2013年2月19日火曜日

続・会津

昨日に続いて会津である。
会津には「ならぬものはならぬ」の精神があるそうだ。「ダメなものはダメ」という意味なのだろうが、これは「頑固である」の言い換えのような気もする。
会津の殿様、松平容保もこの言葉をそっくり当てはめたような殿様であったようだ。
本人は真面目であり、人格の評価も高いのだが、そのために苦労したのがまわりの人間である。
この殿様、うまく立ち回ることが苦手で、会津は倒幕軍の憎しみを一気に背負ってしまった。
幕府の責任者であった、徳川慶喜などは、負けがわかるとさっさと恭順の意を示して、静岡に逃げてきてしまったのである。
一方、会津は有名な白虎隊で知られるように、それは悲惨な最期を迎えるのである。
指導者のメンツのために、一体何人の人間が死んでいったことだろう。
得てして歴史というのは、このような話になって行く。
 さて、その後の松平容保であるが、家来の多くが死んだのにもかかわらず、明治の時代まで生き延びて、息子は華族の位にまでついたという。

0 件のコメント:

コメントを投稿