2016年10月31日月曜日

ざる菊とヨーロッパアマツバメ

昨日、今日と載せた左の写真の「菊」は「笊(ざる)菊」というらしい。
今晩の県内ニュースで、まさに写真の場所が映されていたのだ。
なんでも地元の人が、一般の人にも見てもらうため、道路に面した畑に栽培したのだと。
形がちょうどザルを伏せたような形なので、この名がついたようだ。

ところで、今日の夕刊に「ヨーロッパアマツバメ」というツバメの記事が載っていた。
「夏の欧州に飛来する渡り鳥ヨーロッパアマツバメが、約10ヶ月にわたり一度も着地せずに越冬地のアフリカとの間を往復していることがわかった。」

この鳥は飛ぶのに適した流線型の体型で、ヒナを育てる約2ヶ月間以外は食事も空中で昆虫を捕まえて済ますなど、生活の多くを飛びながら過ごす。
2013年から2014年にスウェーデンに飛来した計47羽を捕獲し、飛行状況を記録できる装置を装着。
翌年以降に戻ってきた13羽の記録を分析したところ、越冬地のアフリカを往復する約10ヶ月間のうち99.5%以上の時間を空中で過ごしていた。

うーん、飛んでるけど、とんでもない鳥だね。
最も驚いたことは、夜明け頃、数キロ上空まで上昇して滑空する習性があり、その際に眠っている可能性があるということだ。




2016年10月30日日曜日

かっぱえびせん

写真は、スプレー菊?だと思う。
御殿場から十里木街道を通って、富士に行く途中で撮った。
何だか陸に上がったマリモのようだ。
黄色はすでに花が咲いているものであり、緑色はまだ葉だけのものである。
色のバラツキが、かえって絵的には面白いものとなった。

昼間のテレビ番組で、カルビーの「かっぱえびせん」は何故「かっぱ」をつけているのか、についてふれていた。
「かっぱえびせん」の製造元はカルビーという会社なので、「かっぱ」とは直接関係がない。
したがって、カルビーの「えびせん」でもよさそうだ。
不思議と言えば不思議。

番組ではこんな解答をしていた。
以前、カルビーのヒット商品で「かっぱあられ」という「あられ」があり、そのヒットに肖(あやか)ろうと、新商品の「えびせん」にも「かっぱ」の語をつけたのだと。

ふーん、それだけのことなんだね。

2016年10月29日土曜日

せぬはよきなり

今日の土曜講習で「推量」の助動詞「まし」の用法についてふれた。
「まし」は、「や」などの疑問の意を表す語と共に用いて、決断しかねる意を表すという用法だ。

さて、この用法でよく例に出されるのが「徒然草」第九十八段の「しやせまし、せずやあらまし」である。

「尊きひじりの言ひ置きける事を書き付けて、一言芳談とかや名づけたる草紙を見侍りしに、心にあひて覚えし事ども

一 、しやせまし、せずやあらましと思ふ事は、おほやうは、せぬはよきなり・・・・・と続く。

(第九十八段)

「しやせまし」以下の意味は、「したものだろうか、しないでおいたものだろうか、と思う事は、大抵はしない方がよい」となる。

「まし」の文法的な意味は兎も角、この部分の語意が面白い。
要は、「迷った場合には、しない方がよい」ということだ。
さすが、兼好法師。
彼の人生経験が滲み出ているような言葉だ。

物事は迷わないことが大事なんだね。


2016年10月28日金曜日

肩こり解消法

「肩こり」の原因は「浮き指」だ、というテレビ番組があった。

「浮き指」とは、足の指が浮いてしまって、足の指が、床や地面と接地していないという状態である。
番組は、肩こりのゲストが、その解消法を教わって、それを実行するといった態のものであった。

さて、解消法とは、椅子に座り、足もとに置いたタオルを足の指だけを使って引き寄せるといったシンプルなものであったが、ゲストたちの肩こりは、みな一様に治ってしまったのである。

