2012年12月31日月曜日

大晦日

大晦日である。
「みそか」というのは「三十日(みそか)」であり、月の最後を表す。
では、本当の「おおみそか」は三十一日なのに、何故「三十日(みそか)」の読みをするのか。
 月の終わりは、それぞれ二十八日・二十九日であったり、三十一日であったりするのだが、旧暦では月の終わりの意味を表す言葉として、さらに一年の最後ゆえ「大」の字を使って「大三十日(おおみそか)」としたのだという。

 ところで、三十日は晦日とも書くが、「晦」の字は一体どこから来たのだろう。
「晦」の読みは「かい」である。サンズイをつけると、「海」となるし、リッシンベンをつけると、後悔の「悔」となる。そして「かい」は「灰」でもある。灰燼(かいじん)などの読みがあるので知れよう。
火が死ぬと「灰」になるが、「月」の光が尽きるのが、それに似ているのだそうだ。
「月」が尽きるのが「晦」なのだ。

2012年12月30日日曜日

ニセコグランドホテル

 さて、ニセコのホテルである。
「ニセコグランドホテル」と言って、この地区では老舗のホテルであるらしい。
このホテルのウリは、夕食のバイキングと大きな露天風呂だ。
バイキングは写真のように、(写真は、ほんの一部。)和・洋・中の料理が並んでおり、けっして高級な態ではないが、それぞれ味は良いものであった。
中でも驚いたのは、料理の一番上の写真、「玉葱のグリル」である。
最初は、食べるのに躊躇したのだが、食べてみると、これが美味い。甘いのだ。玉葱がこんなに甘いものだとは、思ってもみなかった。
料理を作った人に直接聞いてみたのだが、作り方は極めて簡単。
玉葱を切って、ちょっと塩をふり、トースターで焼くだけ。
焼くだけでこんなに美味しいものができるとは。驚き、驚き。

次に温泉である。

 庭園露天風呂とでもいうのだろうか。
かなり大きなスペースで、その露天風呂はある。しかも男女混浴。
ただし、女性用に湯着なるものがあって、女性にはこの湯着が無料で貸し出される。
「なーんだ、そういうことか。」と少々がっかりしながら露天風呂に入っていると、「おおー、なんと湯着をきていない若い女性が数人入ってくるではないか。」自分の目がまん丸くなっているのが良くわかった。
その理由は、この女性たちが外国人(西洋の血が入ったアジア人といった雰囲気)であったからである。おそらく、「混浴」の字がわからなくて露天風呂に入ってしまったのだろうが、こちらにとってはラッキー・ラッキー。
ここのお湯は別名「若返りの湯」とも言うので、こんな良い思いができたのでしょうか。


2012年12月29日土曜日

ニセコ・アンヌプリ

今回スキーに出かけたのは、ニセコ・アンヌプリというスキー場であるのだが、ニセコ・アンヌプリとは標高1.300メートルの山の名前である。
アイヌ語では「絶壁に向かってある山」の意なのだが、山の姿はどう見ても「絶壁に向かってある山ではない。
 実は北海道には、このような地名が結構あって、これもそのひとつのようだ。
その成り立ちは、和人が勝手にアイヌ語風に作りあげた言葉で、このような言葉を「幽霊アイヌ語地名」というらしい。
 さて、写真はニセコ・アンヌプリの頂上に近いところの写真である。ここはマイナス15度の世界であった。

2012年12月28日金曜日

高度一万メートル

高度一万メートルからの地上である。
12月25日、北海道に向かった。
説明がなかったので、どこの上空かは、しかと分からぬが東北地方のどこかの県の上空である。
上から俯瞰すると、日本というのは、なんと山の多い国なんだろうと、実感される。
国のほとんどが山で、その山と山との間の僅かなスペースに我々日本人は住んでいるのだ。
 東京の羽田から北海道の千歳までは、およそ一時間三十分、御殿場から東京に行くのよりも短時間である。
「時間はお金で買うことが出来るのだ。」ということも実感できるフライトであった。

2012年12月25日火曜日

寒波

寒い。
本日は本当に御殿場に雪が降った。
なんでも、「クリスマス寒波」というのがやって来たのだと。
明日からは、もっと冷え込んでくるらしい。

思い起こせば、去年も「クリスマス」は、酷い天気で、(去年の12月の24・25は北海道にいたのです。)スキーに行ったのに、スキーがまったく出来ないという情けない「クリスマス」だった。

