2015年3月31日火曜日

値上げ

明日、四月一日からいろいろなものが値上げされるいう。
一方、物価上が昇するにもかかわらず年金は上昇しないという。
実質的な年金の目減りである。

我々の若い頃に説明されたシステムとは、明らかに異なったシステムになってきたようだ。

こんなのは詐欺ですぜ。

高校野球が面白くなってきた。
前評判の高かったチームがだんだんいなくなって、明日の決勝は、福井県と北海道のチームとなった。
両校とも勿論初優勝だ。
どいらもガンバレ。


2015年3月30日月曜日

離任式

N西は離任式。
離任する教員の話、それぞれ味があり、聞き入ってしまうのである。

国語科のHさんの話。
流石だね。
落語ファンであるHさんは、いつものオチをつける話しっぷりで、すっかり聴く人の心を掴んでいたようだった。

離任式の後は、ちょいと時間をとって送別会。
学校から程近い千本にある「VILLA EFFE」で
のイタリアンだった。
こちらも、最初のパンはいただけなかったが、まずまずの料理。

平穏無事に送別会は終了した。
離任される先生方、ご苦労様でした。

2015年3月29日日曜日

9秒87

町内会の清掃と、年に一度の総会あり。
学校というチョイト特殊な団体にいると、社会的な常識が欠如することも多々ある。
こんな時に近所の方々とコミュニケーションをとるのは大事なことである。

追い風参考記録だが、米テキサス州で行なわれた陸上男子100mで、日本の桐生祥秀選手が9秒87を出した。

日本人がどうしても出せなかった100m9秒台の記録、今日は日本の陸上界にとって記念すべき日となることであろう。

2015年3月28日土曜日

御殿場の桜

御殿場の桜である。
といっても早咲きの桜(河津桜か?)
場所は、御殿場でも南の方にある神山(こうやま)の御殿場ビール。
先週、出勤途中に撮ってみた。

ソメイヨシノの真っ白とは違っていてピンクの桜だ。
ピンクはピンクで、なかなかいい。

御殿場の白い桜は、まだまだ。
しかし、ここからあっという間に咲きそろうのが御殿場の桜でもある。

今年も秩父宮記念公園の夜桜を見に行くことにしよう。


2015年3月27日金曜日

沼津の桜

沼津の桜は八分咲きだろうか。
写真はN西の校庭にある桜の木である。
これから満開となり、春のクライマックスを迎えることになる。

桜を写真に撮ることは、簡単そうで実はかなり難しい。
近づき過ぎると、植物図鑑の桜になってしまうし、遠ければ遠いで何だかボケたものとなってしまう。
面白くもなんともない。

総体的にみれば、インパクトのある、どちらかというと派手な花であるのに、撮り方によっては、どうしようもなくつまらない写真となってしまうのである。
桜の写真は実に難しいのである。

2015年3月26日木曜日

「臭う」と「嗅ぐ」

ちょっと前にブログにおいて、「戻る」の字の「戻」の下の部分は、そもそも「大」ではなく「犬」であったということを触れてみた。
しかしながら、では何故「犬」が「大」になったのかについては、触れることができなかった。
今日は、そこについてちょいと触れてみたい。

「戻る」と共に、私にとって謎だったのが、「臭う」と「嗅ぐ」である。
「臭う」と「嗅ぐ」は、どう考えても同類項である。
ところが「臭う」は「大」であるのに、「嗅ぐ」は「犬」となる。
一体、この違いはどこからくるのだろう。

2010年に、内閣府が、それまでの当用漢字表から五字を削除し、一九六字を告示した。
その追加漢字の中に「嗅ぐ」が含まれたのである。
この「嗅ぐ」が含まれたことが妙なものを、ますます妙にしてしまった。

実はこの時、「嗅ぐ」の「嗅」は同じ常用漢字なのに「口ヘン」がついているかどうかで、「大」と「犬」の違いが生じるのは、漢字教育に混乱をきたすのではないかという議論があったそうだ。(実際私は混乱しております。)
さて、結果は「嗅」は本来の「犬」を変えることなく、「嗅」となったのである。
では、何故「臭」の方は「犬」が「大」に変えられてしまったのか。

