2024年7月31日水曜日

小式部内侍の和歌

相変わらず「命の危険」なる「暑さ」が続いている。

過去には、「御殿場三十五℃」などという言葉は存在しなかっただろうに。


「大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみもみず 天の橋立」

大江山を越え、生野を通って行く丹後への道のりは遠いので、まだ天の橋立の地を踏んだこともなく、また、母からの手紙も見ていません。

小式部内侍(こしきぶのないし)は中宮彰子に仕えていたが、若くして死去。                      和歌の実力を疑われていた作者が、母のいる丹後国の歌枕を読み込み、掛詞や縁語を駆使して即興的に詠んだ歌。(母は歌人として有名な和泉式部。)


 

2024年7月30日火曜日

フェンシング

昨日のオリンピック中継を観ていて、日本人は体格に比して意外と格闘技に強い人種だなあと思った。

柔道やレスリング、そして今回はフェンシングだ。

173センチ対196センチというフェンシングという競技において、圧倒的に不利な状況にあっても、それを逆に自分にとってのアドバンテージとして取り入れるのだ。

フェンシングのことは良く分からないが、今度N西のフェンシング部OGに会った時に聞いてみることにしよう。
 

2024年7月29日月曜日

赤染衛門の和歌

三十四℃とか三十五℃の気温が、それほど珍しくなくなってきた昨今、今日の最高気温は栃木県の佐野市の四十一℃(午後三時現在)だという。

「やすらはで 寝なましものを さ夜ふけて かたぶくまでの 月を見しかな」

あなたがおいでにならないことを、はじめから知っていたら、ためらわずに寝ていまいましたでしょうに。今か今かとお待ちするうちに夜がふけて、ふけて、西に傾くまでの月を見たことです。

赤染衛門(あかぞめえもん)=大河ドラマにも登場している中宮彰子に仕えていた女性。 

この歌は作者の姉妹の一人に通っていた男(藤原道隆)に、姉妹に代わって詠んだ歌だという。通ってこない男への恨み言に、待つ女の悲哀がにじみ出た歌だ。



 

2024年7月28日日曜日

和泉式部の和歌

パリ・オリンピックが本格的に始まった。

それにしても、柔道の判定というのは実に判らんなあ。

「あらざらむ この世のほかの 思ひ出に 今ひとたびの 逢ふこともがな」

まもなく私は死んでしまうでしょう。あの世への思い出として、死ぬ前にもう一度あなたにお逢いしたいものです。

和泉式部は、大河ドラマ「光る君」の後半のキーパーソンとして登場する恋多き女性で、道長の娘である中宮彰子に仕えた。
 

2024年7月27日土曜日

今まで経験したことのない

夕方に雷、大気が安定していないようで、雷のあとに夕立のおまけ付きであった。

ここのところ御殿場も、かつてない 暑さに見舞われており、今日は三十四℃ということである。

最近よく使われる気象情報に「今まで経験したことのない○○」があるが、このフレーズは非常に「現実感」があるのである。

2024年7月26日金曜日

藤原公任の和歌

    「滝の音は 絶えて久しく なりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ」

滝の水音は聞こえなくなってから長い年月がたってしまったけれども、その名声だけは流れ伝わって、今でもやはり聞こえてくることだ。

大河ドラマにも登場する藤原公任は、若い時から藤原道長の近くにいて、秀才の誉高い人物である。

「大鏡」という歴史物語の中では道長の父兼家に、道長たち兄弟はその能力を比較され、散々嫌な思いをしたのである。


 

2024年7月25日木曜日

儀同三司母の和歌

相変わらず暑い日が続く。

一昨日は藤原兼家の妻、右大将道綱母の和歌であったが、今日は兼家の長男(道長にとっては兄)藤原道隆の妻、儀同三司母(ぎどうさんしのはは)=高階成忠の娘(貴子)の和歌である。
儀同三司とは、儀式の格が三司(太政大臣・左大臣・右大臣)と同じと言う意味で、作者の長男(藤原伊周=大河ドラマでは憎まれ役)が自称に用いた。


