所ジョージの番組で「大工」・「左官」のことが話題になっていた。
ここで「大工」・「左官」の語源について触れていたようなのだが、チョイト聞き逃してしまったので、自分で調べてみた。
大工という語は、「大匠」と書いて 「おおたくみ」と呼ばれた官職名である。
大工(おおきたくみ)、少工(すないたくみ・すくなたくみ)、長上工(ちょうじょうこう)、番上工(ばんじょうこう)の4職課。
大工、少工は各一人づつの担当次官の関係であったようだ。
ふーん、「大工」に対して「少工」というのもあったんだね。
また、「左官」の語源は、行政事務官の役付は、頭(かしら)、助(すけ)、充(じょう)、属(さかん)の4等級があり、宮中の営繕を行う職人に、土木部門を司る木工寮の属(さかん)として出入りを許したことから(『日本国語大辞典』他)。
一方、建久元年(1190年)十月に東大寺の再建大仏殿の棟上のときに大工そのほかの職人が官位を受領しているが、そのとき壁塗が左官となったこと(『玉葉』)に基づいたものとする説(『国史大辞典』)もある。
さらに、実際に「左官」として使われだしたのは桃山時代からという説もある。
「沙官・沙翫」と表記されていたこともある。建築の「木」に関わる職を「右官」と呼んでいた説もある。
何だかこちらはイロイロな説が有りすぎてよく分からん。
(写真は秩父宮記念公園にあった「採水口」)
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