2013年11月30日土曜日

岡林信康というフォークシンガー

報道ステーションというニュース番組に、かつて「フォークの神様」といわれた「岡林信康」が出演していた。
彼の話は、なかなか考えさせられるところがあった。
なかでも印象深い話は、彼の「友よ」にまつわるエピソードである。
東京では左翼の学生が、この歌を自分たちのテーマソングのように歌っていた。
一方、北海道の自衛隊の隊員も「友よ」を自分たちの仲間で歌う歌にしていたというくだりである。

人間のイデオロギーなんてえものは、根底のところでは大差はないのだろう。

さらに岡林は言う。
政治に幻想を抱くな。
そのようにしてしまったのは、自分自身なのだと。

2013年11月29日金曜日

「野球は年齢でするものではない。」

スポーツニュースに、今年大リーグのボストン・レッドソックスで活躍した上原投手が出演していた。
印象深かったことは、彼の「野球は年齢でするものではない。」という言葉であった。
39歳のピッチャーは、自分のことを「まだまだ発展途上だ」という。

この言葉を借りれば、「教師も年齢で」するものではない。」ということになる。

よーし、明日も老体にムチ打ってやるとしようか。

2013年11月28日木曜日

ここ数日で一気に冬らしくなってきたようだ。

冬には「最後」とか「終わる」とか「冬ごもりする」という意味がある。
また「冬」の字体は、糸の両端が結ばれたさまの象形であるという。

「結ばれたさま」、これによって、のちには、一年の終わりの季節の意味でも使われるようになったという。

今は西洋式に合わせて、11月から1月までまでが「冬」であるが、字義でいうならば、やはり一年の終わりまでが「冬」、つまり10月から12月までが「冬」なのだろう。

10月が「冬」とはどうも言えないが。


2013年11月27日水曜日

取り違え

今日のニュースの中に、六十年前に別の新生児と取り違えられ、貧困を強いられたとして、病院に対して60歳の男性が損害賠償を求めた訴訟の判決(3800万円の支払い)が東京地裁であった。
私自身この男性には同情するし、いい加減な措置をした病院に怒りを禁じ得ないのであるが、この話には何かもう一つ合点がいかないところがあるような気がする。

確かに、過去の取り違えがなければ、経済的に豊かな家庭で育てられ人生も変わっていたかもしれない。
しかし経済的に恵まれることが、イコール幸福であるかというと、どうも、そうではないようにも思えるからだ。
勿論「貧困を強いられた」は裁判上の已むを得ないフレーズかもしれない。

男性のコメントの中には、育てられた家庭の兄弟には可愛がられた云々という部分があった。
育てられた家族には男性も感謝しているに違いない。
もし、そうであるならば「貧困を強いられた」という理由は、やはり、育てられた家族に対して聊か馴染まない言葉ではなかろうか。

当事者でない人間がこんな事をいうこと自体が馴染まないかもしれませんがね。

2013年11月26日火曜日

埴生の小屋

放課後補習の教材の中に、小林一茶の俳文「我春集」が出てきた。
上総の国のある老婆が自分の田んぼを、奉行所に良い条件を提示され、制収容されそうになるが、頑固に抵抗する。
これに関して一茶は、老婆のことを強情な愚か者と評しつつ、共感を覚える、といった話だ。

「いつの時代にも強制収容ってえのはあるもんだ。」と思いつつ、この文の中の一つの言葉が気になった。
「埴生の小屋(をや)」という言葉である。
この言葉の意味は設問としても使われている。
「埴生の小屋」、意味は「粗末な家」である。

さて、「小屋」は「家」なのだろうが、「埴生」が何故「粗末」なのか。
「埴生」は「はにふ(はにゅう)」、「はに」は「粘土」のことだ。
「ふ」は一面それを産する場所のこと。
「柳生」は「柳」のいっぱいあるところ、「麻生」は「麻」、「竹生」は「竹」、「萩生」は「萩」のいっぱいあるところである。
つまり「はにふ」は、「粘土」のいっぱいある土地の意となる。

「粘土のいぱいあるところの小屋」が「埴生の小屋」の意味となるはずなのだ。
それが何故「埴生の小屋(埴生の宿の方がポピュラーかもしれない。)」の意味が「粗末な家」なのだろう。
ここが今ひとつ納得がいかないところである。