戦前まで「犬」であった部分が、「大」に変わった例は、「器」「類」「突」などがあるという。
この変化は、日本の敗戦と大きくかかわるのだそうだ。
漢字の煩雑さを解決しようとして、1946年、当用漢字表1850字が内閣告示された。
この時に、「自」+「犬」が廃止され、「臭」が登場したのである。
「漢字の読み書きを平易にし、正確にすることを目安として一画を減ずる例」として「臭」という妙な字が出てきたのだ。(これは、漢字としては正確ではありませんがね。)

「器」「類」「突」も同様である。
「突」は、「犬」が急に「穴」から出る様子を表しているのだ。
「大」が飛び出してもしょうがないだろうに。




2015年3月25日水曜日

極楽、極楽。

久しぶりに山中湖の「紅富士の湯」にでかける。
春休みゆえ、平日でも混雑しているのではないかと、覚悟して行ったのだが、意外と客は少なく、露天風呂などは、一人で貸切の状態であった。
ああ、極楽、極楽である。
春には珍しく晴天なり。
お湯に浸かりながら富士山をゆっくり眺めることなど、滅多にできることではない。

また、ここの風呂のミストサウナが良い。
ハーブの香りとともに蒸気が発生し、みるみるうちに全身から汗が噴出す。

これも、極楽、極楽である。

2015年3月24日火曜日

ジャズライブ

埋め込み画像への固定リンクジャズライブを聴きに富士市のライブハウス「ケルン」まで出掛ける。
出演バンドは「早稲田大学モダンジャズ研究会」。
アルトサックス、トランペットの2ホーンに、ピアノ、ベース、ドラムのクインテット編成であった。
「早稲田大学モダンジャズ研究会」というのは、かつてタレントのタモリも籍をおいていた由緒正しき研究会であるそうだ。

感想を言うなら

素人にしては、上手すぎる。(実際、メンバーメンバーそれぞれが、、いろいろなライブハウスで演奏しているそうだ。)
しかし、玄人(プロ)にしては、やや物足りない。(恐らくこれから飛躍していくのだろう。)

といったところか。
無論、学生であるのだから、プロの技まで要求するのは、見当ちがいというものだろう。
大学生たちは、皆一生懸命で、とても好感がもてた。


2015年3月23日月曜日

「戻」という漢字

通勤途中にラジオを聴いていると、「戻る」の「戻」という漢字が話題となっていた。

「戻」は音読みで、「レイ」と読む。
意味は動詞で
①そむく。違反する。②到着する。③空気を吹いて乾かす。
また形容詞で
①ひねくれたさま。②猛烈なさま。はげしい。③凶暴なさま。
④安定したさま。
さらに名詞で
①罪。②利益。
とある

ちょと待て、「戻る」には「もどる」意味などないではないか。
漢和辞典で、その成り立ちを調べると、「戻」は会意文字で、「曲がる」ことを意味しているとある。
これは「犬」が「戸」の下から出る様子、から構成されているのだ。
きっと「犬」の体が曲がっている様子なのだろう。
では、何故「曲がる」意味の「戻」から「もどる」の意味が出てきたのか。
漢和辞典には、「日本語用法」として次のように書かれている。
「戻」は元の状態に「返る・返す」こと。「戻」に「そむく」意の「モトル」の訓のあるところから、「逆に進む」意の「戻る」に当てたのではないか・・・・・と。

つまり、中国では「戻」は基本的に「そむく」の意であったが、日本では「そむく」ことが「逆に進む」意に変化したということだ。

「戻」には、もうひとつ妙な部分がある。
「戻」の下の部分は、実は「大」ではなく「犬」であったはずだ。
それが何故「犬」が「大」になってしまったのか。
これについては、「どこかで誰かが、ウッカリ間違えた。」というしかない。

他の漢字で考えてみよう。
例えば、「臭い(くさい)」は「大」だが「嗅ぐ」は「犬」である。
「臭」を漢和辞典で調べると、会意文字として、「臭」は「自(はな)」と「犬」で構成されている。
「犬」が「自(はな)」を使って小動物を追跡する様子を意味しているのだ。
当然、意味としては「臭」の下の部分は「犬」であるべきなのだろう。

漢字としては、「臭い」より「嗅ぐ」のほうが原型を保っているのだ。
同じジャンルと思われる字が、片方が「大」で片方が「犬」というのは何か妙である。
たぶんこれも、「どこかで誰かが、ウッカリ間違えた。」に違いない。