「忘れじの 行く末までは かたければ 今日を限りの 命ともがな」

いつまでも忘れまい、とおっしゃるそのお言葉が、遠い未来までは頼みにしがたいので、そのお言葉のあった今日と言う日を最後とする私の命であってほしいものです。

詞書には「中の関白(藤原道隆)通ひはべいけるころ」と、あるそうである。

道隆が婿として通い始めた結婚当初に詠まれたもので、常に男の訪れ待つしかない立場の女性としては、恋が成就した今日という幸福感を言い表しているとともに、いつかは忘れ去られるのではないかという不安も感じている。
 

2024年7月24日水曜日

土用の丑の日

今日は土用の丑の日、右の写真はウナギであるが、これは願望であって(去年食べたものの写真)今日食べたわけではない。

キビシイ暑さの中、老人たちは恐れ知らずの水曜テニスをするのでした。

湿度が高いせいか、今日のテニスは実に辛かった。

言ってみれば、少し走るだけで身体中から汗が噴き出してくるような感じである。

これから毎年毎年、夏はこんな感じになってしまうのであろうか。

2024年7月23日火曜日

右大将道綱母の和歌

髪の毛がウルサクなってきたので、近くの床屋(イマドキは何というのだろう?理容室?理髪店?ん?まさか美容室とかヘアーサロンでもあるまい。)に出かける。

だいぶ短くしてもらったので(ワタシの意思とは関係ないような担当者の仕事ぶりであった。)、多少は頭が涼しくなったようだ。

四回目の百人一首である。

「嘆きつつ ひとり寝る(ぬる)夜の 明くる間は いかに久しき ものとかは知る」

嘆き嘆きして、ひとりで寝る夜の明けるまでの時間がどんなに長いものであるか、ご存じないでしょうね。

なかなか自分のところに通って来ない夫への苦情であるこの和歌を詠んだのは、右大将道綱の母、「蜻蛉日記」の作者であり、藤原道長の父(藤原兼家)の第二夫人、さらに日曜の大河物語でも、何かたよりない存在として描かれている道長の腹違いの兄(藤原道綱)の母でもある。


 

2024年7月22日月曜日

大弐三位(だいにのさんみ)の和歌

日本の多くの地域で「熱中症警戒アラート」が発動されていた、我らが御殿場でも三十二℃を超す温度が記録されたようだ。(特に老人にとっては身体に危険を及ぼす暑さなのです。)

さて、昨日の大河ドラマには紫式部の娘「藤原賢子(かたこ)」が赤ん坊として登場したが、この賢子の和歌も大弐三位(だいにのさんみ)として百人一首に取られている。

「有馬山 猪名の笹原 風吹けば いでそよ人を 忘れやはする」

有馬山に近い猪名の笹原に風が吹くと、笹の葉がそよそよと音をたてる。さあそのことよ、お忘れになったのはあなたのほう、私はどうしてあなたのことを忘れるでしょうか。

作者のもとへ通ってくることが途絶えがちになった男が「あなたが心変わりしたのではないかと心配です」と言ってきたので、この歌を詠んだという。


 

2024年7月21日日曜日

ジャッキー・マクリーン

 

今日は以前、「ユニ〇ロ」で販売された所謂「ジャズコラボTシャツ」(写真左がTシャツ、右がCDジャケット)が目についたので、それを着て作業をしている。

ジャッキー・マクリーンと言えば、高音でバリバリ吹くアルトサックス奏者なのだが、もうひとつの魅力がバラードを演奏する時の、極めてエモーショナルな(日本の演歌にも通ずる)泣き節である。

ワタシの中では、マル・ウォルドロンのアルバム「レフト・アローン」において、亡きビリー・ホリデーのボーカルに代わって演奏する泣き節は、これはもうたまらないのである。