うーん、後日また考えてみよう。




2013年11月25日月曜日

顎関節症

近所のスーパーで正月用の「お飾り」の販売が始まった。
もう、そのような時期になったのかと、聊か焦り始める自分。

最近どうも左側の顎(あご)が、おかしいような気がする。
食事をしようと、口を開けようとすると、耳の下あたりが痛いのだ。
今までこんなことはなかったので、気味が悪い。

ひょっとしたら、これは今流行の「顎関節症」なのだろうか。
流行にのれるのは、何となく誇らしい?気もシナイではないが、やはり痛いのは困る。

ウィキペディアには次のように書かれていた。

顎関節症(がくかんせつしょう,Temporomandibular joint disorder)とは、顎関節部や咀嚼(そしゃく)筋等の疼痛、関節音、開口障害ないし顎運動異常を主要とする慢性疾患群の総括的診断名であり、その病態には咀嚼筋障害、関節包・靭帯障害、関節円板障害、変形性関節症などが含まれる。

症状 一般に、顎運動障害、顎関節痛や関節雑音が単独もしくは複数合併して発現する(これを顎関節症の主要3症状と呼ぶ)。疼痛は主に顎運動時に生じる。 雑音には、ゴリゴリという低い音のcrepitusと、カクンという弾撥音であるclickingとがある。その他にも、耳の痛み、耳閉感、難聴、めまい、眼精疲労といった眼や耳の症状、頭痛や首、肩のこり等のさまざまな症状を呈するとも言われている。








2013年11月24日日曜日

好み

「丸亀うどん」という讃岐うどんのチェーン店で、うどんを食べた。
「丸亀うどん」は何度か食べたことはあるのだが今日は何だかいつもよりヤワラカイような気がした。
うどんの命はコシであるのに。

もっともこのコシ、人によって好みが異なるから始末が悪い。
考えてみれば、うどんのコシだけでなく、「甘い辛い」から「熱い温い」、あるいは「硬い柔らかい」まで、食べ物に関しての好みは違う。
それが「好み」というものなのだろう。

「うどんがヤワラカイ」なんてぇーのは大した問題ではないか。



2013年11月23日土曜日

俊成自賛歌のこと

古典の授業で鴨長明「無名抄」の講義をした。
「無名抄」は歌論書である。
鴨長明と言えば、有名なのは「方丈記」であり、他にも説話集として「発心集」などがあるが、歌人としても後鳥羽上皇に認められ、和歌所の寄人(よりうど)となった実力者でもある。

授業では「無名抄」より、「俊成自賛歌のこと」という凡そ高校生にはつまらない部分を講義した。
何てったって「歌論」である。
高校生が興味を持つはずがない。「一体誰がこんな教材を教科書に入れたのだ」と大いに憤慨しながら教え始めたのだが、意外や意外。
これが結構面白いのだ。

内容は、長明の歌の師である源俊恵が、当時「飛ぶ鳥を落とす勢い」のあった藤原俊成の和歌にケチをつける話である。
面白いのは、俊恵がさんざんケチをつけておきながら弟子の長明には「私の歌にケチがつくのは嫌だから、弟子のおまえがそのへんは、しっかりおさえといてな。」と頼むのである。

いつの時代にもこういうタイプっているよね。

2013年11月22日金曜日

海老天エビフライカレーうどん


98c471e21e92b460514e6a5e02fcb292 300x225 ケンミンショー湖南市の海老天とエビフライのカレーうどんが絶品!

「秘密のケンミンンショー」というテレビ番組がある。
今回は、滋賀県湖南市にある和食のレストラン「みくりや」という店の「海老天エビフライカレーうどん」を取り上げていた。

右の写真がその「海老天エビフライカレーうどん」である。
トローリとしたカレーの中に、海老の天麩羅と海老のフライが、見事にそそり立っている。
「おおー、美味そうだ。」

カレーショップでのトッピングとして、エビフライがあるので、カレー+エビフライにはあまり違和感はない。
また、うどんのトッピングとしての海老の天麩羅、つまり、うどん+海老天も、うどん屋のメニューに存在する。
しかし、これが逆になると「妙な感じ」は否めないだろう。
カレーショップに海老の天麩羅、うどん屋にエビフライ、これはまず見られない風景だ。