さあ、これからは「戻る」の下の部分を「犬」と書いている生徒に、「これは違っているよ。」とは言い難いなあ。

2015年3月22日日曜日

花粉症

以前より花粉症の傾向があって、若いころはだいぶ苦しめられていた。
何時のころからか、薬を飲んでも所詮は一時的なもの、体にとっていいはずはないと達観し、一切薬を飲まずに、自力でなんとかしてきた。
また、体の方もだんだん慣れていくのだろう。
年を経るにしたがって、症状が軽くなってきたような気がする。

そして、今年も、花粉の飛しょうが多いというわりに、症状は酷くなかった。

ところが、である。
今日になって、突然クシャミが激しくなった。
な、なんだこのクシャミは。
もちろん、クシャミが激しくなっても薬を飲むことは考えていない。
これからも、自然に治るのを待つ。

今、飛しょうしている花粉の種類は何なんだろうか。



2015年3月21日土曜日

大山(だいせん)


今日から春の高校野球。

何気なく試合を見ていると、中国地方にある「大山(だいせん)」という山が登場した。
試合は、茨城県の常総学院と鳥取県の米子北であった。
「大山」が登場したのは、もちろん米子北高校の学校紹介の時である。
そこに現れた山塊を見て、四、五年前に米子空港に飛行機で行った際、上空からの「大山」を思いだしたのだ。

「何とデカイ山。」
それが率直な感想であった。
しかも「変な山。」

チョイト分かりにくいが、左下写真のを見ると、「大山」という山は、二つの異なった山をくっつけた感じがうかがえると思う。
切り立った崖のような山と、我々が普通に見る山が、くっついているのである。

上空からの「大山」は、実にデカク、実に変な山であったのである。

(写真は「大山百景フォトギャラリー」から)


2015年3月20日金曜日

地下鉄サリン事件から20年

地下鉄サリン事件から20年だという。

つらつら思い出すに、あの朝はG南高の勉強合宿中であった。
朝の打ち合わせ終了後、合宿施設のロビーでテレビを見ていると、尋常でない画面が映し出された。
何が何だかわからないうちに、被害のひどさだけが報じられていった。

その正体は、日本の歴史に残る無差別テロであった。

折も折、チュニジアで博物館の襲撃事件が報道された。
観光客を狙った無差別テロである。
怨みも何も無い無関係の人間を無差別に殺す。
人間として最低の所業だ。

ふたつの無差別テロ、何れも背景にあるのは宗教的なものである。
信仰というものを否定する気持ちはないが、信仰は一歩間違えると、とんでもないことを引き起こす危険をはらんでいるような気がする。


送別会

ブログをアップする時間が午前0時を回ってしまって、三月二十日の0時15分となってしまった。

よって今回は、十九日分を二十日に書いているのである。

N西国語科の送別会を千本「志満津」という寿司店で行なう。
「志満津」のウリはなんと言っても、駿河湾に沈んでゆく夕陽なのだが、今日は生憎の雨。
残念ながらウリの夕陽は見ることができなかった。
考えてみれば、前回「志満津」での食事会も雨。
私の心がけが、よほど悪いのだろう。
予算がいくらだったかは分からないが、ネタは随分良かったような気がする。

たまには、こういう贅沢もいいなあ。

2015年3月18日水曜日

風車

写真は御殿場ビール(時之すみか)の敷地内の風車である。
「ある」というよりも、正確に言えば「あった」なのだろう。
この風車、写真を撮ってから間もなく、撤去されてしまったのだ。
何故撤去なのかは、よく分からないのであるが、推察するところ、この風車から得られるエネルギー量が、維持費をペイできなかったのであろう。

というわけで、この写真は御殿場ビールに存在していた風車の最後の勇姿なのである。

私的には結構好きな風景であった。
こういうタイプ風車のことを、「プロペラ風車」というらしい。
以前、御前崎を訪れた時に、大型のプロペラ風車を見て、「おおー、でっけえなあー」と驚いたことがあったが、サイズの小さな風車が林立している風景もなかなか良いものである。



2015年3月17日火曜日

auの「三太郎」

インパクトのあるコマーシャルの条件は、その「バカバカしさ」である。

ソフトバンクの「犬」、パチンコ・コンコルドの「夫婦」。
何れも現実にはあり得ない設定が使われている。
その意味で、最近もっとも「バカバカしい」のがauのコマーシャル「三太郎」である。
桃太郎、金太郎、浦島太郎の三人が実は仲の良い友人であったのだ。

