写真は近所の電柱である。
電柱には複雑に配線された電線、一体これらの線は何の線だろうか?
最近は携帯会社の線が多いような気がするのだが、実態はよく分からないのです。
写真は近所の電柱である。
電柱には複雑に配線された電線、一体これらの線は何の線だろうか?
最近は携帯会社の線が多いような気がするのだが、実態はよく分からないのです。
『源平盛衰記』の「剣巻」は源家相伝の名剣「髭切(鬼切)」と「膝丸」の二つの名剣の継承についての説話となっているそうだ。
平安時代、源満仲は天下守護のために髭切と膝丸の2腰の剣を作らせた。筑前国三笠郡の出山というところに住む異朝(唐国)の鉄細工が八万大菩薩の加護を得て膝丸と揃いで作った二尺七寸の太刀とされている。源満仲がこの太刀で試しに罪人の首を斬らせてみると、1振の太刀は髭(ひげ)まで見事に斬り、「髭切」と名付けられた。さらにもう1振は膝(ひざ)まで斬り下げたため、「膝丸」(ひざまる)と名付けられた。
髭切はその後、満仲の嫡子である源頼光の代には配下の渡辺綱に貸し出され、綱が一条戻り橋で鬼の腕を斬り、名を鬼丸と改められた 。
今や刀剣はゲームやアニメのおかげで、若い女性にとても人気があるそうだが、世の中のトレンドというのは、きっと若い女性が作っていくのでしょうね。
これを「散居集落(散居集落とは、各農家が100m程度の間隔をおいてバラバラに建てられた村落形態であり、個々の家々は強風の吹きつける西・北・南側の三方に杉を植え、風の少ない東側は垣根を薄くするもので、家の周りは自分の耕作する稲作地となっている。)」と言い、その美しい風景は日本の農村風景を代表する景観の一つだとも。
また、砺波地方では屋敷林のことを「カイニョ」「カイナ」と呼ぶと言う、これは垣根がなまった呼び名ということであった。
昨日見た番組(「こころ旅」)では、屋敷林の横を自転車が駆け抜けていった。
火野正平の「こころ旅」という番組で、富山県砺波平野の田園風景の中を自転車で走っていく場面である。
左右の水田と正面の雲、極めてダイナミックな風景だ。
それにしても最近のカメラの画質の良いこと。番組では自転車のフロント部分にカメラをつけているので、かなりの振動もあるはずだが、ほとんどブレのない映像を見ることができる。
午前中に学校まで答案の受け取りに、午後からは車の定期点検に出かける。
現在乗っている車は、まもなく15万キロに達するのであるが、きちっと半年ごとの定期点検をしているせいか、コレと言った故障は起きていない。
やはり、車の定期点検は真面目にするべきなのでしょうね。
何年か前に、イチゴの苗を一株(と数えて良いのだろうか?)だけもらってきて、庭の片隅に植えたのだが、ここ数年今頃になると、赤い姿を見せてくれる。
驚くべきことは、御殿場という寒冷地で、少しも世話をしていないのに果実を見せてくれることだ。
御殿場は、すでに寒冷地ではなくなってしまったのだろうか。
「五月闇」とは梅雨時のころの鬱蒼とした暗さをいい、昼間の厚い雲に覆われた暗さでもあるが、月のない闇夜のことでもある。
藤原道長の栄耀栄華を描いた歴史物語「大鏡」の「肝試し」という話の中では、藤原三兄弟(道隆・道兼・道長)が花山天皇に命じられて、「五月闇」の夜中に「肝試し」に出かけるシーンがある。
この話、道長がいかに勇気のある人物であるかをコマーシャルする話であるが、兄貴二人のあまりにも臆病な描き方を考えると、どうも事実は怪しいような気がする。
御殿場で上着を着て出発するのであるが、到着地の長泉町では、上着を着ていると暑い、服一枚異なる感覚だろうか。
慣れるには慣れたが、歳を取ると、この反応(自身の温度調節とでも言うのだろうか)が鈍くなっていくのも事実である。
以前から石川県と富山県の境目が妙だと思っていた(能登半島が変なところで石川県と富山県に分断されている)。かつては加賀百万石であり、石川・富山は一緒だったはずだ、それが何故?
