漱石の「こころ」である。
今日の朝刊には、こんな記述があった。
「要するに先生の暮しは贅沢とはいえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。」
ん?
「あたじけなく」
ん?
身近にあった国語事典を引いてみたが、この語は載っていない。
そこで広辞苑。
さすが広辞苑です。
「あたじけない」の意味として、「けちである。」とある。
なるほど、ここは「あたじけなく切り詰めた」とあるので「けちで切り詰めた」ということだ。
さて、「あじけない」を引いた時に「けちである。」の意の隣に「しわい。」の意があった。
ん?
「しわい」とは何じゃ?
そこで次に「「しわい」を調べてみた。
「しわい」
古文では「しわし」、漢字で書くと「吝し」である。
「吝嗇(りんしょく)」の「吝」だ。
この漢字で納得がいく。
「しわい」の意味も、やっぱり「けちである。」の意味なのである。
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