2016年12月3日土曜日

土佐日記の「も」

土曜講習で「土佐日記」の問題演習をやってみた。

「土佐日記」と言えば、冒頭の「男もすなる日記といふものを、女もしてみんとてするなり。」が極めて重要な部分となる。
口語訳は「男も書くものだと(かねて)聞いている日記というものを、女(のわたし)も試みてみようと思って、(こうして)書くのです。」となる。

作者の紀貫之は男性なので、最初の一文で「わたしは女」宣言をするのは何じゃろなというところがミソだ。
多くの解説には、和文使用のための仮託とある。
当時、男性が日記を書く場合漢文で書くことが通例であった。
しかしながら、日記などの心情表現には漢文よりも和文のほうが圧倒的に適している。そこに目をつけた紀貫之が女性仮託のスタイルを試したのである。

ところで、この日記の一番の凄さは、「男も」の「も」にあるのではなかろうか。
この「も」は「の」となるべきで、「男のすなる日記」となる方が理解しやすい。
先に述べたように当時の常識として、日記を書くのは公的立場の男性であり、役所などの仕事の内容を漢文体で表記した。
女性の日記など公には認められていなかったのだろう。
したがって、「男が書いているという」日記を「女の私も」書くのですよとなる。
ところが貫之は「男も」とした。
「男の」ということにすると、男のすることを主とし女がそれにならう関係となるが、そこをチョイト変えたのである。
すなわち、「男の」を「男も」にすることによって、下の「女も」と対応、両者が同類・同列であることを示したのだ。
「男も書くものだと(かねて)聞いている日記というものを、女(のわたし)も女性風にアレンジして、(こうして)書くのです。」なのだろう。

心情を吐露するような日記というジャンルに関しては、女性の方が男性よりも余程面白いものが書けますよ、ということなんだろうね。







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