2018年10月13日土曜日

「下から目線」



午前中にG南で土曜講習、(今日は「伊曾保物語」という日本語版「イソップ物語」であった)その後慌てて沼津の展覧会会場まで出掛ける。

午前中にやって来てくれたO分校の教え子M君、会えなくて残念だった。
N東時代のお姉さま二人、Oさん、Sさん、初回の写真展から、イツモイツモお世話になります。
次は中学の同級生G君、北海道のスキーよろしく。
そして最後がN西の卒業生、フェンシングのTさん、Nさん、Hさん。
さらに授業で縁のあったNさん、Sさん。
みんな有難う。
君たちが現れると会場がパッと明るくなります。

さて、写真の方、三回目は「下から目線」である。
今回は樹木を三本集めてみた。
場所は富士吉田、札幌、御殿場とそれぞれであるが、みなワタシの大好きな木である。

「下から目線」 

「下から目線」、勿論(もちろん)このような言葉はない。あえて言うなら「下から視線」と言うべきである。国語辞典を引いてみると、「視線」とは「及ぶ視力が直伸する線」とある。すなわち、「主体が見ている対象と眼点を結ぶ線」が「視線」だ。
由緒正しき言葉「視線」であるが、なんとなくエラそうである。それに対して「目線」というのは、もともと芸能界の業界用語であったらしい。(業界というだけで、なんとなくイカガワシイ臭いがする。)それがテレビ全盛・カメラ全盛となる1990年代になって市民権を得て、盛んに使用されるようになったという。


「目線」は所謂「俗語」である。しかしながら、この「目線」という言葉、イカガワシクても私はなんとなく好きだ。そして「下から目線」は、さらに好きだ。(自分で勝手に造語しておいて、好きも何もないのだが。)大体、この言葉は謙虚である。「上から目線」というと、やや横柄な感じだが、それに比べると実に謙虚である。そして、「下から」という言葉にやや卑猥さが感じられる。この謙虚さと卑猥さが同居するところが良いのかもしれない。


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