実は、今年も25日から北海道にスキーに出かける。しかし、これがどうも怪しい様子で、26日は北海道も大荒れとなるらしい。
12月のこの時期は、今までは天気が安定していたのに、やはり地球の気候は、おかしくなってしまったのだろうか。

というワケで、明日から日記を少しの間お休みします。


2012年12月24日月曜日

兎角(とかく)

兎角(とかく)という言葉がある。
意味は、「あれこれするうちに(当面の対象がひとつの事に限定されないことを表す。)」とか「ややもすれば(一般的にそのような悪い状態・傾向が、しばしば見られることを表す。)」の意味がある。
 
 兎角の本来の意味は、「ウサギのツノ」。
つまり、「あり得ないもの。」
従って、「誤ったものの見方。」のことで「それについて論ずるのは無益だ。」という趣旨で使われた。
 「左右」と書いて、「とかく」と読ませる場合もある。

この言葉は、「あり得ないもの」の意味であれば、極めてわかりやすいのに、だんだん分からない方へ変化してしまった、典型的な言葉ではなかろうか。

2012年12月23日日曜日

1969

先日レンタルしてきたCD。
①WOMAN Ms.00JA
②[an imitation] blood orange
  Mr.Children
③日本の恋とユーミンと。 松任谷由実
④DAVE Digs DISNEY
  The Dave Brubeck Quartet
⑤1969
  PINK MARTINI & SAORI YUKI

①はカヴァーアルバムである。Ms.OOJAというのは三重県出身の女性歌手で、高校卒業後、百貨店に勤務しながら、音楽活動をしてインディーズからたたき上げてきた実力派である。歌は抜群に上手い。
④はジャズアルバム。「テイク・ファイブ」でおなじみのデイブ・ブルーベックが、ディズニーに関係の深い曲を演奏したもの。
⑤はちょっと前に話題になった、「夜明けのスキャット」で一世を風靡した「由紀さおり」のカヴァーアルバムである。
由紀さおりはもう60歳を超えているのに、どうしてあのような艶やかな声が出るのだろうか。  
    

2012年12月22日土曜日

古奈別荘の庭の木

昨日はN西の忘年会であった。
写真は宿泊先(古奈別荘)の庭の木。
左の方にある楓には少々紅葉が残っていた。

最近は聊か樹木の枝にはまってしまっていて、面白そうな枝があると、ついついカメラを向けてしまう。
右の木は何だろうか。
素人には、花も葉もないので、よくはわからない。
この木の魅力は、血管のような細い枝が四方八方に枝を伸ばして、空間を埋めているところだ。
冬の樹木は、このように枝が良い味を出している。枝越しに見える空もすてきだ。

幹事のM先生、ご苦労様でした。他の幹事の先生もご苦労様でした。



2012年12月21日金曜日

2012.12.21

終末思想というのは、時々ポコッと世に出てくるようで、今回は古代マヤ文明の暦によると、2012年12月21日に世界は滅びるらしい。
12月21日というのは今日だ。
ただし、これは解釈の違いのようでもある。
実際の話は、古代マヤ暦が5126年立つと、元に戻ることになるのだという。。
つまり、これですべての年がクリアーされるということだ。

人間はどうも騒ぎが好きな動物のようである。
聊かの根拠があれば、それに付け足し、付け足し話を広げて行く、これが人間である。
なんか、吉田兼好が書いていそうな話だぞ。

2012年12月20日木曜日

カレーライスの食べ方


御殿場にも雪が降りました。
というのは冗談で、この写真は去年の一月の雪でした。
しかしながら、今日の寒さからすると、雪が降るのもそう遠くはないだろう。

 水曜なので、「怒り新党」である。
今夜のお題で「私はカレーライスを食べる時に、ルーとライスをバランス良く食べることができない人に腹が立ちます。」
というのがあった。
確かに、カレーライスというのは、バランス良く食べないと、ルーが足りなくなったり、ライスの方が足りなくなったり、どちらかが余ってしまう。
 バランス感覚の悪い人間は、ここで分かってしまうだろう。
うん、これは人間を観察する時の、ひとつの目安になるかもしれないね。
 でも、最後にマツコデラックスがいうように、「美味しく食べたい食事なんだから、好きなように食べれば。」が正しいのですかね。