これは長年の謎であったが、昨日、ウィキペディアの「大久保利通暗殺」の記事を読んでいてこのことがやっとハッキリした。
「大久保利通暗殺」の実行犯は石川県士族島田一郎・長連豪・杉本乙菊・脇田巧一・杉村文一および島根県士族の浅井寿篤の6名から成る(脇田は暗殺にあたり罪が家におよぶのを恐れて士族を辞めて平民になった)。その中でも特に中心的存在であるのが島田一郎である。島田は加賀藩の足軽として第一次長州征伐、戊辰戦争に参加しており、明治維新後後も軍人としての経歴を歩んでいたが、征韓論に共鳴しており、明治六年政変で西郷隆盛が下野したことに憤激して以後、国事に奔走することになる。
実行犯の島田らの出身地である石川県は事件発生当時、旧越中国全域および旧越前国の大半も含めた大県であったが、当事件をきっかけに、明治政府は石川県は大県かつ不平士族が多い故の難治県と警戒するようになり、石川の力を削減するために、(事件からおよそ3年後の)1881年に旧越前国を福井県に、1883年に旧越中国を富山県にそれぞれ分県させることに繋がった。
この事実は、石川県・富山県に在住の人にしてみれば、当たり前のことなのかもしれぬが、一つの事件が日本国の分割に関わることになるとは、イヤースゴイなあ。
例えば、車、テレビ、中でもワタシが驚いたのは「ジーンズ」である。そう言えば、最近若い連中が「ジーンズ」を履いている姿がそれ程見られなくなった。何でも「ジーンズ」には汚いイメージがあるのだそうだ。
一方、
年寄りの「ジーンズ姿」はスーパーなどでもよく見られる(世代的に学生時代はいつもジーンズを履いて過ごしていた世代だからだろう)。
我々の感覚だと「ジーンズ」というよりも「ジーパン」なのであるが、若者に言わせると、「ジーパン」と言う言葉自体が、もうジジ臭いのだそうだ。
もっとも、SNSの「ライン」さえ若者は使用が減っているというのだから、これはもう異常なスピードの「若者離れ」である。
テレヴィジョンの全国放送番組(ゴゴスマ)では、裾野市の黄瀬川が映し出されていた。黄瀬川の水位が上がってきて、このまま雨量が増していくと危険水域までいってしまうのだと。
黄瀬川という川は、以前にも氾濫を起こしており、現在も河川工事が行われている川である。例年であれば、もう少し後でやって来る梅雨なのだが、今年の梅雨は異常に早い時期であるという。
梅雨前の工事の予定が梅雨時期の工事となってしまったのだそうだ。
これはハンティング・ワールド(高級バッグメーカー)のキャッチコピーであるが、サスティナブル」とは何ぞや?
サスティナブルとは、「持続可能な」という意味である。 「サステナブル」と表記することもあり、 特に地球の自然環境の維持に役立つ事業や開発、自然環境に配慮した行動を表現する際によく聞くようになった言葉だという。
そしてこれは、2015年9月に国連で採択されたSDGs(エス・ディー・ジーズ)Sutainable Development Goals(持続可能な開発目標=国連に加盟する193か国が2016年から2030年の15年間で達成するために掲げた目標)からのワードでもあるそうだ。
うーん、なかなか意味のあるフレーズではあるが、高級バッグメーカーのハンティング・ワールドに使用されると、クエスチョンマークがつくよなあ。
おかげで水曜テニスは中止、いつもある予定が無くなってしまうと、人間、多少の狼狽えと思わぬ弛緩がやってくる。
というわけで、今日は午前中にグタッとしながらの大リーグ視聴。
なんと、あの大リーガー大谷翔平は、第一打席で今日もまたホームランを打ったのである。バケモノみたいなメジャーリーガーの中で、現在ホームラン14本とトップにいる。
こんなこと、一体誰が予想しただろうか。ほんとうにスゴイなあ。
もう今年で八年目であろうか、自分でもよくここまで出来たものだと感心している。しかしながら、これは偏に来場していただいた皆さまの御蔭であると、今更ながらの感謝の念もあるのである。
こんなことは大きな声で言えないが、今のところ今年のプランは全く持って無い。
取り敢えず、申請書を提出して、まずは自分を追い込もうという魂胆なのである。
この分では御殿場もと、恐る恐る車で走ったのであるが、予想は的中、むしろ御殿場市街の方がよりヒドイ霧となっていた。
