2013年4月19日金曜日

公平な評価なんか存在しない。

夜のニュースの中で恐ろしいことを言っていた。
なんでも今の日本列島は、百年周期と千年周期の地震多発時期にあるのだと。
つまり、百年に一度の地震の多い時期と、千年に一度の地震の多い時期が重なっているのが現在であると。

話は突然変わるが、四月十七日の「マツコ・有吉の怒り新党」で、マツコの発言になかなか含蓄(奥深い味わいや豊かな内容)の有る言があった。
マツコ曰く、「この世の中に、公平な評価なんか存在しない。」

教員というのは、常に評価をしているわけだが、「公平な評価」とは何ぞや?

まず、評価の元になるペーパーテストを考えてみると、これは公平とは言い難い。
まったく公平にするのであれば、すべてのクラスにおいて、同じ教員が同じ授業をしていなければならないだろう。
一字一句ちがいのない授業など不可能である。

国語という教科には、表現力というものもある。
国語に於ける表現力は、どのように評価すればよいのか?
表現力には、発言もあるだろうし、文章もある。
これも同じ教員が、同じ条件で評価しなければならないだろう。

こう考えていくと、「公平な評価」はやはり存在などしないのだろう。





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