朝刊のコラム「折々のことば」を連載している哲学者、鷲田清一がコラムについて語った記事があった。
其の中に次のような言葉が。
このところよく「ポスト真実の時代」だと言われます。
真実が通用しなくなった、という意味で言われているのでしょうが、そもそも「真実の時代」などあったためしがあるでしょうか。同時代の社会をとらえるというのは、目の前にあるさまざまな出来事や徴候のなかから、意味あるものをつかみだし、再構成することです。そこには一定の視点があります。
「事実」は「解釈」でもあるのです。
うーん、その通りである。
アメリカの大統領とか、日本の政治家のことを頭に浮かべると、なかなか「真実」というものが通用しなくなっている感が強い。
彼らには「本当のこと」なんてどうでも良いのだ。
さらに、「今まで虚というもの」が無い時代があったのかと、いうと、これも疑わしい。
結局、鷲田清一が言うように「事実」は、我々の「解釈(出来事をどのように信じるか)」に他ならないのである。
(写真は秩父宮記念公園の紫のチューリップ。)
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