2012年6月20日水曜日

只管(ひたすら)そして「怒り新党」

「只管(ひたすら)」という言葉がある。「一向」とも書くようだが、その意味は、
 ①ただその事だけに向かうさま。
 ②すっかり、まったく。
という意味である。
 禅の言葉に「只管打坐」というのがあって、それはすなわち「余念を交えず、ただひたすら座禅すること」とある。「只管」はただひと筋にひとつのことに専念すること。「打坐」はすわること。座禅をすることである。ただし、「ひたすら」を「只管」と書くようになったのは、江戸時代以降のことで、それ以前は「永」とか「大」とか「混」とか書いたそうである。うーん分からん。漢字と意味が繋がらん。
 さて、おまけに「怒り新党」である。話が面接試験のことになったのだが、ひとつなるほどと思ったのは、「どのような人間を落とすか?」の問に対して、「その時に応じたボリュームの声が出せない人間。」とあった。なるほど、である。

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