「週刊朝日」の連載記事である「司馬遼太郎と明治」を読んでいると、俳人であり歌人である正岡子規について書かれていた部分があった。
明治時代に「俳諧・和歌」の革新を成功させ、それぞれ「俳句・短歌」として文学的な価値を高めたのが正岡子規である。
残念なことに、子規は脊椎カリエスを患い、三十代の若さでこの世を去る。
「週刊朝日」の記事では、子規が弟子の伊藤佐千夫から病気療養のため、静岡県の興津へ転居を奨められた旨のことが書かれていた。
子規は乗り気になり、転居に対して意欲を燃やしたそうだ。
気候が温暖で空気もきれい、また眺望もいい。
ただ、デメリットとして転居には費用がかかる、良医がいない、そして仕事の打ち合わせに不便であるということで、結局は東京の根岸から移動せずに生涯を終えることになったそうだ。
ふーん、正岡子規が興津かあ。
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