三月になると、この「三太郎」のひとり、イケメンの桃太郎に彼女ができる。
NHKの朝の連続ドラマで売り出した有村架純という女優が扮する「かぐや姫」だ。
彼女は言う。
「家族になろう?」
家族割りのコマーシャルである。

実にバカバカしいのだが、これが面白いんだなあ。


2015年3月16日月曜日

日本語で科学すること

日曜日朝刊、読書の欄に松尾義之「日本語の科学が世界を変える(筑摩選書)」の紹介(書評・津田塾大学教授・菅野稔人)があった。

日本語を母語とする人にとって、科学の分野でノーベル賞を受賞するには、どれくらいの英語力が必要か。
2008年にノーベル物理学賞を受賞した益川敏英は、その受賞講演で「アイキャンノットスピークイングリシュ」と述べて、日本語で講演した。
一方、高い英語力を持った研究者が多い韓国では、なかなかノーベル賞受賞者が生まれず、なぜ日本が多くの受賞者を生み出せるのかに、強い関心が寄せられている。

すなわち、英語がどこまで堪能なのかは、科学の分野で世界的な仕事をなす上で本質的な問題ではない。

さらに著者は言う。
では、なにが本質的なのか。
それは、日本では英語に頼らなくても日本語で科学することができる点にあるのだと。
江戸末期以降、日本は西洋から近代文明を必死に取り入れ、新しい単語を創出しながら、日本語の中に近代的な知の体系をつくりあげてきた。
その蓄積が、日本語で科学することを可能にした。

日本の創造的な科学者たちにとって、最大の武器は日本語による思考だ
たしかにそこでは英語力も必要だろう。
しかし、今の日本のアカデミズムや教育行政では、その最大の武器が忘れられ、英語で論文を書くことばかりが重視される。

うーん、何か久しぶりにスカッとする言葉だなあ




2015年3月15日日曜日

高等遊民

今日の朝刊に「高等遊民」が特集されていた。

現在連載中の夏目漱石「三四郎」。
その後に予定されているのが、同じく漱石の「それから」。
この主人公・長井代助が「高等遊民」といわれることからこの特集が企画されたようだ。
また、最近ネット上でも、いわゆる(月9)ゲックのトレンディードラマの登場人物が、この「高等遊民」であることから、注目を浴びているのだと言う。

「高等遊民」、面白そうなので、ちょっと調べてみる。
すると、関西大学教授 竹内洋氏 「高等遊民と危険思想 教養難民の系譜(2)」の中には、次のような論文があった。


漱石と高等遊民

高等遊民という言葉は、夏目漱石によるものとおもう人がいる。おそらく芥川龍之介の『侏儒の言葉』に「露悪家」「月並み」などとならべて、「高等遊民」も「夏目先生から始まってゐる」とあることによっているだろう。
 たしかに高等遊民という言葉に独自の意味を充填したのは夏目漱石である。漱石の造形した高等遊民像は『それから』の長井代助に体現されるような人間像である。「パンに関係した経験は、切実かも知れないが、要するに劣等だよ。パンを離れ水を離れた贅沢な経験をしなくちや人間の甲斐はない」「職業のために汚されない内容の多い時間を有する、上等人種」というのが漱石の造形した高等遊民像である。しかし、それは単に一定の財産があり、「パンを離れ水を離れた贅沢な経験」をすることができるというだけの意味ではなかった。漱石は金力と権力が荒れ狂う「文明の怪獣」を『野分』や『二百十日』で激しく非難したが、現実社会についてそうした批評眼をもつことのできる知識人として造形されたのが漱石の高等遊民像である。
 もっとも漱石が作品中で「高等遊民」という言葉を使用しているのは、『彼岸過迄』だけである。漱石の造型した高等遊民の代表格である代助が登場する『それから』には、「三十になつて遊民として、のらくらしてゐるのは、如何にも不体裁だな」、と「遊民」という言葉はでてくるが、「高等遊民」という用語は一度もでてこない。しかし、明治45年2月13日付の笹川臨風宛の書簡には「小説をやめて高等遊民として存在する工夫色々勘考中に候へども名案もなく苦しがり居候」とあるように、自らが描く高等遊民への憧憬が並々ならぬものであったことがわかる。『吾輩は猫である』の迷亭、『虞美人草』の甲野欽吾、『三四郎』の広田先生、『彼岸過迄』の松本や須永、『こゝろ』の先生は、いずれも漱石のいう高等遊民である。
 独立不羈の知識人という意味での高等遊民像は漱石を嚆矢とするが、一般には中等学校以上を卒業しても職につけない者、あるいは上級学校へ進学がかなわなくてぶらぶらしている教育ある遊民を指示する言葉として登場した用語である。漱石は明治40年代に頻繁に使われた高等遊民というフォーク・コンセプト(巷間で使用される概念)に特別の意味をこめて作り直したといえる。


