先日、現代文を担当しているクラスの生徒が二人やってきて言った。
「教科書に採録している『アルプスの少女』という小説の最後の部分がよくわからないから説明して欲しい。」
実はこの小説、授業では省略することになっており、私自身まだ読んだことがない。
しかしながら「可愛い生徒の言うこと、すぐに読んでみなければ。」の思い強くわき出で、何はともあれ読むことにした。
さて、石川淳作「アルプスの少女」。
勿論これはスイスのヨハンナ・スピリ児童文学「アルプスの少女ハイジ」ではない。
その「ハイジ」をパロディー化した作品なのである。
ハイジの住むアルプスの山々の世界は、美しく平和だが精神を眠らせるような世界である。(人間にとって生の基盤であり、理想的な世界のこと。)そこでは当然歩けなかった人間が、歩けるようになる奇跡も起こる。
しかし、そこは人間の精神を眠りに誘う危険な桃源郷でもある。
一方、山の下の世界(現実の世界)は、クララが育った世界であり、「戦」も「欲」もある世界である。
でも、この世界は良くも悪くも様々なことが起こりうる現実世界であり、変革の可能性を持つ世界であるのだ。
物語の最後は、「自ら立って動く」足を獲得したクララは、この山の下の世界を「虹のように美しい町」にすることを決意して終わる。
そこで、主題。
人はともすれば精神を眠りに誘うような平和な美しい世界で癒される。しかしそこに安住せず、つらくとも自分の足で立って、現実に立ち向かい、自分の理想に向かって努力する、これが「生きる」ということである。
さらに、考えねばならないのは、この作品が昭和27年に発表されていることだろう。
日本は太平洋戦争の敗戦からやっと立ち直り、将来に向けての展望が出始めている時期である。
この主題こそ石川淳の精神「可能性への変革」そのものなのだろう。
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