肩こりの酷い諸君、是非実行してみて下さい。



2016年10月27日木曜日

思いなぞらえる

現在、古典の講義では「源氏物語」の「柏木と女三宮」という単元をやっているのであるが、その中に「なつかしく思ひよそへらるるぞ、すきずきしきや」の部分が出てくる。

これは、柏木という青年貴族が源氏の正妻である女三宮を見て、所謂「ぞっこん」となってしまう場面だが、なかなか読み応えがあるところである。

さて、「なつかしく」とは、心が惹かれること。
つまり、女三宮に柏木は心惹かれてしまうのだ。
まあ、ここは素直に納得できるのだが、次が難解なのである。
次は「思ひよそへらるるぞ」である。
「思ひよそへらるる」の意味として、訳本は「思いなぞらえる」とあるのだ。
女三宮が去ったあと、彼女の飼い猫を抱いて「心惹かれ、(女三宮のことを)思いなぞらえる」のである。

では、「思いなぞらえる」とは何だ。
高校生でこの意味をさっと答えられる生徒はそれほどないだろう。
「思いなぞらえる」を古語辞典ではなく、国語事典で意味を引いてみる。
「なぞらえる」とは漢字で「準える」と書き、それと似た構造・性質を持ったものと見なして扱う、とある。

うーん、難解だ。
ここは、「心惹かれ、(女三宮のことを)連想する」と、シンプルにいった方が良いように思うのですがね。

2016年10月26日水曜日

「夕焼け」について

新潟の友人と「夕焼け」が季語かどうかということでメールの交換をした。

現代俳句では「夕焼け」を詠んだ句は山ほどある。
しかし、不思議なことに江戸時代の松尾芭蕉の句には「夕焼け」を詠んだ句はひとつもないようだ。
これはおそらく「夕焼け」という感覚が、芭蕉には美的感覚として存在していなかったのではないかと思われる。
それはともかく「夕焼け」が近代以降に「季語」となったのは事実らしい。

「夕焼け」について評論家の山本建吉が次のように述べている記事を見つけた。

夕焼けも朝焼けも夏の季語とされている。どちらも夏に限らず秋にも春にも、時には冬にも現れる。しかし夕焼けがもっとも鮮やかに感じられるのは夏だということで、俳句の世界では「夏のもの」とされた。

(一部略)

「夕焼け」が季語として成立したのは明治以降、いはゆる近代俳句になってからのようである。江戸時代の俳書や歳時記には夕焼けはあまり現れない。ただし、この雄大な自然現象が古代から人々に強い印象を与えていたことは確かで、「風土記」には「夕焼け」「朝焼け」をひっくるめて「やけ」と称して登場している。


2016年10月25日火曜日

フラメンコとエイサー

火曜日は週休日でお休みであったのだが、N西が芸術鑑賞ということで、沼津の文化センターまでフラメンコ・エイサーを観に行く。

フラメンコの方はイマイチだった。
プロフェッショナルの演技にしては、チョイト迫力にかける。
もっとも、フラメンコはスペインのものなのだろうから、日本人が踊るのには所詮無理があるのかもしれないし、昼間、高校生を相手に演技するのも何となく違和感がある。
聊か考えすぎか?

さて、フラメンコの語は一体どこから来たのか?
気になったので、さっそくウィキペディアで調べてみた。
この語自体は、どうやら「フランドル地方の音楽」という意味らしい。そしてフラメンコの音楽、踊りは18世紀前半にカフェ・カンタンテなる飲食店の出現により、定期的にフラメンコが上演されるようになったという。
要するに、酒場のナイトショーだと思う。

うーん、やはり健康的な若者が、真っ昼間に観る音楽とか踊りではないような気がするよな。

エイサーは沖縄の踊りなので、これは無理がない。
やはり、芸術というのは無理がないことが一番だね。






2016年10月24日月曜日

またまたボケ。

昨日のブログで、自分が如何にボケてしまったかを告白したのであるが、今日、ワタシの新たなボケが発覚してしまった。

先週、新潟の友人に郵便物を発送した。
そしてその到着確認の電話で、その友人が言ったのである。
「到着した郵便物に、配達先の住所番地は書いてあったが、名前が書いてなかったぞ。」
郵便配達の人が怪訝そうに聞いたそうである。
「住所番地はあっていますが、ここでよろしいですか?」

うーん、やっちまった。
またボケである。
これは本格的なボケが始まってしまったのだろうか。

誰かワタシを励まして下さい。


2016年10月23日日曜日

ワタシもすっかりボケてしまったようだ。

昨日は沼津で中学校時代の同窓会があったのだが、車ではチョイとしんどいと思い、御殿場から電車を使って沼津まで出掛けた。

沼津駅に到着後、この際帰りの切符も買っておこうと、沼津駅の切符販売機の前に立った。
沼津から御殿場までは410円。
500円玉と10円を入れて、購入ボタンを押す。
当然のことだが、410円の切符と100円のお釣りがでてきた。

