ワタシは百合の花を見ると「百」と「合」と言葉から、いつも夏目漱石の「夢十夜(第一夜)」を思い出す。
百合とは、百年たったら合う(会う)ことなのである。
「夢十夜」の一部を抜き出すとこんな感じだ。
すらりと揺ぐ茎の頂に、心持首を傾けていた細長い一輪の蕾が、ふっくらと弁を開いた。真白な百合が鼻の先で骨に徹えるほど匂った。そこへ遥の上から、ぽたりと露が落ちたので、花は自分の重みでふらふらと動いた。自分は首を前へ出して冷たい露の滴る、白い花弁に接吻した。自分が百合から顔を離す拍子に思わず、遠い空を見たら、暁の星がたった一つ瞬いていた。「百年はもう来ていたんだな」とこの時始めて気がついた。
非常にファンタスティックな話であり、最初にこれを読んだときには「あの夏目漱石がこんな小説を」と変なショックを受けたものだ。
簡単にあらすじを書くと、女が(どういう経歴の女性かはまったく書かれていない)「百年、私の墓のそばに座って待っていてください。きっと会いに来ますから。」と言って死ぬ。そして、女を埋めたところから百合が咲く。
「自分」は百年が過ぎたことを知った。
といった按配である。
まあ、夢の中の話であるから「不思議さ」は付き物であるのだろうが、何はともあれ妙に印象に残る小説なのである。
0 件のコメント:
コメントを投稿