。
それゆえ、あるひとつの領域で新しい地平を開拓しようとする先駆者は、自らの領域における反動だけでなく、たの領域からの牽制とも闘わねばならず、むしろその方で苦しむことが多い。

作家、高橋和己は、「悲劇の先駆者」の中でこう言っている。
彼は画家、青木繁を例に出して、説明する。
伝統的権威に支えられて安定している画壇に対し、浪漫的幻想の美意識に拠って立ち向かったものの、その結果あえなく押しつぶされてしまった。
それは画壇の圧力だけでなく、家族の生活という重荷、すなわち他の領域
からの牽制でもあった。
青木は、画家としての情熱と家族への倫理的責任感の内面的葛藤に耐えられず、自らを破滅に追い込んだ。
その遺書ともいえる肉親への手紙には、最期まで倫理観と美意識の矛盾に苦しんでいた彼の心情がうかがわれる。

安定とは何らかの犠牲の上に成り立っているのだね。

2015年2月4日水曜日

マラソン大会

N西はマラソン大会。
マラソンではなく、長距離走というべきなのだろうか。

寒いことを覚悟していったのだが、現地、愛鷹運動公園は意外に暖かく、写真のように菜の花は満開であった。
静岡県はやはり温暖なところなんだと、あらためて認識した次第である。

とは言ったものの、明日の天気は静岡県でも雪なのだそうだ。
「南岸低気圧の影響で太平洋側の各地では、平地でも積雪のおそれ。」
このように天気予報は告げていた。


2015年2月3日火曜日

最近の絵馬

昨夜のテレビ番組で、神社に奉納される絵馬のことが話題となっていた。

なんでも最近の神社は、絵馬に書かれた本人の住所だとか氏名を保護するためのシールを提供しているということである。
つまり、絵馬に書かれた「ナントカ大学に合格しますように」などという文章が、氏名とともにネットで流出してしまうことを防ぐためであるそうだ。
映像をみていると、確かに絵馬にはおよそ似合わない「赤い保護シールが貼られているのであった。

なんと無粋なことか。
どう考えても変だ。
ダイタイ絵馬には本人の氏名など必要あるまい。
名前なんか分からなくても、神様はちゃんと見ていてくれるのではないか。

私はそう思うのですがね。

2015年2月2日月曜日

老人は名から忘れる。

言葉の意味は名付けから始まるらしい。
子どもはまづ、母語の音調、リズム、音素を覚える。
この準備は胎内から始まり、出生後、言語が意味を持つという事実を体験し、身につけて行く。
そして、言葉を口にするよりも先にかなり多くの言葉(音楽の組み合わせ)が何を指すか理解するという。

それに対して、老人は名から忘れる。
文法構造の方はかなり後まで残って、名のあるところは、「あれ」「それ」でつぎはぎされる。
つまり、文法構造あるいは文脈的ネットワークはずいぶん後まで保存されるようである。

(中井久夫『私の日本語雑記』 北海道大学2011年入試の問題から)

うーん、まさにそのとおり。
「あれ」「それ」老人の私である。


2015年2月1日日曜日

日本語が亡びるとき

明治時代の日本の学者たちは、西洋の学問を翻訳し、取り入れるために、日本語を「学問の言葉」とした。
ところが、現代は英語が地球規模の「普遍語」として流通するようになると、叡智を求める人ほど「普遍語」に惹かれ、日本語を読まなくなった。
今、世界の学問の場に参加して、言葉を発信しようとする日本の研究者は、(専ら世界の読まれる言葉である)英語を使って書こうとし、日本語は「学問の言葉」ではないものに転じつつある。
このような動きは、この先、日本語にどのような影響を与えることになるのだろうか。

(水村美苗『日本語が亡びるときー英語の世紀の中で』)

2010年度、北海道大学個別試験の国語の問題文要旨である。
問題を解きながら、「おおー、まったくその通り。」と叫んだ私である。

(写真は散歩途中に見つけた面白い看板。)