昨日か一昨日か、富士山に降った雪の量がだいぶ増えていた。
富士山と雪と言えば思い出されるのは、百人一首にもある山部赤人の和歌である。
「田子の浦にうち出でて見れば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ」
この和歌、実は誰かの手によって変えられてしまっている。初出は万葉集の
「田子の浦ゆうち出でて見れば真白にぞ富士の高嶺に雪は降りける」なのだ。
誰が変えたか、犯人は決定的ではないが、鎌倉時代の「新古今和歌集」の選者であり、小倉百人一首の選者でもある藤原定家であることは、ほぼマチガイないだろう。
この二つの和歌には、大きな違いがあって、万葉集の「田子の浦にうち出でて見れば」を現代語訳すると、「田子の浦に出て仰ぎ見ると」となる。一方「田子の浦ゆうち出でて見ると」は、「ゆ」は「~から」の意があるので、田子の浦から(視界の開けたところに)出て見ると」である。
つまり、後者は視界の開ける海上から眺めているのだ。
また、万葉集の「雪は降りける」の「ける」は過去の助動詞であり、雪は過去の雪であるのに対して、「雪は降りつつ」となると現在雪が降っていることになる。
藤原定家というのは、誰もが認める和歌の巨人ではあるのだが、もし定家がこの和歌を変えたのならば、チョイトやり過ぎではなかろうか。
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