2024年7月20日土曜日

清少納言の和歌

昨日は紫式部の百人一首に掲載されている和歌を挙げてみたのだが、今日は式部のライバル清少納言の掲載和歌を挙げてみる。

「夜をこめて 鳥のそらねは はかるとも よに逢坂の関はゆるさじ」

夜の明けないうちに、鶏の鳴きまねで人をだまそうとしても、あの函谷関ならばともかく、この逢坂の関はけっして許さないでしょう。ーだまそうとしても、私はけっして逢うことを許しませんよ。

これは、たわむれを言ってきた藤原行成に対しての返歌である。

(函谷関とは、中国の戦国時代に斉の国の孟嘗君が、秦に使いして捕らえられたが、部下に鶏の鳴きまねをさせて、一番鳥が鳴かなければ開かない函谷関を夜中に開けさせて通り抜け、無事に逃げ帰ることができたという、抜けるのが難しい関所のこと。) 


 

2024年7月19日金曜日

紫式部の和歌

日曜日の大河ドラマで主人公をつとめている紫式部であるが、彼女の和歌が「百人一首」の中に入っていることは、割と知られていない。

「めぐりあひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲がくれにし 夜半の月かな」

久しぶりにめぐりあって、その人かどうか見分けがつかないうちに、雲間に隠れてしまった夜半の月のように、あの人はあわただしく姿を隠してしまったことです。

(詞書には、久しぶりに再会できた幼友達が、ほんのわずかに会っただけで、月と競うように帰っていってしまった時に詠んだ歌とある。)
 

2024年7月18日木曜日

ドジ

天気も良いゆえ、富士霊園まで墓参りに出かける。

慌てて行った訳でもないのに線香を忘れてしまった。線香を忘れるというのは正確な言い方ではないかもしれぬ。線香の入っていない箱だけ持って中身がなかったのである。

考えてみれば、前回墓参りをした時には、線香はしっかり持っていったのだが、線香に火をつけるためのライターにガスがなく、結局線香をあげることができなかったのである。

度重なる「ドジ」、これが歳をとるということなのだろう。


 

2024年7月17日水曜日

十万年に一度

今朝、新聞をみていて驚いた。

過去百万年の地球の歴史の中で、ありふれた状態とは 、実は不安定な氷河期のような時代であり、暴れている気候であった。

そして、十万年に一度程度、温暖で安定した時代が到来するのだと。

つまり、われわれは非常にラッキーな時代に生きているのだ。

そう考えると、やれ異常に暑くなったとか、寒くなったとか、経験したことのない大雨なんていうのはカワイイものかもしれない。

2024年7月16日火曜日

パワー

一日雨降りであった。

午前中に近くのドラッグストアに行くと、G南で同僚だったT先生に会う。

ワタシよりも四つ年上なのであるが、現在G高校で非常勤講師、そしてもうひとつ学童保育のような仕事をしているとおっしゃっていた。

実にお元気である。

ワタシにはそのようなパワーはないなあ。
 

2024年7月15日月曜日

妙な天気

 妙な天気であった。

雨、晴れ、曇り、さらに雷雨と瞬間的にドット降ってくるあめ、実に表現に困ってしまう天気だったのである。

昨日の朝、ふいに飛び込んできたニュースが「アメリカのトランプ元大統領の銃撃事件」である。

幸い、銃弾は耳をかするだけで、「本人の命には別状はない」ことをニュースは伝えていたのであるが、やはりアメリカの銃社会というのは恐ろしいのである。


2024年7月14日日曜日

高齢者の年齢

国は、高齢者の年齢の定義を70歳まで引き上げたいようだ。

最近は60歳を過ぎても元気な老人?が多く、要は元気なのだから皆さん70歳まではしっかり働いてね、ということなのだろうが、これはなかなか難しいと思われる。何故なら、60歳を過ぎてくると、その健康度が様々に変化してくるからである。

