奈良の興福寺に「阿修羅像」という仏像がある。
国宝でもあるこの仏像は、チャーミングな仏像として女性に人気の仏像でもあるのだが、そのモデルとなったであろう人物がなかなか面白い。
モデルは後に「孝謙天皇」となる「阿倍内親王(聖武天皇と光明皇后の娘)」だったとも言われている。
「阿修羅像」制作時の時、彼女は十七歳。
この四年後に、日本史上唯一の女性皇太子となった。
もともと女性であるが故に、皇太子とは成り得ないのであるが、聖武天皇と別の夫人の間に皇子が生まれたため、光明皇后の実家である藤原氏が、新しく生まれた皇子の即位を阻むために女性皇太子を立てたのである。(まあ、言ってみれば、藤原系の次の皇子が生まれるまでの中継ぎですな。)
しかしながら、藤原系の皇子はその後生まれず、「阿倍内親王」が「孝謙天皇」として即位することとなる。
「孝謙天皇」はその後「道鏡」と仲良くなったり、重祚(ちょうそ=退位した天皇が再び皇位につくこと)して「称徳天皇」となったり、波乱万丈の人生を送るのであるが、考えてみれば「孝謙天皇」自身が、帝釈天に戦いを挑み鬼神とされてしまった「阿修羅」そのものであるのかもしれない。
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