2012年12月19日水曜日

菊地神社の「合格鉛筆」

三年生の受験がだんだん近づいて来た。
受験というのは、昔から実力七割、情報1割、そして運二割と言われている。
私が担当している古典講読の生徒(5人)の授業もいよいよあと一回の授業を残すのみとなった。
あとは運をなんとか付けてもらうために何かを・・・と思って、どこかの天神(学問の神様)に行って、御札とか御守りでももらって来て、彼らに渡そうと考えたのだが、近所に天神はない。(天神屋という、おむすび屋はありますがね。)
そこで考えたのがこれ。
手作りの「合格鉛筆」ですぞ。(鉛筆本体は市販のもの)
菊地神社の「合格鉛筆」だ。
他のN西の三年生、N東の三年生にもあげたいものです。

2012年12月18日火曜日

投票率

昨日から今日にかけて、世の中は選挙、選挙であった。
結果はどうであれ、問題は投票率の低下である。今回はなんと、戦後最低の59.32%なのだそうだ。
国民の四割以上が投票を拒否したのだ。
 これはつまり、今回、国を動かして行く政府というのは、(別に今回だけとは限るまいが)国民の六割から更に与党以外の支持者を差し引いた数の支持でしかない、ということになる。
 
 現在、一生懸命に受験勉強をしている諸君。
君達が選挙権を持った時には、必ず投票をしようね。
何だか学校の先生みたいなことを言うな。


2012年12月17日月曜日

「ギョエー」の声

写真を撮ろうと思って御殿場二の岡神社まで出かけた。
いつもなら、静かな神社入り口の駐車場に今日は異常な数の車が駐車していた。
よく見てみると、カメラ機材などを積んだ車などがあった。
「どうもこれは何かのロケのような雰囲気だな。」と思って、さらに進むと境内のほうから、「ギョエー」という叫び声。
ずっと中まで行くことは、どうもできないようだった。
映画だろうか、テレビドラマだろうか。
どうでもいいことだが、あの「ギョエー」の叫び声が気にかかる。
なんと言っても、この二の岡神社というのは、不思議なオーラのあるところなのだから。

2012年12月16日日曜日

データ重視

雨降りであった。
これから雨が降る毎に寒くなって行くのであろう。
 NHKのスポーツ番組で、日本の女子サッカーの監督と女子バレーの監督の対談があった。
サッカーもバレーもロンドンオリンピックでメダルをとった競技である。
この両監督の話が結構面白かった。
バレーの監督は、データ重視で有名な監督である。
従って、選手起用もすべてデータで使う。
この理由がふるっている。
女子というのは嫉妬というものが結構激しい。従ってその嫉妬の部分を消し去るには、データが一番だというのだ。
選手起用の際にも、客観的な数値のデータを示せば、嫉妬などは起こらないとのこと。
うーん、なるほどね。

木曜日の夕方、N東の保健室までこっそり出かけ、養護のM先生やI先生から三年生のことを聞いた。
みんなその気になっているようだ。
また、今日は御殿場の100円ショップでN東の三年生に会った。
その三年生曰く、まわりの人の目の色が変わっていると。
この時期そうでなくてはね。
勿論、N西の三年生も頑張っているよ。



2012年12月15日土曜日

日本料理

N西家庭科のM先生から貸していただいた、日本料理のDVDを今日やっと観ることができた。
 「プロフェショナル」という番組から、日本料理の天才料理人といわれた「山本征治」の話である。
この中に、いくつか注目すべき言葉があったので、紹介してみる。
 まず、「日本料理というのは、結局、素材の持っている力をどのように引き出すか、ということである。」
 まったく同感である。
どの素材も素晴らしい味を持っているのである。いや埋まっていると言ったほうが良いだろう。
良い料理人は、その味を上手に引き出す。
言い方を変えれば、素材の素晴らしい味を上手に引き出すことができるのが、良い料理人なのである。

(この話とは関係ないが、写真は一昨年、北海道のホテルで食べた懐石料理の中から、穴子ご飯と魚ソー麺の吸い物。上にあるのが鰈の串あげ。)