しかし不思議なことに、カレー+うどん+エビフライ+海老の天麩羅は、なんか似合うのである。
この「これだけ入れて何か文句あるか。」感は立派である。





2013年11月21日木曜日

甘納豆

所用があって静岡まで出かけた。
帰りに静岡駅をうろうろしていると、「甘納豆」が目についた。
「おおー、美味そうだ。」と思うのと同時に、「甘納豆」は何故「甘納豆」なのだろうか、という疑問が頭に浮かんだ。
「甘い」から「甘納豆」なのだろうけれど、「納豆」とはどうも結び付かない。
味も形もまったくの別物である。

そこでいろいろ調べてみると、次にようなことが分かった。
まず、「甘納豆」を最初に発売したのは、東京の日本橋にある「榮太郎」という菓子店であり、そこの3代目細田安兵衛が考案したのだそうだ。

「甘納豆」は小豆、いんげん豆、そら豆などを甘く煮詰め、汁をきって砂糖をまぶした菓子である。
そして、この菓子を遠州名物の「浜納豆(浜納豆というのは、大豆に麹や小麦粉を混ぜて発酵、ショウガなどの香料を加えたもの。静岡県民なら、たぶん一度は食べたことがあるだろう。)」に形が似ていたので「甘名納糖」と名付けて、販売したという。

へぇー、「浜納」が「甘納豆」かぁ。

2013年11月20日水曜日

「ダゾって言われても」

久し振りにコマーシャルの話。

現在、私の一押しコマーシャルは、「日本スポーツ振興センター」のサッカーくじ「toto」、何でも1等当選金は最高10億2円だと言う。

コマーシャルを演じているのが、堤真一と真木よう子である。
この男女二人が図書館のようなところで会話をしている。

男「それが10億円でもですか。」
女「はい。」
男「10億円ですよ。」
女「関係ないですよ。」
男「10億円ダゾ」
女「ダゾって言われても。」

これは、いくつかのパターンをもっている中の「ダゾ編」である。
なんと言っても、最後の真木よう子の台詞「ダゾって言われても。」の「ダゾ」がよく効いている。
助動詞と助詞だけを抜き出しているのだ。
「だ」は、その事柄を断定する主体の判断を表す。
また「ぞ」は終助詞で、この場合目下の者に対して男性が自分の考えを強く主張することを表す。
つまり、この「ダゾ」はたった二字だけで、見事にそのシチュエーションを表現しているのだ。
秀逸だね。



2013年11月19日火曜日

日本の人口問題

生徒の小論文の問題に、日本の人口に絡んだ問題が出題されていた。
問題の内容はともあれ、現在日本が抱えている人口問題は、やはりかなり深刻である。

2006年(平成16年)日本の人口は、1億2779万人をピークに減り始めた。
そして、予想では2059年(平成67年)に8993万人と、1億人を割り込んだ人数となっている。
まあ少子化によって、人口が減るのは致し方ないが、問題は高齢化率である。
なんと、2059年の高齢化率は40.5%なのだ。
つまり、65歳以上の老人が人口の40%を超してしまうのだ。
右を見るとジーサン、左を見るとバーサン。
まわりは皆、老人ばかりということになりかねない。

ほんに恐ろしい時代ですぞ。



2013年11月18日月曜日

「可及的速やか」

夜NHKスペシャルという番組を観た。
今回はユニクロのバングラディッシュ進出について取り上げていたのであるが、その中にチョイと気になる言葉があった。

現地で販売促進の仕事をしている日本人の社員責任者が「可及的速やかに改善していかなければならない。」とのコメントをしたのである。

「ン?可及的速やか?」

「可及的」とは漢文的な用語で、「及ぶ限り」とか「できるだけ」の意味のある副詞である。
ただし、この言葉、役人(行政)や政治家の用語としてよく使われる言葉であって、そのニュアンスは、「出来る範囲でやってみますよ。でも物事には順序がありますからね。」程のものであろう。
すなわち、「可及的」という副詞は、その下の「速やか」を体よく誤魔化すための、実によく出来た言葉のような気がする。
したがって民間の、しかも世界のトップを狙っているような企業戦士が使用すると、どうも妙な感じになってしまうのだ。