高等遊民・大逆事件・危険思想


高等遊民問題は大逆事件との関連で社会問題となった。高等遊民の増大と危険思想の蔓延の結びつけかたに、社会問題のフレームアップのパターンの原型がみえて、興味深い。
 たしかに大逆事件は知識人たちの不満が関与していたことは否めない。だが不満をいだいている知識人すべてが大逆事件に加わったわけでもない。にもかかわらず、高等遊民の増加がこのような事件を頻発させるように説かれて社会問題化されたのである。人々の恐怖や不安を想起させ結びつけることが社会問題化にとって手っ取り早く確実な方法である。
 そこでおもいだすのだが、時代はずっとあとになるが、1978年の共通一次試験導入とともに、国立大学1期校と2期校という区分けが廃止された経緯である。その経緯もこうした社会問題のフレームアップによるところが大きい。国立大学が1期校と2期校に分類されていたときは、国立大学の入学試験は、3月はじめに1期校が、3月後半に2期校がおこなわれていた。国立大入試のチャンスが2回あった。しかし、東大・京大など有名大学のほとんどは1期校であり、2期校には旧帝大は1校もなかった。2期校の有名大学は東京外国語大学や横浜国立大学など限られた大学であった。といっても、いずれも1期校の東大などが第1志望で、東大などに不合格になった者が第2志望として志願したものである。そのひとつが横浜国大だった。したがって、「2期校コンプレックス」という言葉は早くから存在していた。2期校に入っていた多くの国立大学では、1期校・2期校を廃止した一元化入試を希望していた。
 そんなときの1972年、連合赤軍が浅間山荘に人質をたてに立て篭もる事件がおきた。立て篭もったメンバーのうちの吉野雅邦は、番町小学校から麹町中学校、日比谷高校と東大コースを歩みながら、東大入試に失敗し、2期校の横浜国大経済学部に進学した。典型的2期校生だった。連合赤軍のメンバーには、吉野だけでなく、横浜国大出身者が多かった。経済学部、工学部、教育学部のそれぞれに3人で計9名もいた。
 国会でも議論され、なにゆえ横浜国立大学出身者が連合赤軍メンバーに多かったかが問題になる。ある国立大学学長が参考人として国会に呼ばれた。この学長はその原因が「2期校コンプレックス」にあるとした。議員たちは、深く納得した(黒羽亮一『戦後大学政策の展開』玉川大学出版、2001年)。議員たちは横浜国立大学に視察にいった。議員たちの印象は、学生がいかにも暗い表情をしている、それは、2期校で東大などの第一志望校を不合格になった者が多いからだとされた。かくて連合赤軍事件や浅間山荘事件のようなものをおこすのは、国立大学の1期校・2期校制度だとされ、1期校と2期校の区分けが一気に撤廃されることになった。
 こうしてみると、国立大学入試一元化の論理は明治末期の高等遊民問題と大逆事件との関連づけとよく似ていることがわかるだろう。明治40年代の高等遊民問題は社会問題のフレームアップの原型だった、といった所以である。



2015年3月14日土曜日

鉄道のニュース

昨日から今日にかけて、鉄道のニュースが続く。

ひとつは「トワイライトエクスプレス」のラストラン。
25年間走りつづけてきた、大坂から札幌。
なんでも廃止となる最後の運転列車を撮りにいく鉄道ファンのことを、「葬式鉄」というそうである。
大阪駅や札幌までの途中駅に、人があふれている映像が多くのニュースでながされていた。

もうひとつは、北陸新幹線の長野ー金沢間が開通したこと。
東京と金沢は、二時間半で結ばれることになったそうだ。

いつも思うのだが、東京中心で動いていることが、世の中多すぎはしないか。
今回の新幹線も、確かに東京と金沢は短時間で結ばれるようになったのだろうが、
どうも地元の人たちにとっては、良いことばかりではないようだ。
つまり、新幹線が開通することによって、それまで並行して走っていた在来線をJRから切り離して、第三セクター化することになるらしい。
収益の望めない赤字路線を地元自治体に押し付けるということなのだろう。
営利至上の団体の常套手段である。