2012年12月14日金曜日

南天③

さらに南天である。
常磐薬品という薬品会社(南天のど飴の会社)のコマーシャルブログの中に、南天とお手洗いの記事があった。
昔の家屋はお手洗いの近くに、よく南天の木があった。(そう言えば、私の実家の近所の家にもあったなあ。)
その理由はというと、南天手水(なんてんちょうず)と言って、水がない時には南天の葉で手を清めるためであったそうだ。(南天の殺菌作用か?)
また、トイレで年寄りが転んだりするのをさけるためのお呪い(おまじない)、つまり前にも書いたが、「なん(難)をてん(転)ず」の意味もあったそうだ。
さらに南天というのは、外国においても特別な木のようで、英語では、sacred bamboo(聖なる竹)とか、heavenly bamboo(天国の竹)と言うらしい。なかなかのネーミングである。

話は変わって、今12月15日午前0時26分現在、双子座流星群が空を次から次へと流れている。まだまだ続くようなので、まだ御覧になっていない方、是非どうぞ。

2012年12月13日木曜日

南天②

久し振りの「怒り新党」である。
テーマのひとつに「人前で大きなくしゃみをする人に腹がたちます。」というのがあった。
マツコにしろ有吉にしろ、その意見には否定的であった。
私も同感である。
「でものはれもの所きらわず。」の言葉がある。
どうしても自然現象というのは、避けられないものなのだ。自然現象を抑えてしまうのは、これは問題があるるのではないか。
身体によくないことだ。

さて、昨日に続いて「南天」の話。

中国に「邯鄲の枕(夢)」という話がある。

盧生(ろせい)という青年が邯鄲(かんたん)という町で枕を借りて眠ると、次第に出世して栄華を極めた人生を送る。
ところが目覚めてみると炊きかけの粟(あわ)も炊き上がっていないわずかな時間だった...。
 人生のはかなさをたとえる有名な故事だが、実はこの「邯鄲の枕」は南天の材で作られていたそうだ。
日本でも悪い夢を見たら床に南天を活けると悪夢が消え、枕の下に南天の葉を敷くと悪い夢を見ないという言い伝えが残っている。
今も南天の図柄をデザインした手ぬぐいや枕カバーが売られているのは、この故事が大切にされている証拠である。

2012年12月12日水曜日

南天

左の写真の紅葉だが、どうも「南天の葉」の紅葉のようである。
「南天のどあめ」の「南天」だ。
 「南天」というのは平安時代に中国から伝わってきた植物で、この「南天」の実を乾燥させたものを砂糖と混ぜて煎じて飲むと、咳にに効果があるということである。
最近ではその他、殺菌作用、鎮静作用もあり、喉の痛みや、炎症を抑える成分も、抽出されることが証明されたらしい。
 その他、「南天」は「難転(難を転じる。)」につながるので、縁起木として、戦国時代には鎧櫃(よろいびつ)の中に「南天」の葉を入れておいたそうだ。
 
そう言えば、赤飯の上に「南天」の葉がのっていたような気もするな。 

2012年12月11日火曜日

人力車

昨日の写真では人力車がわかりにくいので、今日再び人力車の写真を載せてみる。
 嵐山は、いたるところ人力車だらけである。
何故こんなに人力車が増えたのだろうかと、ツラツラ考えてみるに、(十年前にはこんなに多くなかったはずだ。)「これは老人が増えたからだ。」という結論に、自分で達した。
 嵐山は細い道がほとんど、しかもJR線にしろ、京福電車にしろ、「嵐山」という駅からの観光名所は結構遠い。
従って、足にあまり自信のない老人のため、人力車の需要が多くなるのであろう。
 わたしも老人ですがね。

2012年12月10日月曜日

オネゲスト

先日テレビを見ていると、「女子高校生の間で流行っている言葉」というのを放送していた。これは勿論、都会の高校生だと思うのだが、その中に「オネゲスト」なる言葉があった。
「オネガイ」「オネゲー」「オネゲスト」とでもいうのだろうか。
 これは、誰かに何かを頼む時に使う言葉で「オネガイ」は「お願いします」、それが比較級になると「オネゲー」、そしてどうしてもお願いしたいことがあると、最上級になって、「オネゲスト」と使うらしい。
 「ねえ、ねえ、オネゲストだから、この服買ってちょうだい。」とでも言うのだろう。


(写真は、京都嵐山のなんだかわからないが紅葉している葉と、人力車。)