さて、そこまでは良かったのであるが、その先がイケナイ。
何を勘違いしたのか、「お釣りは400円だな。」と思ってしまったのである。
おまけに、販売機に赤いランプがつき、ぴーぴー警告音がしているではないか。
「これは釣り銭がなくなったから鳴っているんだな。」
(何のことはない、切符を販売機から取らないので鳴っているにすぎないのだ。)
警告音が機械の釣り銭ストックがないからだろうと、思いこんでいるワタシは、とうとう駅員呼び出しボタンで、駅員を呼び出してしまったのである。

出てきた駅員が、怪訝と哀れみの顔をして、ワタシに説明したことは言うまでもない。



2016年10月22日土曜日

土曜講習

土曜講習あり。
事情により、三クラス同時の視聴覚室講義となった。
およそ80人から90人程度の生徒人数となるのだが、歳をとると、この人数はいささかツライなあ。
ただ、この講習にきている生徒から「ブログ見てますよ。」の励ましの言葉あり。
俄然元気になるワタシであった。

夜、沼津で中学時代の同窓会あり。
いつもながらの昔話、その昔話の中で、たまたまロックの話となり、以前N西のロック少年に紹介した「グランド・ファンク・レイルロード」が出てきたのには驚いた。
やはり、我々世代のハードロックと言えば、「グランド・ファンク」なんだよな。

2016年10月21日金曜日

次はCCR

昨日、国語研究室にやってきたロック少年が、今日も姿を見せてくれた。
昨日は「グランド・ファンク・レイルロード」というロックグループを紹介したのだが、感想が気になり聞いてみた。
ロック少年曰く。
「とてもカッコよかったです。」
おおー、今から40年以上も前のロックを理解してくれたぞ。

そこで彼には再びロックミュージシャンを紹介する。
次はCCRである。
クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル。
チョイと長いグループ名であるが、70年代に一世を風靡したアメリカのロックグループだ。

彼らの曲の中に、ヒット曲ではないが「アイ・プット・ア・スペル・オン・ユー」というリズム・アンド・ブルースの曲がある。
意味は「お前に呪いをかけてやる」。
1956年のジェイ・ホーキンスの作品ということだ。
従って、CCRの「アイ・プット」はカバーヴァージョンということになるのだが、これはオリジナルよりも、はるかに優れている。

何はともあれ、興味をもった方、ユーチューブで「アイ・プット・ア・スペル・オン・ユー」を検索してみてくだされ。
オマケに、ネットで調べたこの曲の和訳を紹介してみる。



アイ・プット・ア・スペル・オン・ユー 

君に魔法をかけるよ 君は僕のものだから 
君が僕だけをみつめるように
言っただろ、「好きなんだ、嘘じゃないよ」
奪うつもりはないさ、君の無邪気さを
奪うつもりはないさ、君の気ままさを
君に魔法をかけるよ 君は僕のものだから いいだろう

君に魔法をかけるよ 君は僕のものだから 
君が僕だけをみつめるように
言っただろ、「好きなんだ、嘘じゃないよ」
奪うつもりはないさ、君の無邪気さを
奪うつもりはないさ、君の気ままさを
君に魔法をかけるよ 君は僕のものだから いいだろう

2016年10月20日木曜日

グランド・ファンク・レイルロード

昼休みにワタシの隣の先生のところに、二年生の男の子がやってきた。
帰り際に隣の先生から紹介があった。
「実はこの子は、レッド・ツェッペリンとかクイーンのファンなんですよ。」

なんでも家族からは「生きる化石」みたいなことを言われているのだと。

おおー、これは同志だ。
ワタシは喜び、レッド・ツェッペリンが大丈夫なら、グランド・ファンク・レイルロードも大丈夫だろうと、彼に紹介しておいた。
「ユーチューブで観てごらん。」と。