うーん、ひとつくらい採算度外視の鉄道があってもよかろうに。

2015年3月13日金曜日

「イヤな事だらけの世の中で」

歌番組でサザンオールスターズの新曲「イヤな事だらけの世の中で」を紹介していた。

なかなか魅力のあるメロディーであり、思わず聴き入ってしまったのであるが、歌詞を見ていると、やや気にかかるところがあった。

歌詞にいわく


月はおぼろ 花麗し
春は霞か 桜は紅枝垂れ

暖簾越しに 鴨川(かわ)は流れ
祇園囃子に浮かれて 蝉時雨
(略)
嵐山(やま)は粧 いろは紅葉
(略)
凍てつく胸に 小雪が舞っている


要は、京都の春夏秋冬を借景にして、つらい心を表現しているのだが、ちょっと気にかかるるのは、「鴨川」のことを「かわ」としているのに、「嵐山」を「やま」と言ってしまったことだ。

古典の授業では、こう説明する。
京都で「かわ」と言えば「鴨川」、「やま」と言えば「比叡山」のこと。
古典の常識だと、「やま」は「比叡山」なのだ。

きっと、「比叡山」としたのでは、絵にならなかったのだろう。
「常識を無視するのが、サザンなのだ。」と言ってしまえばそれまでなのだが。



2015年3月12日木曜日

ニッポン美肌県グランプリ

「秘密のケンミンショー」という番組において「ニッポン美肌県グランプリ」なるものが紹介されていた。

日本で一番美しい肌(勿論、女性の話)を持つ「美肌県」は島根県であり、続いて石川県、高知県と続く。
全体的に今年(2014)の美肌は山陰地方と北陸地方が優勢ようで、その原因は「秋に北海道から東北、北陸地方は例年に比べ、気温が高く、夏から秋にかけての冷え込みが、緩やか」だったことがあげられている。例年なら秋になって、乾燥が進むところ、昨年の秋は肌のうるおいが保たれやすかったのではないかとのことである。

さて、そこで我らが静岡県。
残念ながら、44位である。
ワーストスリーが、群馬県、岐阜県、滋賀県であるが、特に群馬県というのは、空気が乾燥していて、さらに風が強く、夏の日差しも強いという肌には非常によくない条件がそろっているのだそうだ。
静岡県もこのワーストスリーに続くのであるが、日差しの強さは否定できないものなあ。
美肌

2015年3月11日水曜日

鎮魂の日

鎮魂の日。

思えば1911年3月11日、ちょうど学検の選抜会議の最中であった。
今まで経験したことのない不気味な長い揺れ。
その後の停電。
震源地から遥か遠い地であっても、事の重大さは理解ができた。
会議は一時中断。
職員は、まず登校していた生徒を無事に帰宅させることに全力を尽くした。
その間にも東北の様子が次々にテレビ映しだされる。
津波というものの恐ろしさ、その前の人間の無力さ、今、目の前で起きている現実を納得するのには、聊かの時間が必要だった。

生徒が全て帰宅を終えたのは、午後の九時過ぎだったような気がする。
職員はそこから再び会議。
自宅にたどり着いたのは翌日になっていた。


2015年3月10日火曜日

復興予算

昨日、池上彰の解説塾という番組を見ていると、東日本大震災復興のための予算9兆円の行方について触れていた。

それはそうと
我々は、すぐに忘れてしまうのだが、国は復興税という名目で、国民からしっかり税を徴収しているのである。
しかしながら、その集めたお金の使い道が、どうも怪しげなのだ。
役人というのは(すべての役人がそうではなかろうが)、どうしてあんなに悪知恵が働くのだろうか。
まったく関係の無いところに、いったいどれほどのお金が使われてしまったのだろうか。

震災の後遺症で病んでいる人を見るにつけ、腹がたつのである。


2015年3月9日月曜日

ヤマトとガンダム

夕刊の特集紙面に「宇宙戦艦ヤマト」と、「機動戦士ガンダム」の比較がなされていた。この二つのアニメは私にとってはリアルタイムのものではなく、あまり理解はしていないのであるが、今回の特集では、興味深い比較をしていた。

