現代文の授業において若林幹夫の「地図の想像力」を講義している。
彼は言う。
「地図は世界を写し取ったものではない。」
つまり、地図というのは記号によって世界の様態を描き出す表象の一形式だと言うのだ。
形式である以上は、地図とは地球表面上のある地域に関する「概念」であると。
我々が地図として見ているものは、約束ごとで固められた「概念」に過ぎないのだ。
次に彼は言う。
「人は、中世の地図と近代の地図を比べると、中世の地図には書き手の世界観が反映されているが、近代の地図には徹底したリアリズムが貫徹していると考えてしまいがちである。」
人は、中世から近代の地図への展開を、「科学」の「発展」のラインで捉えていると言うのだ。
そして最後の結論。
「近代以前も以後も地図は人間にとっての『意味』である。」
世界を記号によって解読するという営みに基づいて描かれている以上、近代の地図も近代以降の地図も、ともに人間にとっての「意味」であるということに変わりはない。
地図とは、描き手と読み手の解釈の出会いにより様々な世界像が生産されていく、ダイナミックな場である。
すなわち、地図とは、世界に関する「テクスト」である。
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