それを十把ひとからげにしてしまうのは何だかね。

写真の、野球をしていて極めて元気そうな高校生だって、今は猛暑の時間帯を避けて試合を行なうのである。これから先、ますます悪化が予想される地球環境の中で、老人を目いっぱい働かせることは、やはり問題なのである。

 

2024年7月13日土曜日

野球応援

現在勤めているT高校の野球応援のため、沼津の愛鷹球場まで出かける。

というのも、一学期に縁あって教えていた三年生のクラスに野球部の生徒がたくさんいて、今日の試合にもレギュラーとして四人出場していたからである。

またもうひとつ、今年のT高校には、プロも注目の152キロ(県内最速)を投げる投手(K君)がいて、彼のピッチングをこの目で見たいという理由もあった。

途中、相手の打球がK君の顔面を直撃、交代を余儀なくされたのであるが、二番手のピッチャーが落ち着いており、結果は6対1の快勝であった。

うーん、やはり球場に行って野球を観戦することは楽しいなあ。

F高時代に甲子園に行ったことを思い出してしまった。

 

2024年7月12日金曜日

「早起き」からの別れ

本日で授業が終了、何よりも嬉しいのは、突然追加された授業が無くなって、「早起き」をせずにすむことだ。

ここ数年、「遅寝遅起き」の生活に馴染んでいたワタシにとって、ふいに訪れた「早起き」の生活は、自身の体調不良さえ起こしかねない「回避すべき」ものだったのである。(ジジイにとって、生活習慣の変更はトテモ辛いのです。)

さあ、明日からは写真展の準備をすることにしよう。

2024年7月11日木曜日

かたじけない

今日もひとつだけの授業のために学校まででかける。

まあ、今日・明日が最後の1時間目となりそうなので、もう少し我慢することにしよう。

さて、時代劇などを見ていると、「かたじけない」という台詞が時々出てくるのであるが、これは古語の形容詞「かたじけなし」の口語的な使い方である。

意味は「はずかしい」「面目ない」「恐れ多い」などで、「身にすぎる恩恵を受けてうれしい、有難い(感謝の気持ちを表す日本人独特の感情表現)」の意味がある。

今回のワタシが作成した3年古典期末テスト「源氏物語」問題文にも「いとはしたなきこと多かれど、かたじけなき御心ばへのたぐひなきを頼みにてまじらひ給ふ。」とある。

語源はイマイチよく分からないのであるが、どうも「かたしけ(難気)なし」からきているようだ。



 

2024年7月10日水曜日

湿度が高い

明日必要な模範解答を作るために一度学校に行ってからの水曜テニス、朝からしっかり一仕事をしてしまった。

陽射しはそれ程強くなく、気温も昨日・一昨日に比べると若干低くなってきたのだが、どうも今日は湿度が高かったようで、テニスを終えてからの疲労感が尋常ではない。

ジジイになると、湿度にも敏感に反応してしまうようだ。


 

2024年7月9日火曜日

東京都は特別なのか?

一昨日は東京都知事の選挙があったわけだが、納得がいかないのは、NHKが夜八時からの大河ドラマ放映を潰して、選挙の特別番組を入れたことである。

都知事選と言っても、我々のような静岡県民にとってはほぼ関係のない、言ってみれば「他の地方」の首長を決める選挙なのである。

最近あった静岡県知事の選挙の際に、大河ドラマを潰して選挙速報なるものを入れただろうか。都知事選はそんなに重要なものなのか?東京都というのはそんなにエライのか?しかも、八時チョイと過ぎには「当確」が出ているではないか。

他の地方に比べて東京都は特別だという意識は、日本国民が持つべき意識ではないのである。


 

2024年7月8日月曜日

銃猟

新聞の見出しに「市街地でクマ銃猟緩和へ」とあった。

オヤ、「銃猟」とは何だ?

ひっくり返せば「猟銃」となる。「猟銃」とは鉄砲のことで、これはすぐに理解できるが、それをひっくり返した「銃猟」とはハテ?

