昨日はブログに「一休さん=一休禅師」のことを載せたせたのであるが、いろいろ気になるところがあったので、もう一度彼の人間性について調べてみた。
当時、国内第一の経済的繁栄を誇っていた大阪の堺には、一休の兄弟子である養叟が布教に入っていた。
養叟は、それまで教化の対象から漏れていた商人たちへの布教を積極的に行なっていた。
彼らは身分も低く、教養もなかったが経済力があったので、兄弟子は教えを広めるために、教化の水準を落とさざるを得なかった。
しかし、真面目な一休にとって、それは許せないことであり、斬ることのできない偽の刀であったのだ。
下の画像を見ると、一休禅師の横に、僧には似合わない赤い大きな刀が立てかけられている。これがその「斬ることのできない偽の刀」だと言われている。
より多くの人に対する布教が優先なのか、それとも教えのレベルを維持することを大事にするのか。
これは、今の世にもよくある問題である。
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