彼は今夜、きっと「ハートブレイカー」を楽しんでいることだろう。


2016年10月19日水曜日

「ほぼほぼ」という言葉

新潟の友人からメールがきて、ブログの誤りを指摘されてしまった。
19日のブログでパーセンテージを誤ってしまったのである。
アメリカの富裕層、中間層、貧困層をそれぞれ10%、25%、50%と表示してしまったことだ。
これでは合計が85%で、100%にならない。
誤りは25%のところで、本来は40%の中間層となるべきなのである。
正解は40%の中間層が25%の資本を保有となるのである。
みなさんごめんなさい。
早速訂正致しました。

何はともあれ、友人とは有り難いものである。

今日学校で隣に座っている先生から「最近気になる言葉」として、「ほぼほぼ」という言葉を挙げられた。
使い方としては、「今回の予定で、ほぼほぼ大丈夫です。」
などである。
要するに副詞の「ほぼ」を二回繰り返すのである。
辞書を引くと、「ほぼ」は漢字で「略」とか「粗」と書いて、細部や端数を切り捨てた大部分(根幹部分)において、そうであると認められることを表す。おおかた。大体。
とある。
「ほぼほぼ大丈夫」と言われたら、「大体、大体、大丈夫」となって、「大体」が多くなってしまい、大丈夫ではなくなってしまいそうなんですがね。


2016年10月18日火曜日

徳川の平和

週休日だったので、静岡県立美術館まで出掛ける。
今回の展示タイトルは「徳川の平和」。
県立美術館所蔵の伊藤若沖「白象群獣図」を久し振りに観ようと楽しみにしていたのだが、この展示は前期のみということで、見事に空振りであった。
ただし、収穫もなくはなかった。菱川師宣の「江戸風俗図」である。
風俗図の中に登場する女性たちの着物。
その意匠のなんと素晴らしいことか。
要するに、着物のガラ、デザインであるが、今から400年も前に、あのような洒落た意匠を、よくぞ考えついたものだ。
これを観ることが出来ただけで、美術館行きの価値はあった。

2016年10月17日月曜日

資本主義の限界

昨日、NHKの「資本主義の未来」という番組を見た。

アメリカの場合、トップ10%の富裕層が資本の70%を所有、40%の中間層が25%の資本を所有、そして50%の貧困層がわずか5%を分け合っているのだという。
いわゆる資本の格差である。
ひと握りの人間が資本を独占的に保有しているのだ。
そして、今までの経済学ではこのような格差が、最初広がっても、経済成長をすればその差は縮まると考えられてきた。

ところがである。
最近それが誤りではないかという考えが出てきたのだ。
経済成長の限界である。

「フロンティア」という言葉がある。
開拓である。
かつて発展国と言われる国は、途上国を常に開拓してきた。

例えば、日本に洋服を製造している会社があったとする。
この会社は製品を売るときに、質の良い製品を値段を安くして売ることで、競争を勝ち抜き、利益を得てきた。
では、安く売るにはどうしたら良いかというと、製造にかかる人件費を下げるのが一番だ。
人件費を下げるには、人件費の安い外国に工場をつくる。
最初、メイドインコリアだった。コリアが経済成長してコリアの人件費があがると、チャイナに、さらにヴェトナムにと、開拓してゆく。
これが「フロンティア」であるという。

つまり、人件費の安かった国がどんどん経済成長していくと、それにつれて人件費もあがり、次から次へと国を代えて行く。そしてとうとう行き場所がなくなり、製造国の利益がなくなってしまうのだ。
成長の限界である。

現在、世界の資本主義国は、経済成長の限界を迎えているらしい。


2016年10月16日日曜日

球団名

写真は少し小さいが、自衛隊のヘリコプターである。
御殿場と裾野の境に近い所を飛んでいた。

日本のプロ野球もだんだんクライマックスに近づいている。
昨日はセントラルリーグで広島カープが日本シリーズ進出を決めた。
また、今日はパシフィックリーグで北海道日本ハムファイターズが同様にソフトバンクを破って、日本シリーズの進出を決めた。
大谷投手の九回のピッチングは圧巻だったようだ。
なにしろ、165キロの日本最速を記録したのだから。

北海道日本ハムファイターズとは、ずいぶん長い名前だ。
ずっと昔、ワタシがものごころついた頃は、東映フライヤーズである。
ホーム球場は巨人と同じ後楽園球場であった。
因みに、ソフトバンクホークスは南海ホークス。
今は福岡ドームがホーム球場であるが、当時は大阪にホーム球場があった。
福岡をホームにしていたのは、西鉄ライオンズといって、現在の西武ライオンズである。

