週刊朝日という週刊誌に「哲学と親鸞」のタイトルで面白い記事が載っていた。
この記事は、作家司馬遼太郎の言動を中心にまとめられたものだ。
司馬遼太郎は言う。
浄土真宗の開祖、親鸞には「教行信証」という教義書があるが、一方で教えを弟子の唯円が聞き書きしてまとめた「歎異抄(たんにしょう)」は非常に読みやすい書でもある。
その「歎異抄」を読むと、宗教家というより、むしろ個人にこだわる思想家の親鸞が浮かび上がる。
「念仏は他人のためにあるのではない。親鸞一人のためにある。」
のくだりは、じつにはげしいもの。一人の弟子も持ち候っわずと言って、教団をも否定してしまっているのだ。
浄土真宗を大教団にした蓮如は「歎異抄」について、「信者にみだりに読ませてはいけない書」としている。
宗教というものはなかなか厄介なもので、教義を開いた人間の意志とはまったく異なった方向に行ってしまうこともママあるようだ。
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