こんなふうに思うのは私だけでしょうかね。

2013年11月17日日曜日

サッカー、対オランダ戦

ベルギーで行われた、サッカーの国際試合対オランダ戦をテレビで観戦した。
前半はミスが多く、あっという間に2点を取られてしまった。
「ああまたか」と落胆の色が現れ始めた前半終了も近い時間、なんとキレイナ1点が日本に入った。
さらに後半一気に元気になった日本は、とうとう同点に追いついた。
結局試合は引き分けで終わったが、格上のオランダに健闘した感が強い試合であった。

さて、その中で解説者が面白いことを言っていた。
守備の選手は、90分の試合中89分間しっかり集中していても、1分で点をとらてしまったら、何にもならない。逆に攻撃の選手は89分眠っていても、1分で点を入れればヒーローになれると。
なかなか含蓄のある言葉である。

2013年11月16日土曜日

奉仕線

手相に奉仕線というのがある。
今日、自分の手を見ていてこの線が
自分にあることに気が付いた。
image62
これは、奉仕線又は奉仕十字線といって、生命線の下の方と運命線の間に十字の形となって現れる相である。
手相の本によると、この相の持ち主は、奉仕の精神が強い人で、世のため人のために役立とうという使命感のある人に現れる相なのだそうだ。(うん、うん。)
また過去に何らかの苦しみから救われた人にも現れる、ということでもある。(へー、なるほどね。)

さらに、この相を持った人は、お客さんに尽くしたり、ボランティアで活躍するなど、誰かのために一生懸命になれる人で、医療や福祉、教育関係の仕事につくと、その良さを発揮できるということである。

私は、お客さんに尽くしたこともなければ、ボランティアで活躍したこともございませんが、教育関係の仕事についているので、ひょっとして、ひょっとしたら「その良さが発揮できている」のかもしれません。(ン、そんなことはないか。)

2013年11月15日金曜日

球技大会

本日N西は球技大会。
普段とは異なる生徒の姿。
「おおー、素早い動き。いつもの授業の姿とは違っておるぞ。」
である。

やはり、若いということは、それだけで財産なのです。(ずいぶん使い古された言葉ではあるが。)
現在私は三年生だけを教えているので、当然三年生を中心に見させてもらいました。

みんなよく頑張ったね。
サッカーにしろバスケットにしろ、格闘技の態(てい)はあったが。
みんなの美しい姿を、頭のなかにインプットして今晩は寝ることにしよう。








2013年11月14日木曜日

風鐸

昨日、今日の写真は「風鐸(ふうたく)」である。
通勤途中、岡の宮の光長寺に寄ってみたところ、ある坊の門に吊されていた。

「風鐸」は塔(塔の原型は卒塔婆、所謂ストゥーパであり、墓標である。)の軒に付けられ、魔よけの意味があったようだ。(例えば五重塔など。)
普通、堂宇や塔の四隅に吊されるのだが、ここでは門に吊されていたので多少妙な感じはした。

「風鐸」は、仏教が中国経由で日本にもたらされた時に、時を同じくして、やってきたようだ。
また、「風鐸」は仏教本来の物ではなく、中国発祥であるという。

実は「風鐸」は「風鈴」であり、その「鈴」の音色で邪気を払う意図を持っていた。それが建築の装飾に使われるようになると、華美になり巨大化し、強い風でないと、到底ならないものになったそうだ。

「風鈴」はチリン、チリンと風流な音を出すが、この「風鐸」は一体どんな音なのでしょうかね。



2013年11月13日水曜日

打つ

昨日、蕎麦打ちのことについて書いたのであるが、よく考えてみると、「蕎麦」は何故「打つ」というのだろう?
蕎麦を作る過程において、「打つ」場面はないような気がする。
そば粉に水を入れ捏ねて玉を作る。
玉が出来たならば、その玉をひたすら平に延ばす。
平たくなったところで、それを重ねて包丁で切る。
一体どの過程で「打つ」動作がはいるのだろう?

