2016年11月3日木曜日

何もないところにこそ意味がある。


「何もない伊藤若の魅力」という記事が新聞に載っていた。
f:id:h-idayu:20160124084457j:plain江戸時代(1700年代)に京都の町中(まちなか)に特異な才能が出現した。鳥や魚、虫や植物を博物学的な精密さで写しとりつつ、現代のグラフィックデザインを先取りするような目の覚める色彩と奇抜な配置で鮮やかに描き出した絵師伊藤若である。(途中略)ときに、若というこの不思議な号は中国の古典「老子」の一節に由来するという。「大盈(えい)は沖(むな)しきが如し、其の用は窮まらず。」意味は「「大きく満ちているものは何もないように見えるが、その働きは無限である。(再び略)。彼の絵には空疎な抜けがある。しかし、その間には、世界を支える働きがある。つまり、若沖の絵とその名が暗示することは、何もないところにこそ意味あるという真実なのだ。ワタシも、この「何もないところにこそ意味がある」には、大いに感動した。思えば写真を写す際にも、「何もない」部分は重要な部分となる。極言すれば、空間を活かすか否かによって、その写真の善し悪しは決まってしまうように思えるのですがね。

 


0 件のコメント:

コメントを投稿