いろいろ変わったもんだなあ。

2016年10月15日土曜日

キンモクセイ

写真は、キンモクセイの花が散って、近所の側溝板の上に積もっているトコロである。

キンモクセイは漢字で「金木犀」と書くが、これは樹皮の様子が動物のサイ(犀)の皮膚に似ており、金色の花を咲かせるからだという。
もともと、中国の原産で中国では桂花とも呼ばれている。
雌雄異株であるが、日本では雄の株しか輸入されず、実はつけないということである。
(インターネットで「金木犀の実」と検索すると「実」がみれますぞ。)

また、花が芳香を放つので、昔からトイレの側に植えられてきたのだそうだ。

花言葉は「誠実」。

2016年10月14日金曜日

ボブ・ディラン

ボブ・ディラン、ノーベル文学賞受賞のニュースがあった。
フォークシンガーの受賞ということで、今日のニュースはどの局もほとんど漏らさず取り上げていたが、局によって、かなりトンチンカンな報道もなされていた。

一番トンチンカンなのは、ただ歌手であるということだけで有名歌手にインタビューをした局だ。
インタビューを受けた歌手にしてみれば、「素晴らしいですね。」としか言いようがない。
ボブ・ディランの何たるかを知らずに答えるわけだから、これはトンチンカンとなるに決まっている。
ただその中で、泉谷しげるのコメントだけは確かなものがあった。
泉谷しげる曰く、「違和感」。
何といってもボブ・ディランは、「ビートルズにドラッグを教えた反逆者」なのだから。

日本の歌手で、まちがいなくボブ・ディランの影響を受けていると思われるのは、吉田拓郎だろう。
拓郎はボブ・ディランについて言う。「ギター一本で自分の音楽を発表できることを知って人生変わった。ただし音楽スタイルやメロディーが好きで、イデオロギーに憧れたのではない。」

初期の「イメージの詩(うた)」などは、まさにボブ・ディランなのである。(是非、ユーチューブで観て欲しい。)




2016年10月13日木曜日

源氏物語

古典の授業が「源氏物語」に入った。
三年生で講義する箇所は「若紫」の所謂「猫」の登場する場面である。

「御机帳どもしどけなく引きやりつつ、人げ近く世づきてぞ見ゆるに、唐猫のいとちひさくをかしげなるを」
と続くのであるが、この中に「世づきて」の語が出てくる。

光源氏の屋敷「六条院」において、蹴鞠のイベントがあり、当時の権力者である彼の屋敷に、貴公子たちが集まってきている。
その貴公子見たさに、女三宮(源氏の正妻)の部屋から女三宮付きの女房たちが外を見ている場面だ。

「世づく」とはなんぞや?
古語辞典を引くと

①世慣れる。世間のことに通じる。
②男女の情を解する。
③世間並みになる。
④世俗に染まる。俗化する。
の意味がある。

指導書では①の「世慣れている」の意で解釈するのであるが、ここはどうも納得がいかん。
むしろ、②の「男女の情を解する」、つまり「色気づいている」のほうがフィットしているように思うがね。

2016年10月12日水曜日

そろそろホットカーペット

連休明けの久し振りの授業ゆえ、いささか張り切ってしまった。
張り切るとどうなるかというと、どうも必要以上に喋ってしまうのである。
そして、自ら疲労し後悔するのである。
「余分なことを話しすぎたぞい。」
である。

午後からは水曜テニス。
今日のコンディション極めて良好であり、自分の思うようなプレイができた。

相手のサーブを素早く振り抜き、クロスに返す。
一発で仕留めるにはコレである。
所謂、リターンエースというやつであるが、これが上手く行く時とそうでない時の差が大きいのだよな。

御殿場は気温が二十度をきるようになってきた。
そろそろホットカーペットを出すことにしよう。

2016年10月11日火曜日

正一位漣(さざなみ)神社

連休四日目ともなると、休み疲れとでもいうのか、休みに飽きたとでもいうのか、もう休みはいいぞという感じである。

そこで、今日は山梨県まで遠出をする。
まあ、山梨県と言っても富士吉田なので御殿場からしてみれば隣町感覚なのですがね。

富士吉田には富士山北口浅間神社という火祭りで有名な神社があるのだが、そのスグそばには正一位漣(さざなみ)神社がある。

実はこの神社の杉の立木が、妙なスタイルをしており、今回の「ずんぶり浸る展」にもこの立木を登場させてみた。
すると、来場者した方にもインパクトを与えたのだろう。
「この木の撮影場所は?」の質問が多数あったのである。