以前、勤務していた学校では生徒会が発行する機関誌に「霧の里」という名を付けていたのだが、そのことが懐かしく思われた。
今年度になって初めての「フォグランプ」の活躍である。
「るろうに剣心」という少年漫画がある。
少年漫画というよりもアニメと言ったほうが適当なのかもしれぬ、またこの漫画は実写版として、映画でも人気のある漫画でもある。
さて、この主人公の「剣心(緋村剣心)」と言う人物、過去には「人斬り抜刀斎(抜刀斎の斎は神の意があり、抜刀術に優れた者ということで抜刀斎と言われたそうだ)」として世に恐れられていたのであるが 、その後「人斬り」をやめ、「逆刃刀(さかばとう)」という、刃とミネを逆にしたものを携え生きている。
何でも、この主人公のモデルは、幕末期実在した人物である「河上彦斎(げんさい)」なのだと、当時は、政治的な背景をもった「人斬り=暗殺者」が何人かいて、「河上彦斎」もその内のひとりである。彼の関わった有名な事件は「佐久間象山暗殺」なのだそうだ。
「人斬り」と言えば、当時は四大人斬りという人物がいて、薩摩の中村半次郎、同じく田中新兵衛、土佐の岡田以蔵、そして肥後の河上彦斎である。皆、腕の立つ「人斬り」であったが、史実を調べてみると、最後はどうも幸せではないようだ。
まあ、当時は世の中のためという志があったのだろうが、今では「殺人者」であり、なかなか通用しないだろうなあ。
さて、2019年10月に(当時は、現役の女子高生)、中毒性のある歌声と圧倒的な歌唱力を誇るAdoという18歳の歌い手が、「うっせぇわ」(詞曲・編曲:syudou)で一大センセーションを巻き起こした。
オジサンたちは、ややタイムラグがあってから、「何だか最近は凄い歌があるもんだ」と驚いたのです。もっとも、最近は「踊(おど)」という、これまた「踊り」の「り」を取ってしまった、日本語の先生からしてみると、トンデモナイ曲がヒットしているようだが。
ところで、ワタシが注目したのは、いつ出たのかは分からないが、同じAdoが歌っている「ギラギラ」という曲の歌詞である。ここに歌詞の一部分を紹介してみる。
「ギラギラ」(詞曲・編曲:てにをは)
Ugly 正直言って私の顔は
そう神様が左手で描いたみたい
必然 この世にあるラブソングはどれひとつ
絶対 私向けなんかじゃないでしょう
「私の顔は そう 神様が左手で描いたみたい」とは、何という発想だろう。詞は「てにをは」という人物の作詞となっているので、Adoとは別人なのだろうが、いやー、スゴイ詞を書くよなあ。
古文の単語に「すずろなり」という単語がある。「伊勢物語」の中では「すずろなる目を見ることとおもふに」と出てくるのであるが、ここでは「思いがけずヒドイ目に会うことと思っていると」と訳す。
さて、この「すずろなる」、終止形は「すずろなり」という形容動詞だ。漢字で書くと「漫ろなり」となる。またこれは「そぞろなり」とも同意である、「そぞろ歩き」の「そぞろ」だ。
「そぞろ歩き」とは、これと言った目的や根拠・原因がないままに物事や人の心が進む様子を表す言葉、「気もそぞろ」も同意である。
不思議なことは、この言葉が和歌にはほとんど使用されておらず、もっぱら散文に使用されたということである。
「これは危ないぞ、どこかに身体を隠さなければ」と思った瞬間に目が覚めた。
水曜テニスで久しぶりに身体を動かしたので、昼食後にすぐ寝てしまった。
おそらく、肘を立て、その上に頭を乗せて寝ていたので、肘が頭を支えきれなかったのだろう。これが身体をグラグラさせた原因だと思われる。
つけっ放しのテレビを見ると、そこには相変わらず「本日の陽性者」の数が示されていた。
いまや、地震より怖いコロナである。
連休ボケからくる疲れが収まっていないのか、身体と頭の調子が十分ではなく、家に到着するやいなや、すぐに寝てしまった。
一昨年などは、一日四時間の授業を三日間こなしていたような気もするのですがね。
まあ、身体の方は徐々に慣れてくるのであろうが、頭のネジをしめなおすのが大変なのです。
「狐の嫁入り」とも言われている「陽が射しているのに降ってくる雨」のことだ。
この原因は、雨粒が雲から地上までに届くまでの時間(大体10分から20分ほどかかる)なのだそうだ。
雨雲の動きが速く、さっさと移動してしまい、天気は晴れ、そこに少々遅れて地上に雨粒が到着する、これが「天気雨」ということである。
