新聞小説、漱石の「それから」も八十五回となった。
毎回、毎回、ウン、ウンと言いながら読んでいるのだが、今朝掲載された部分には、次のような難解な言葉があった。
「人間はある目的を以て、生まれたものではなかった。
これと反対に、生まれた人間に、始めてある目的が出来て来るのであった。
最初から客観的(かっかんてき・・・漱石はこう読ませている。)にある目的を拵(こしら)えて、それを人間に附着するのは、その人間の自由な活動を、既に生まれる時に奪ったと同じ事になる。
だから人間の目的は、生まれた本人が、本人自身に作ったものでなければならない。
けれども、如何な本人でも、これを随意に作る事は出来ない。
自己存在の目的は、自己存在の経過が、既にこれを天下に向かって発表したと同様だからである。
歩きたいから歩く。
すると歩くのが目的となる。
考えたいから考える。
すると考えるのが目的になる。
それ以外の目的を以て、歩いたり、考えたりするのは思考の堕落になる如く、自己の活動以外に一種の目的を立てて、活動するのは活動の堕落になる。
従って自己全体の活動を挙げて、これを方便の具に使用するものは、自ら自己存在の目的を破壊したも同然である。
ウーン、結局これは「無目的な行為を目的とする」ということなんでしょうね。
0 件のコメント:
コメントを投稿