日曜日朝刊、読書の欄に松尾義之「日本語の科学が世界を変える(筑摩選書)」の紹介(書評・津田塾大学教授・菅野稔人)があった。
日本語を母語とする人にとって、科学の分野でノーベル賞を受賞するには、どれくらいの英語力が必要か。
2008年にノーベル物理学賞を受賞した益川敏英は、その受賞講演で「アイキャンノットスピークイングリシュ」と述べて、日本語で講演した。
一方、高い英語力を持った研究者が多い韓国では、なかなかノーベル賞受賞者が生まれず、なぜ日本が多くの受賞者を生み出せるのかに、強い関心が寄せられている。
すなわち、英語がどこまで堪能なのかは、科学の分野で世界的な仕事をなす上で本質的な問題ではない。
さらに著者は言う。
では、なにが本質的なのか。
それは、日本では英語に頼らなくても日本語で科学することができる点にあるのだと。
江戸末期以降、日本は西洋から近代文明を必死に取り入れ、新しい単語を創出しながら、日本語の中に近代的な知の体系をつくりあげてきた。
その蓄積が、日本語で科学することを可能にした。
日本の創造的な科学者たちにとって、最大の武器は日本語による思考だ
たしかにそこでは英語力も必要だろう。
しかし、今の日本のアカデミズムや教育行政では、その最大の武器が忘れられ、英語で論文を書くことばかりが重視される。
うーん、何か久しぶりにスカッとする言葉だなあ
0 件のコメント:
コメントを投稿