評論解釈の問題において、岡田暁生「音楽の聴き方」を扱った。
要約は次のようになる。
音楽を正しく理解するには本来学習が必要であるが、サウンドとしての音楽は知識がなくても万人に理解できると考えられており、そのような特徴が、近代国家における自国中心文化のグローバル化や音楽による感動共同体形成のための手段として利用されてきた。
なかなか骨の折れる評論だ。
要は、近代という時代は「音楽は言葉ではないので誰にでも理解されるはずだ」という主張がまかり通っている。
さらに、このことを利用して、「自国の言葉」を(自民族を中心とした文化であるということを隠しながら)世界に普遍させようと意図しているということ。
音楽を理解するには学習が必要なのである。
音楽に言葉はいらないなんてえのは、ウソだ。
音楽は、その人の教養の度合いにかかわらず、万人を感動させ興奮させるもの、さらに万人が学ばずして理解できるもの、と思わせるために、「気分に訴えかける」ものとなったのだと。
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