大雨警報が出されている中、水曜テニスは奇跡的に行なうことが出来た。
テニスの師匠より「百人一首についてもう少し書きなさい。」というリクエストがあったので、今日も百人一首について少々。
百人一首を見ていて気付くのは、親子で歌を載せている歌人がとても多いことだ。
まず、「あらざらむ この世のほかのおもひでに 今ひとたびの逢ふこともがな」華麗なる恋愛を展開した和泉式部の歌である。そしてその娘である小式部内侍の歌「大江山 いく野の道の遠ければ まだふみも見ず天の橋立」。
次に、「めぐり逢ひて 見しやそれとも分かぬ間に 雲隠れにし夜半の月影」紫式部、そしてその娘の歌、大弐三位は「有馬山 猪名の笹原風吹けば いでそよ人を忘れやはする」。
紫式部が登場したので、清少納言も。「夜をこめて 鳥のそら音ははかるとも よに逢坂の関はゆるさじ」。そしてその父親である清原元輔は「契りきな かたみに袖をしぼりつつ 末の松山波越さじとは」と詠んでいる。さらに清少納言のジイチャン清原深養父は「夏の夜は まだ宵ながら明けぬるを 雲のいづこに月宿るらむ」と詠む。
この他にも親子で詠んでいるケースは多々あるのだ。
遺伝子のなせるワザなのだろうが、「そんなに親子で載せなくてもよかろうに」と、何かもうひとつ納得がいかない感もあるのですよね。
勿論、定家自身も自分の歌とオヤジ俊成の歌も載せているのです。
定家「来ぬ人をまつ帆の浦の夕なぎに 焼くや藻塩の身もこがれつつ」
俊成「世の中よ 道こそなけれ思ひ入る 山の奥にも鹿ぞ鳴くなる」。