(写真は近所の交差点から見た富士山、わずらわしい電線もなかなか味があるのです。)
一本目は、「ストレイ・ドッグ」、二本目がリュック・ベッソン監督の「ANNA」、そしてシルベスター・スタローンの「ランボー ラスト・ブラッド」である。
特に面白かったのが「ストレイ・ドッグ」であった。
(あらすじ)LA市警の女性刑事エリン・ベル。若き日の美しさはすでに遠い過去のものとなり、今は酒に溺れ、同僚や別れた夫、16才の娘からも疎まれる孤独な人生を送っている。ある日、エリンの元に差出人不明の封筒が届く。17年前、FBI捜査官クリスとともに砂漠地帯に巣食う犯罪組織への潜入捜査を命じられたエリンは、そこで取り返しのつかない過ちを犯し、捜査は失敗。その罪悪感が今なお彼女の心を蝕み続けていた―。
要は、かつての恋人を殺された女性刑事が復讐を果たすという、昔懐かしい設定なのだが、見どころは何と言っても主演の「ニコール・キッドマン」である。老いぼれ刑事というのはよくある話だが、ここでは老いぼれは老いぼれでも、女性老いぼれ刑事なのだ。
男性・女性を差別する気はワタシにはさらさらないが、女性老いぼれ刑事というシチュエーションが、この映画の眼目なのではないかと思われる。さらに昔「誘う女」とか「アイズ ワイド シャット」などで、知的で冷酷な美人というイメージを残してきた「ニコール・キッドマン」がメイクの成せるワザとはいえ、本当に老いぼれ、やさぐれ刑事を演じている意外性、これだけでこの映画を観た価値はあったと思う。
うーん、あまり考えたことはなかったなあ。
さて、答えは「ヒールを履いた鈴木深雪さん」であった。ん?「ヒールを履いた鈴木深雪さん」だと。
何だか分けの分からない解答であったが、答えはこういうことであった。
以前、不動産を販売する時には、かなりいい加減な販売をしていたのだと。例えば30キロも離れているのに、「徒歩20分」などと表示をして平気で販売する。不動産業界の将来のため、これではイカンということで立ち上がったのが、当時不動産関係の仕事をしていた東京大学出の才媛、鈴木深雪さんである。彼女は自がハイヒールを履いて実際に歩いたそうだ。そしてそこから導き出された数値が、1分で80メートル、これを基準にして目的地までの時間を算出したということある。
ふーん、そんなことがあったんだね。
何だか分けの分からないフレーズで始まってしまったが、話はこうだ。
今、盛んにテレビコマーシャルで流れている「るろうに剣心」という映画の主題歌に「Renegades」という曲があるのだが、これが妙に印象的であり、どうも耳から離れない。
一体どういう訳だろうと、色々調べてみることにした。
この歌は、ワンオク=ワン・オーケー・ロック(ボーカルは森進一と森昌子の血を受け継いでいる森内貴寛、したがって歌唱力抜群なのです)という日本のロックバンドが演奏しているのだが、メイキングビデオを見ると、この作品には、英国のシンガーソングライター、エド・シーランが共同参加しているのだ。
エド・シーランと言えば、グラミー賞を四回も受賞している実力者、そして彼の根底にあるのが「ソウル」であり、「ボブ・ディラン」であり、「エリック・クラプトン」なのだという。
うーん、なるほどここで繋がったか。
ワタシがよく聴く「エリック・クラプトン」の影響が少なからずも出ているのかもしれない。
やはり、授業は良いなあ、カッコつけた言い方をすれば、ワタシのアイデンティティは授業そのものであるような気がする。
逆に言えば、ワタシから授業を取ってしまうと、空っぽのワタシしか残らないのだが。
さて、という訳で張り切って授業に出かけたのだが、5限にあるはずの三年生の授業が研修旅行のためにカットされており、結局今日は4限ひとつの授業で終わってしまったのである。
やはり、外で身体を動かすのは気持ちが良い。
さて、今巷の小学生の間で人気なのが「ふしぎ駄菓子屋銭天堂」だという、物語の説明イントロダクションには、このように書かれている。
幸運な人だけがたどりつける、ふしぎな駄菓子屋 「銭天堂」。店主の紅子がすすめる本日の駄菓子は、どれもその人の悩みにぴったりのもの。でも、食べ方や使い方を間違えると…。
幸福を呼よぶか、不幸をまねくかはその人次第!