勿論、今日も車を止めて、パチリ、パチリ、パチリと三枚写真を撮った次第。

2016年10月10日月曜日

交通の要所

二日間ほぼ雨降りで、引きこもりもやや飽きてきた。
というわけで、今日は近所を散歩してみる。

御殿場を散歩していて思うことは、「なんと県外ナンバーの車が多いことか」である。
鉄道の駅で言えば、ターミナル駅だ。
国道246号と138号の交差するところ、さらに東名高速と新東名が一本に交わるところ、あるいは二本に分かれるところ、それが御殿場の地なのである。

交通の要所なんですな。
御殿場は。



2016年10月9日日曜日

裁縫鳥

夜明け前から午前中にかけて酷い雨。
風の方も結構強かったので、これは台風ではないかと思った次第である。

世の中には変な鳥がいるもので、今夜の「ダーウィンが来た」では、「裁縫鳥」という鳥を取り上げていた。
「裁縫鳥」の「裁縫」は、まさに鳥が「裁縫」をすることから付けられた名である。
裁縫鳥は、まず、葉っぱの両サイドに穴を開ける。
次に森の中からツルのようなものを見付けてきて、開けた穴に器用に通していく。
最終的には葉っぱを丸めたような形に縫い合わせるのである。

葉っぱを丸める理由は、天敵から巣を守るためのカモフラージュだという。
うーん自然界というのは、本当に凄いね。

2016年10月8日土曜日

罪を犯すものを罪を犯して取り締まる

罪とは道徳(法律・宗教)上犯してはならないこと。
犯罪は、その罪を犯すことである。

フィリピンの大統領が麻薬撲滅のために、麻薬に関わった人間を殺すことを公言している。
確かに、フィリピンでの麻薬問題は深刻なものであろう。
それは、我々の想像をはるかに超えたものでもあるだろう。

しかし、人間を殺すことが犯罪(罪を犯すもの)であるならば、このフィリピンの大統領の言動は、あきらかにおかしいのである。

罪を犯すものを罪を犯して取り締まるのだから。
麻薬を使うことと、人を殺すことと、どちらが罪深いことでしょうかね。

2016年10月7日金曜日

通勤途中に怖い思い

中間テストがあったため久し振りの授業となった。
十月になっても今年は夏の暑さが残っているという異常気象、今日もその例にもれず、やや暑の気温。
しかし、さすがに夜になると、秋らしい気温。

今朝通勤途中に怖い思い。

それは国道一号バイパスの交差点、。
ワタシが御殿場方面からやって来て、交差点を右折しようとした時のことである。
緑の信号から右折専用の信号に変わり、前の車が一台、二台と右折をしていく。
前の車に続いて、さあワタシも曲がろうと思った瞬間である。
なんと前方から直進してくる車。(オイオイ、直進はできないんだぞ。)
寸前のところで衝突は避けられたが、なんと無謀な車。
信号が変わったばかりの時というのは、こういうことはありがちだが、このタイミングで直進車があるとは。
チョイト信じられん。
運転手は四十前後の女性であった。

何か考えごとでもしていたんだろうかね。


2016年10月6日木曜日

「淡麗」

この間、「端麗」という言葉についてふれてみたのであるが、ワタシ自身最初に「端麗」の字を「淡麗」と勘違いしていた。

実は、「淡麗」は明らかに造語であって、辞書に「淡麗」の単語が現れたのは、どうもそう昔ではないようである。(今でも記載のない辞書がある。)

では「淡麗」とはどこから出てきたのかというと、日本酒に含まれる「酸」の量で、「酸」の量が多いものを「濃醇(のうじゅん)」、少ないものを「淡麗」というのだそうだ。
さらに、「糖度」が多いものを「甘口」、少ないものを「辛口」というのだと。
そして、この組み合わせにより、「淡麗辛口」「淡麗甘口」「濃醇辛口」「濃醇甘口」ができる。
一般的に見られるのは、この中で「淡麗辛口」と「濃醇甘口」の二つであろう。(地方の酒造では、「淡麗甘口」「濃醇辛口」もあるそうである。)