ヤマトは「敗北寸前の日本が一発逆転する」という夢を描いたが、ガンダムは太平洋戦争の経過をそのままなぞり、「戦争の勝敗は正義や愛ではなく、物量の差で決まる」という冷たい現実を描いた。






さらに特集ではいう。

一作目のヤマトは「加害者としての日本と被害者としての日本が戦う」という図式で、戦争を巡る日本人の葛藤を表現した。一方、ガンダムは、そうした内面の悩みをあえて突き放し、人々の目を、戦争の過酷な現実へと向けさせようとしたのではないか。

うーん、なかなか奥が深いぞ。















2015年3月8日日曜日

体調悪し

春先に体調が悪くなるのは毎年のことであるのだが、今年は特に悪い感じがする。

まず、腰を痛めてしまった。
今まで経験のなかった「坐骨神経痛」のような気がする。
過去にもテニスの時に膝をいためたり、腰を痛めたりすることは度々あったのだが、今回の痛みはなかなか去ってくれない。
やはり、これは歳のせいなのだろうか。

次は「顎関節症」とでもいうのか?
左側の顎がどうもおかしい。
口が大きく開けられないのである。
歯医者に行って、親知らずを一本抜いたあたりからおかしくなった。
歯のかみ合わせに原因があるような気がすのだが。

そして花粉。
これはもう二十年以上の付き合いとなる。
最近は、まったく薬を服用しない。
服用したところで、根本的な解決になりはしない。
それだったら、いっそ花粉と戦ってやろうということで、ここ何年かは花粉とファイトしているのである。

あーあ。早く5月の連休あたりになってくれないだろうか。
このころだったら、皆解決しているはずだ。

2015年3月7日土曜日

嬉しい知らせ

アート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズ / モーニン【SHM-CD】今日は朝から嬉しい知らせ。
国立大学の個別試験指導をしていたNさんから、志望大学に合格したとのメール。

逆転勝ちだね。
本当にに良かった。
月並みな言い方だが、一生懸命の努力は必ず報われるね。

左の写真は、アート・ブレーキー&ジャズ・メッセンジャーズの代表作「モーニン」。
バンドメンバーのピアニスト、ボビー・ティモンズが作曲した「モーニン」をアルバムタイトルにしている。

以前、「坂の上のアポロン」というアニメを紹介したのだが、このアニメに盛んに使われていたのが「モーニン」であった。

「モーニン」という曲、ゴスペルのコール・アンド・レスポンスに影響を受けたイントロであり、ファンキー・ジャズというジャンルを代表する曲と言われている。
ボビー・ティモンズが牧師の息子であり、幼いころからゴスペルに親しんでいたことが着想につながったそうだ。

思わず身体が動いてしまう曲とは、こういう曲なのだろう。





2015年3月6日金曜日

リー・モーガン

リー・モーガンというハード・バップのジャズトランペッターがいた。
1956年、18歳でディジー・ガレスビー楽団に在籍、その年にはブルーノートレーベルからデビューアルバムを作っている。(18歳ですぞ。)
右のアルバムジャケットは、その翌年にレコーディングされた「Lee Morgan Vol.3」である。

さて、このアルバムの中に収録されているのが、不滅の名演奏「アイ・リメンバー・クリフォード」だ。
クリフォードとは若くして(26歳)事故死してしまった天才トランペッター、クリフォード・ブラウンのことである。この演奏は天才トランペッター(リー・モーガン)がかつての天才トランペッター(クリフォード・ブラウン)を偲んで演奏しているということになる。
何はともあれ、何度聴いても素晴らしい演奏にマイってしまう。

ところで、若くして注目されたリー・モーガンであったが、残念なことに1972年、34歳の時、愛人であった女性から拳銃で撃たれ、亡くなってしまった。



2015年3月5日木曜日

平成27年度入学者選抜

高校入試の二日目である。
正確にいうならば、「平成27年度入学者選抜」である。

役所用語というのは何故このように無機質(機能は十分に作動しているが、一面において接する人の心をなごませる面に欠ける点が見られる)な感じがするのだろう。

まあ、選抜というのは「選らんで抜く」わけだから、「人の心をなごませる」なんぞは、あり得ないことなんだろうが。
それにしても色気のない言葉だ。

夜、「秘密のケンミンショー」をみていると、「北海道民はヒールで雪道を走る事が出来る?」
という疑問を取り上げていた。

結論は「見事に走ることが出来ていた」であった。
雪国で育った人間の「生きる術」であると。
うーん、流石だ。

2015年3月4日水曜日

ラウンド・ミッドナイト

ジャズピアニスト、セロニアス・モンクの作った曲に「ラウンド・ミッドナイト」という名曲がある。
今夜、この曲を久しぶりに聴いてみた。

これは、モンクが19歳の時に書いたもので、1944年にチャールズ・クーティー・ウィリアムスが300ドルで版権を買い取り、彼のオーケストラのテーマ曲にしたという。この曲の歌詞もそのころ付いたらしい。