2012年12月9日日曜日

コルトレーン

さて、昨日の続きでコルトレーンのこと。
1926年生まれのコルトレーンは1967年に亡くなってしまう。
 実はコルトレーンが注目を浴びて、活躍したのは、10年ほどである。
59年のマイルス・デービスのバンドで注目され(「カインド・オブ・ブルー」というアルバム。)、以後ジャズ界のトップに君臨するわけであるが、彼のCDを聴いていると素人の私でも、技術が格段に上達する過程がわかる。
これは、コルトレーンが短期間に一気に上達したことの証だ。
 60年代のコルトレーンは不動のバンド(カルテット)をつくりあげる。このバンドの凄さは、ライブでもレコーディングでも一切リハーサルをしないし、スタジオには楽譜すらなかったという。コルトレーンがキーを指示して、イメージする曲の名前を言うだけで演奏が始まるのである。
コルトレーンはやっぱり凄いなあ。

2012年12月8日土曜日

BEAT TAKESHIのジャズ

昨日借りてきたCDの中に、BEAT TAKESHIの「Intoroduces Jazz」というのがあって、まずこの話をしようと思う。

 最初にこのアルバムが出た時には、あまり興味もなく、それとなくやり過ごしていたのだが、今日これを聴いてみて、(このアルバムは言ってみれば、ビートたけしが好きなジャズの集合体である。)ビートたけしに強い親近感を覚えた。

彼は明治大学の工学部(今は理工学部)に在籍していたのだそうだが、その通学の乗り換えで新宿に立ち寄り、新宿のジャズ喫茶でアルバイトをするようになったとのこと。
これが、たけしとジャズとの出会いである。
 
 さて、私が親近感を覚えた大きな原因は、アルバムの一番最初に持ってきた演奏が、ジョン・コルトレーンの「マイ・フェイヴァリット・シングス」だったからだ。 (コルトレーンという人は、ジャズを聴いている人なら誰でも知っているサックスを吹くオジサンで、天才でありながら努力家というチョー真面目で、凄い人なのです。私も彼の演奏を聴く時には斎戒沐浴を必ず心掛けています。ナンチャッテネ。)

ビートたけしとコルトレーンは一見そぐわないような気もするが、ビートたけしという人間は、きっと見た目とは異なって、極めて真面目な人間なのだろう。

2012年12月7日金曜日

本日のレンタルCD

本日レンタルしてきたCD。
①「DUET」塩谷哲&小曽根真
②「BEAT TAKESI Intoroduce Jazz」
③「COVERS 2」BENI
④「I AM GILLE」GILLE
⑤「LEO」家入レオ

①②はジャズ
②はビートたけしがプロデュースした、ビートたけし好みの演奏を集めたものである。
まだ聴いていないが、彼のの好みはどんなジャズなのだろうか。
③④はカバーアルバム、③は前々回に紹介した「JILLE」のアルバムである。
⑤は、女子高校生のアルバムであるが、出勤途中に彼女の歌を聴いて、その歌唱力に驚いた。

まだ、すべては聴いていないので、後日感想を述べたいと思う。



2012年12月6日木曜日

歌舞伎役者「勘三郎」のこと

中村勘三郎という歌舞伎役者がなくなった。
享年57歳。
私よりも年下である。
歌舞伎をよく観るわけでもなかったが、彼の芸というのは、ほんとうに恐るべきものがあった。
本職の歌舞伎は勿論なのだろうが、私はあの話しっぷりに何時も驚いていた。
あれは話芸である。
無駄な言葉を使わない、とでも言うのだろうか。
何かのトーク番組で観たのだが、それは見事なものであった。
人の前で話すことを生業(なりわい)としているからには、学ぶものが沢山あったような気がする。

(写真は、京都嵐山「直指庵」前の柿の木。)

2012年12月5日水曜日

カバーアルバム

世の中カバーアルバムが流行なのだそうだ。
由紀さおり&ピンクマルティーニの「1969」や、BENIとかChenelleなどもそうだ。

さて、女性歌手の「カバーアルバム」を検索していると、Gilleという歌手にあたった。
他の歌手の歌をカバーするのは、相当な実力の持ち主である。

ユーチューブで観たのは、二人組のラップユニット「ヒルクライム」の「春夏秋冬」と「AKB48」
の「フライング・ゲット」を歌っている姿であった。
なんと言っても英語が上手い。
英語の教師でもないのに、英語が上手いなどというのは烏滸がましいが、兎も角上手く聞こえる。
何でも彼女は、小六から英会話を勉強しており、中高生の時には、弁論大会で多く優勝しているのだという。(上手いはずだ。)
 