さあ、そこで辞書を引いてみた。

どひゃー。
こんなに意味があったのだ。
意味は当然2のイであるが、「打つ」の意味の何と多いことか。
これはもう降参である。
後日、やる気が出てきたならば、この「打つ」について、もうチョイと調べてみることにしよう。


う・つ 【打つ】
 
[動タ五(四)]
 物を他の物に向けて強く当てる。
たたく。ぶつ。「平手で―・つ」「滝に―・たれる」
勢いよくぶつける。「後頭部を強く―・つ」
たたいて鳴らす。打ち合わせて、音を立てる。「柱時計が一二時を―・った」「太鼓を―・つ」
たたいて移動させる。当てて飛ばす。「ホームランを―・つ」
強く刺激する。「鼻を―・つ消毒薬のにおい」
心に強い感動を与える。「雄渾(ゆうこん)な筆致が読者を―・つ」
 (1のようにして)物事をしたり、物を作ったりする。
(くわ)などで耕す。「田を―・つ」
たたいて、平たくのばしたり、鍛えたりして作る。「そばを―・つ「箔(はく)を―・つ」「太刀を―・つ」
キーをたたいて信号を送る。発信する。また、印字する。「電報を―・つ」「タイプを―・つ」「携帯メールを―・つ」
布・綿・わらなどをたたいて、つやを出したり、やわらかくしたりする。「わらを―・つ」

広がるように投げる。「投網を―・つ」
まいて散らす。まきかける。「庭に水を―・つ」
目標めがけて投げる。「つぶてを―・つ」
 (1のようにして)しっかりと取り付ける。
たたいて、中へ入れ込む。「くいを―・つ」「梁(やな)を―・つ」
さし入れる。突きさす。「鍼(はり)を―・つ」「注射を―・つ」
付け留めて高く掲げる。「高札を―・つ」
しるしをつける。「目盛りを―・つ」「読点を―・つ」
しっかりと全体に張る。「掛け軸の裏を―・つ」
ひも・糸などを組み合わせて、よる。「緒を―・つ」
縄で縛る。縄をかける。「縄を―・たれた罪人」
 ある事を行う。
相撲・芝居などの興行をする。「芝居を―・つ」
碁・ばくちなど、勝負事をする。「ばくちを―・つ」
手段・方策を施す。「ストを―・つ」「手金を―・つ」「逃げを―・つ」
そのような動作をする。「寝返りを―・つ」
 動きが規則正しく繰り返される。「磯―・つ波」「脈―・つ」
 火打ち石を強くぶつけて火をだす。「をりをりに―・ちて焚(た)く火の煙あらば心ざす香をしのべとぞ思ふ」〈貫之集
 《鞭(むち)でたたくところから》馬を走らせる。「佐々木判官時信は一里計(ばか)り引きさがりて、三百余騎にて―・ちけるが」〈太平記・九〉
 幕などを張る。「生田の川のつらに、女、平張(ひらば)りを―・ちてゐにけり」〈大和・一四七〉



2013年11月12日火曜日

「蕎麦打ち職人」


「神様と慕われた最高峰の蕎麦打ち職人・高橋邦弘」
今夜見たNHKの「プロフェッショナル・仕事の流儀」のタイトルである。

現在、広島の人里離れたところに「蕎麦屋」を開いている68歳の職人の話だ。
東京で工業高校を卒業後、民間会社に就職したが、27歳で蕎麦を打つ仕事に転職。
東京で蕎麦屋を開く、しかしながら東京では納得がいかないことが多く、山梨に移住(そう言えば、もう何年まえであったか忘れてしまたが、山梨の店「翁」に蕎麦を食べに行ったことがあったぞ。)、さらに山梨の店を弟子に譲り、蕎麦打ちに理想の地を求め、山梨から広島に移住したという。

蕎麦は「風味・食感・喉ごし」だという。
また蕎麦の風味は、時間との勝負だとも。
彼は普通の職人が40分かかる蕎麦打ちを20分で打つのだそうだ。それもすべて風味のため。
昔、寿司屋で寿司というものは、握った瞬間から美味しさが失われて行く、という言葉を聞いたことがある。
これなんだね。


2013年11月11日月曜日

韓非子

漢文の授業で「韓非子」を講義している。

「韓非子」は諸子百家の中でも、とりわけ著述に優れている「韓非」の著書である。
(「韓非」というのは、結構過激な人物ですぜ。)