つまり、「淡麗」とは日本酒の味を示す言葉(酸の量が少なく、すっきりしている)として現れたものであるようだ。

うーん、なかなか奥が深いね。

2016年10月5日水曜日

中間テスト二日目

中間テスト二日目である。
が、昨日は週休日だったので、ワタシにとっては初日。
まだ答案を採点してないが、さてどうじゃろな。

午後からは例によって水曜テニス。
昨日の天気予報では、今日は午後から雨降りであったのだが、とんでもない。
真夏のような晴天。
これは身体に応えるんじゃ。
ただ、ワタシよりも20歳上の御大が二時間びっちり動いているのだから、疲れたなどとは口が裂けても言えないのです。

夜、「笑ってこらえて」という番組を見ていると、石原さとみが新潟県の佐渡を訪れて、町民にインタビューしていた。
「第一村人発見」というやつである。
白状するが、ワタシは石原さとみと深田恭子と堀北真希の違いがよく分からない。

今日やっと、石原さとみが分かったのです。


2016年10月4日火曜日

瀟洒で端麗

夕刊に「美の履歴書・松に孔雀図壁貼付 狩野探幽」という記事があった。
記事の中に、「静岡県立美術館学芸員は『探幽はこの作品で永徳様式に挑戦したが、自分の限界を認識したのではないか。それが、瀟洒で端麗な様式に向かう転機となった』と見る」の記載があった。

ん、「瀟洒で端麗?」
そこで辞書を引いてみる。

瀟洒の意味は、どろくさい所が無く、気がきいている様子。
一方、端麗の意味は、ごてごてと飾り立てた所無く、あか抜けしている様子。
である。
「どろくさいところが無く、気がきいている」ことを「あか抜けている」と言うのではなかろうか。
とすれば、「瀟洒」と「端麗」は同じ意味ではなかろうか。

うーん、ちがうだろうかね。

2016年10月3日月曜日

風速80メートル

最大瞬間風速80メートルの威力を持った台風18号が、日本列島に近づいている。
中心の気圧は915ヘクトパスカルだ。
風速80メートルなど、想像できないレベルの風速である。

昔、石原裕次郎の歌の中で、ひどい嵐を表現するのに「風速40メートル」なんていうのがあったような気がするが、風速80メートルとは。
一体、どれだけ強い風が吹くというのだ。

静岡県への影響は5日の水曜日あたりからになりそうだが、N西は中間テスト。
影響が無ければよいが。


2016年10月2日日曜日

合い鍵作製

今年の秋桜撮りはタイミングが悪く、どうもイマイチである。
いつも裾野の「ヘルシーパーク」にある秋桜畑がメインの撮影場所となるのだが、今年はその咲いている期間が短く、ほとんど撮れずじまいとなってしまった。
左の写真は八月中に撮ったものなのだが、この時は花が咲いているものが極めて少なく、咲いている数本の中からやっと撮れるものを見付けて撮った次第である。
まあ、こんな時もあるのですね。

先週の水曜に家の鍵を紛失しまい、不自由していたのだが、今日やっとスペアキーを作ることができた。

スペアキー作製の値段、思っていたよりも安かった。
今時のキーは結構複雑にできていて、スペアキーを作るのにも千円以上かかるというのだが、幸いワタシのは古いタイプゆえ、四百二十円ですんだ。
古くて良いこともあるのですね。


2016年10月1日土曜日

虎杖(いたどり)

土曜講習で学校へ。
N西の生徒諸君、だいぶお疲れなのか、今日は欠席多し。
もう少し気力を持って欲しいですな。

夕方、テレビをみていると、東京築地の隠れた名店?を取り上げた番組をやっていた。
その中に、シメのカレーうどんが美味いという店「虎杖(いたどり)」が登場した。
料理のことはともかく、ワタシはこの「虎杖」という名前に興味をもった。

この植物、タデ科の多年草で別名スカンポ、イタンポとも言うらしい。
さらにイタドリは「痛取」とも書くようだ。
昔は漢方薬にでも使われたのだろうか。
「痛取」はよくわかる。
しかし、「虎杖」はちょいと読めない。
どうも中国語で「虎杖」と書くので、それが今でも残っているということのようだ。
清少納言も「枕草子」の中で、格別なことはないのに文字にすると大袈裟になるものとして「虎杖」をあげているということだ。

なんて言っても「虎」の「杖」ですものね。