漢字からは簡単に想像できる。つまり「銃」で「猟」をすることだ。

念のためにネット検索をしてみると、次のようにあった。

銃猟とは

散弾銃,ライフル銃,空気銃等の銃器を使用する猟法。空気銃によるものやカモ猟を除いては一般に猟犬を使うことが多い。対象により鳥猟(陸鳥猟,水禽=すいきん猟)と獣猟とに分けられる。後者のうち小物獣猟は単独で行われるが,大物獣猟(クマ,シカ,イノシシ等)では大勢の勢子(せこ)を使って獲物を追い出し,これを待って射手が撃つという猟法が普通。


2024年7月7日日曜日

40℃

ついに静岡市の気温が40℃(午後1時)を記録した。

この7月初旬の段階で40℃超えとは、この先が思いヤラレルのである。

このような時は、命の危険のあるジジイは外に出ることはしない。外に出ないで家の中にひたすら引きこもるのである。

ただし、ジジイはエアコンがあまり好きではないので、エアコンなしでひきこもっているのです。



 

2024年7月6日土曜日

不思議なこと

今日のワタシの部屋の室温が31.3℃、これは過去最高のの室温である。
一昨日、昨日と徐々に暑くなってきたゆえ、身体の方は順化したようで、それほどのダメージは受けていない。
ただし、この暑さ、老人は甘く見てはイケナイのです。

不思議なこと。

このワタシのブログは、その日の閲覧の数やどこの国から閲覧されているかを、統計の欄で知ることが出来るのであるが、この一週間の記録を見ると、日本の閲覧数が179回に対して香港からの閲覧が2878回と、極めて多いのである。
ん?
これは一体どうしたことなのだろう。
実に不思議だ。



 

2024年7月5日金曜日

今日も暑い

昨日に続いて今日も暑い日であった。

老人は暑さに弱いはずなので、外に出ることは控え、家の中でオトナシク期末テストの採点をする。

今日の最高気温は、三重県松坂市の粥見というところで、で39.7℃だという。

現在、御殿場の自分の部屋は30.8℃であるが、今日は風があるので比較的涼しい。(部屋の中でひたすらジッとしていれば、快適なのです。)


 

2024年7月4日木曜日

39.3℃

「静岡市で39.3℃、史上最高気温を観測」が、今日の全国版のニュースの見出しであった。

去年だったか一昨年だったか忘れてしまったが、日本の史上最高気温(41.1℃)も浜松市(熊谷と同気温)が記録している。

一体いつから静岡県は日本を代表するような高温県になってしまったのだろうか。

静岡県というのは、日本一住みやすい県だと思っていたのですがね。
 

2024年7月3日水曜日

真夏日のテニス

午前中のテニスコートを取ることが出来ず、本日は午後1時からの水曜テニスとなった。

折しも今日は真夏日、ゆえに「お互い、自分の命は自分で守りましょうね。」と言いながらの「午後のくそ暑い日の」プレイであった。

そのような状況でも、平均年齢が80歳前後となるメンバーは、皆さんお元気で最後まで動き回るのである。

めでたし、めでたし。
 

2024年7月2日火曜日

太陽光

本日は試験監督もなく休業日となった。

ということで、午前中に採点を済ませ、運よく差してきた陽を味方にして、「紫陽花」を撮りにいってみた。

ワタシにとって撮影時にもっとも大事なことは、太陽の光があるかないか、ということである。

今日は朝から曇ったり晴れたり、ベストコンディションとは言えなかったが、何とか晴れ間をみつけて少しだけ撮ることができた。

写真はやはり太陽光なのである。


 

2024年7月1日月曜日

試験監督

期末テストの初日であった。

今日は二時間の試験監督だったのだが、試験監督というのはナントもツライ仕事である。

試験監督なのだから、何もせず黙って立っていれば良いと思われるのだが、この「黙って」がツライのである。

教師の性(サガ)として、生徒の前に立つとどうしても口を開きたくなるのだ。それを我慢して只管立つのは、これは拷問ですな。