人間愛や人間性に重きを置く「儒家」に対して、法律を厳守し、信賞必罰(自分の職務を全うすれば賞を与え、全うできない時には処罰する)のスタイルを確立した「法家」、この「法家」の立場にたつのが「韓非」である。
(徹底した法律による人間管理ですぜ。)

この「韓非」の、「君主による絶対政治のもとに、強大な国を作り上げ、天下統一する」という理想は、「秦」によって実現される。
しかしながら、この「法の絶対」によって「秦」は滅んで行く。実に皮肉なことである。
(自業自得ですぜ。)

「儒家」の道徳を時代錯誤として、人間性を無視し、法の原則を守るのが、「韓非」たち「法家」新しさであったが、その新しさが、自分の首をしめる結果になったということだ。

法は肝心だが、法をつくるのは所詮人間なのである。

2013年11月10日日曜日

コシヒカリ対ササニシキ

夕方のテレビ番組で、日本の米についての話があった。
そして、ここには「なるほど」と納得出来たことがいくつか出てきた。
一つは、最近の米が水っぽい理由である。
(私は、水っぽい米は苦手だ。あまり美味いとは思わない。)
水っぽい原因は、現在食べられている米のほとんどが、コシヒカリ系であることのようだ。
かつて、日本の米はコシヒカリとササニシキが人気を二分していた。
ところが1989年には20万ヘクタール作られていたササニシキが、2000年には2万ヘクタールまで落ち込んでしまったのである。
一方、コシヒカリは今でも毎年55万ヘクタール程度作られている。
これだけ差がついたのは、ササニシキは寒さにも暑さにも弱く、扱いがコシヒカリよりも大変だったから、ということである。(要は、大変手間のかかる米なのだ。)
さらに、現在の食生活もササニシキ衰退の要因となっている。
今日の番組でも言っていたが、とうとう米の消費量がパンに超されてしまったのである。
コシヒカリとササニシキを比較すると、コシヒカリは味が濃く、粘りが強いのに対して、ササニシキはあっさりしていて粘りも弱いという。
つまり、一日三食米を食べることになれば、ササニシキの方が飽きがなく、たくさん食べられる。
パンとかパスタ、あるいは麺類が、朝食・昼食に入り込んだ今、ササニシキは追い出され、味の濃いコシヒカリが好まれるようになったのだと。

冷めても美味いササニシキ、米はこれだと思うのですがね。

 

2013年11月9日土曜日

「ハート・エレキ」

「クッキー」の次は「エレキ」であった。
AKB48の新曲である。
まあ、よく考えるものだ。
「ハート・エレキ」というタイトルは何だか斬新である。
一方、曲自体は完全に1960年代の回顧(ああいう事もあった、こういう事もあったと、いろいろ昔を思い出すこと)調であって、グループサウンズ全盛時代のコード進行をそのまま使っている態だ。

おそらくこの「ハート・エレキ」をつくるきっかけになったのは、ヒットドラマとなった「あまちゃん」の挿入歌で、小泉今日子の唄っている「潮騒のメモリー」のヒットであろう。
歌詞はメチャクチャだが、曲は小泉今日子がアイドルであった頃の曲調そのままである。
これも言ってみれば1980年代の回顧調なのだ。
昔ヒットしたものを研究し、もう一回利用してみる。
これこそヒットメーカーの極意なのだろう。

今日、試しに1960年代のグループサウンズの曲をユーチューブで聴いてみた。
ゴールデンカップス、テンプターズ、ジャガーズ、さらにブルーコメッツ。
これらのグループのヒット曲を寄せ集めると、曲調はまさに「ハート・エレキ」。
グループサウンズが何たるか、よく理解できない方は、ユーチューブで是非聴いてみてくださいな。

(写真は何だかよく分からない実?がぶら下がっているなんだか分からない木。)
 

2013年11月8日金曜日

今年の紅葉

我が家の紅葉である。

今年の紅葉はちょいと予想が難しい。
夏の異常気象で、紅葉は例年より遅いのかと思っていたのだが、この通り御殿場でも真っ赤な紅葉がみられる。
ただし、周りのモミジがみな紅葉しているかというと、それがそうでもない。
近所のモミジはまだまだアオイのだ。

