古典講読の授業中、外を見てみるとグランド横に紅葉した葉っぱが見えた。
おお、これは写真に撮らねばと、空き時間にグランド沿いに歩いて行くと、グランドとなりにある寺の塀際になにやら石碑がある。
石碑に曰く。
戦国時代、沼津周辺では小田原北条氏と甲州武田氏の勢力争いが激しくとくに天正八年(1580)の千本浜の合戦は激戦であった。
明治33年の暴風雨で倒れた松の大木の下から、たくさん頭蓋骨が発見され、地元の人達はこの骨を集め、塚を築き、碑を建て「お首さん」と呼んで手厚く葬った。
人骨はこの合戦の戦死者のものと言い伝えられてきたが、昭和29年、人骨研究の権威鈴木尚東大教授の調査により当時のものと確認された。
おびただしい頭蓋骨の数や刀傷の深さから、戦いの激しさがうかがわれ、とくに十代後半の若者の骨の多いことが注目されている。
おお、これは首塚ではないか。
しかも、ここには100体以上が埋葬されていたという。
N西に隣接してこんなところがあったとは。
(写真は石碑の横にあった石仏、大正五年と刻んである。)
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