この「ラウンド・ミッドナイト」、直訳すれば、「真夜中頃」に他ならないのであろうが、その歌詞をもうちょいと調べてみたくなった。
勿論、この歌詞は後付けであるので、モンク自身の「思い」とは、異なったものとなっているのだと思う。

(歌詞は、「W&R:Jazzと読書の日々」より引用) 




話しても良いかしら、真夜中の話を
日暮れ過ぎまでは元気に過ごせても
夕食時になると気持ちが沈み始める
でも、ほんとうにつらいのは真夜中

想い出はいつも真夜中によみがえる
真夜中になると押さえ切れなくなる
心はいまでも、あなたとともにある
真夜中はそのことを知っているのね

ケンカしてまだ仲直りしてないけど
そんなことで愛が終わるというの?
気づいたの、あなたにいて欲しいと
あなたがいないと私の心はからっぽ

私たちの愛に今一度命を吹き込んで
天使よ、あの人が帰るように歌って
二人の愛を確かな壊れぬものに変え
あの頃の真夜中を私に返して欲しい

真夜中は過去の時間。日中は日々の忙しさに気が紛れる。しかし夜になると、そこには「過去」が待っている。「過去」は宝箱のようなもの。中には「後悔」が詰っている。特に真夜中は一人っきり。祈ってみても、真夜中は神様も眠っていて、その祈りが聞き届けられることはない。

うーん、なかなか趣きがあるなあ。

2015年3月3日火曜日

研究者の仕事、教育者の仕事

現在、国立大学後期試験対応の問題を解いているのだが、その中にチョイト気になる部分があった。

研究者の仕事とは「まだ分かっていないことを人に分かるようにすること」である。
これに対し、教育者の仕事は「すでに分かっていることを人に分かるようにすること」である。
大学の教員は、この両方の仕事に関わっている。
大学での教育の目的は、次の言葉のように、学生に「考えさせること」に尽きる。

もし大多数の大学の講義に共通したねらいが一つあるとすれば、それは学生に考えさせるということである。
(酒井邦嘉「科学という仕事)

私は、高校の教員ゆえ「すでに分かっていることを人に分かるようにすること」ことが仕事ということになるが、それだけなんだろうかね。
高校の教員だって研究者はいるだろうに。

2015年3月2日月曜日

箱根高原ホテル

昨日の卒業式の代休で本日は休み。
天気も良かったので、箱根まで出掛ける。

御殿場からは、車で20分ちょっと。
箱根高原ホテルという日帰り入浴のできるホテルだ。
ここは内湯と露天風呂の泉質が異なっているそうだ。
内湯の方は、泉質が(ナトリウム・カルシウム・マグネシウム・硫酸塩・炭酸水素塩水)であり、露天風呂の方は、泉質が(弱アルカリ性単純泉)である。

入った感じは、それほど異なっている感覚はなかったのであるが、実際は違うんでしょうね。
両方ともクセのない、極めて気持ちの良いお湯であった。

平日の真昼間に露天風呂に入りながら、ボッーと空を見ていられる幸せ。
贅沢じゃのー
である。

2015年3月1日日曜日

坂の上のアポロン

N西は卒業式であった。土曜休みで日曜が卒業式という経験は初めてである。

式終了後、いろいろな生徒が国語研究室まで挨拶に来てくれたのであるが、その中に、芸術科三年生Oさんがいた。
Oさんと会話をするようになったのは、極めて最近のことである。

彼女は、私のジャズ話を嫌がりもせず、真剣に聞いてくれていたのであるが、その彼女が今日紹介したのが「坂の上のアポロン」というアニメであった。

ジャズアニメとでもいうのだろうか。
ストーリーのところどころに、ジャズのスタンダードナンバーを挿入してドラマを展開して行く。

へー、こんなアニメーションがあったのだ、といたく感動する私であった。