これが異常気象のナレノハテなのだろか。





2013年11月7日木曜日

「恋するフォーチュンクッキー」動画編②

「恋するフォーチュンクッキー」の動画のことが今日の朝刊に載っていた。(オオー、私には先見の明があったぞ。)記事が注目したバージョンには、前回私が紹介した「日本交通」というタクシー会社が挙げられており、この会社はプロに指導を依頼、普段はタクシー運転している中高年の社員をなるべく褒めてヤル気を出させたのだそうだ。再生回数は110万回を突破。宣伝効果としては抜群の結果だという。(うーん、すごいね。)  110万回再生されるということは、テレビだと2%程度の効果なんだと。これは宣伝料としたならば超格安なんだろうね。また記事では動画をみている人は何を期待しているのか、についても言及しているのだが、要は「ダンスが上手い人だらけだったらつまらないが、たまに下手な人も踊っているのが受けているのでは。企業や自治体の雰囲気や個性が出ているのも面白い」ということである。    


2013年11月6日水曜日

キャッチフレーズ

「月曜から夜更かし」という深夜番組で「都道県別キャッチフレーズ」に触れていた。
ひとつひとつ見て行くとこれがなかなか面白い。

東京 「らっしゃい東京」  江戸っ子だね。
千葉 「おもしろ半島千葉」 確かに半島だ。
長野 「さわやか信州」  そんなにさわやかか?
愛知 「逢い知る愛知」  ちょっとダジャレ系。
島根 「シマネスク島根」 さらにダジャレ系。
佐賀 「佐賀をさがそう」  完全にダジャレだ。
徳島 「すっぴん徳島」 これが一番秀逸。わたしらの県は決してカッコはつけませんよ、というところか。

そして我らが郷土静岡
「未来への挑戦 あふれる活力 輝く静岡」

な、なんだこのセンスの無さは。
都道府県の中では最低レベルだ。


あまりにも情けないので、全国すべてのキャッチフレーズをインターネットから拾ってみた。

(キャッチフレーズというのは、年々変わって行くので、すでに変更されているものもあるかもしれませんよ。)

北海道 :試される大地

【東北地方】
青森県:活彩あおもり
岩手県:銀河系いわて
宮城県:スマイルあったか宮城
秋田県:美の国あきた
山形県:ゆとり都山形
福島県:うつくしま、ふくしま

【関東地方】
茨城県:漫遊空間いばらき
栃木県:やすらぎの栃木路
群馬県:自然と文化ほのぼの群馬
埼玉県:彩の国さいたま
千葉県:おもしろ半島ちば
東京都:らっしゃい東京
神奈川県 :新しい風、感じて、神奈川

【中部地方】
新潟県:風景さえ美味しい、うるおいの新潟
富山県:いきいき富山
石川県 :心と技の彩り
福井県:美しく、たくましく、福井県
山梨県:山梨ロマン街道
長野県:さわやか信州
岐阜県:おんさいぎふ(おんさい=方言でいらっしゃい)
静岡県:未来への挑戦 あふれる活力 輝く静岡
愛知県:逢い、知る、愛知

【近畿地方】
三重県:俳句の国三重
滋賀県:夢~舞めんと滋賀
京都府:おこしやす京都
大阪府:水の国大阪
兵庫県:ゆっくり歩いて、ゆっくり味わう、ひょうごはスローツーリズム
奈良県:心のふるさと奈良
和歌山県 :ふれあい紀州路

【中国地方】
鳥取県:観どころ 湯どころ 食べどころ 鳥取県なごみの国
島根県:シマネスク島根
岡山県:晴れの国おかやま
広島県:発見ひろしま
山口県:おいでませ山口

【四国地方】
徳島県:すっぴん徳島
香川県:パスタはイタリア、ウドンはカガワ
愛媛県:こころあたたか観光愛媛
高知県:あったか高知

【九州地方】
福岡県:アジアの福岡あたりが面白い
佐賀県:佐賀をさがそう
長崎県:観る!魅る!味る!長崎県
熊本県:ゆったりふわふわくまもと日和
大分県:豊の国大分
宮崎県:太陽と緑の国宮崎県
鹿児島県:いっきに南へ!ぐるっと鹿児島

【沖縄】
沖縄県:行こうよ!おいでよ!沖縄