うーん、何かおもしろそうだ。
TBSの朝の情報番組の中で「超一流料理人が認めた駅弁」をランキング形式で発表するコーナーがあった。
実は先日、新潟の友人(駅弁屋さんなのです)から、この番組に彼のところで作っている「えび千両ちらし」が登場する旨が伝えられていたので、一生懸命見てみたのです。
このコーナーでは、予め東京駅での売り上げ十六位までの駅弁がノミネートされており、さらにその中から超一流と言われた料理人三人(まあ、何をもって超一流かは分からんが)の得点でトップを選ぶという態であった。
さて、我らが「えび千両ちらし」であるが、あの「峠の釜めし」よりも一つ上の六位であった。さらに上の五位が「牛肉どまん中」という超ヒット作の駅弁であることを考えると、これはすごいことなのである。
ちなみに、四位から一位まではそれほどメジャーだと思われる?駅弁はなく、一位に関しては「東北復興」に協力のイメージが強く感じられた。(このように上位を否定することはは、ワタシの身びいきなのだろうか?)
先週は水曜テニスが出来なかったので、久しぶりのの運動となった。やはり、今日のように晴天時の野外での運動は気持ちが良い。
さて、昨日も我が家の「網戸張替え」をやったのだが、一度目よりは二度目より三度目である。
ポイントが分かってきたので、難なく「網戸の張り換え」ができるようになってきた。
目指せ「網戸職人」。
園内にはこれといった花は咲いておらず、いつものようにグルっと一回りして、「さて帰ろうかい」と出口を出ると、その出口からチョットの所に「藤棚」があった。
下界とはいささかのタイムラグがあって、この辺りは今が「藤」の盛りなのです。
「藤の花」を写真に撮ること、ワタシにとっては、なかなか難しいことであり、今まで何回撮っても納得のいくものはなかった。
理由をいろいろ考えてみたのだが、それはワタシの花の写真の撮り方(ワタシはどうしても花の下から撮りたいのです)がそうさせているのだと気が付いた。つまり、「藤の花」はワタシの好みの「下から撮り」にすると、どうしても「藤棚」の「棚」が写ってしまうのだ。
その点、今回は光線の加減がまあまあであり、多少納得のいく写真が撮れたのである。
大阪では「キツネうどん」はあるが、「タヌキうどん」は無いということだ。「タヌキ」は「蕎麦」だけなのだと。したがって、「キツネ」と言えば「うどん」、「タヌキ」と言えば「蕎麦」のことを指すらしい。
また、大阪の隣りにある京都の「キツネうどん」は、大阪とは異なっていて、油あげを刻んだものが具としてのっているのだと。
関東圏の我々からしてみれば、「キツネうどん」をそれほど真剣に食べることはあまりないが、大阪では「キツネうどん」をメインとして出している店も珍しくないのだと。
そういえば、大阪道頓堀にある「今井」という店の「キツネうどん」は、ケタ違いに美味かったなあ。