2012年12月4日火曜日

きつねうどんの「今井」

大阪ミナミの道頓堀に「今井」という饂飩屋がある。うどん屋といったら語弊があるかもしれない。なぜなら、この店は饂飩も蕎麦も食べることができるからだ。
しかしながら、私にとって「今井」はうどん屋である。それも「きつねうどん屋」なのである。
 もう30年以上も前になるだろうか。
初めてこの店で「きつねうどん」を食べた時の衝撃は今でも覚えている。
「な、なんだこの汁(つゆ)は。」
これが最初の感想だ。
「今井」の説明書きに曰く。
「道南(北海道の函館近く)の天然元揃え昆布(昆布の高級品)を頑なに使い続け、今も昔ながらの八升釜で一杯一杯心をこめて出汁をつくっております。」
やはり、大阪というのは、出汁(だし)にこだわる街なのである。
(勿論、「麺のうどん」も「きつねの油揚げ」も当然こだわっている。)
うーん。今回も美味しく、いただきました。

2012年12月3日月曜日

高校生アスリート

NHKのスポーツニュースで、試練を乗り越えた女の子の高校生アスリートを二人、紹介していた。
 一人は、11月にスキージャンプのワールドカップで、見事優勝した高梨沙羅という選手。
今年の三月にワールドカップで優勝したのだが、そのあとスキージャンプにはルール改正があって(何だかわからんが、スキーのジャンプ競技というのは、日本人が勝つと必ず日本人に不利なルール改正がなされるようだ。ルールを変えた人間には、正々堂々とか、スポーツマンシップなどはないのかね。)、彼女には不利となった。(ジャンプスーツを浮力がなくなるように身体にピッタリするものに変えられたのである。身体の小さい人間には不利となる。)
しかしながら彼女は、その不利を踏み出し等で克服、見事にワールドカップで二勝目をあげたのだ。
 もう一人は、バドミントンのジュニア世界チャンピオンになった
奥原希望(のぞみ)という選手。
彼女は高校生で全日本のチャンピオンになったのだが、そのチャンピオンというプレッシャーから、その後さっぱり勝てなくなってしまった。悩んでいる時に目にしたのが、サッカーのセリエAでプレーしている長友の本だったという。
彼の「ポジティブシンキング」に学び、自分の気持ちを変化させていったのだそうだ。
二人とも、150センチそこそこのかわいらしい女の子なのだが、その肝っ玉は相当太いように感じられた。




2012年12月2日日曜日

常寂光寺

御殿場に白いものが散らついた。
初雪は例年より早いようだ。

毎年、暮れには京都に出かけることにしている。
今年は、まだ紅葉の時期に間に合いそうだということで、混雑を覚悟の上で嵐山に行ってみた。
予想通り、どこも人人である。
写真は「常寂光寺」、写真にはそれほど人は写っていないが、これは人の切れた瞬間をねらったもので、実際にはこの前も後も人だらけなのである。

「常寂光寺」というのは、和歌にも度々登場する「小倉山」の中腹にある日蓮宗の寺である。
「小倉山峰のもみじ葉心あらば今ひとたびのみゆきまたなむ」の「小倉山」である。
また、百人一首の制作者と言われる「藤原定家」の山荘があったとうのが、この「常寂光寺」なのだそうだ。
そう言えば「百人一首」の前に、「小倉」をつけて、「小倉百人一首」と言うね。

2012年12月1日土曜日

スキー人口

スキー人気が陰っているそうである。愛好者人口は最盛期だった1993年の三分の一に減っている。したがって、どこのゲレンデもすいているらしい。結構なことだと思うが、スキー産業にとっては、笑い事ではすまされない。
困ったものだ。
スキーというのは、ある程度歳をとってもできるのがありがたい。
世の中にはすごい人もいるもので、プロスキーヤー三浦雄一郎の父で三浦敬三さんは、99歳でフランスのモンブランの氷河を滑降したという。
還暦60歳・古希70歳・喜寿77歳・傘寿80歳
米寿88歳・卒寿90歳と、それぞれに記念の冒険スキーを敢行したそうだ。
すごいもんだ。