今日、国語研究室で国語科のH先生と話をしていたのだが、
その時、ふっと思ったことがある。
勉強合宿のマニュアルを見ていると、最初のページにこう書いてある。「受験の天王山である夏休みの学習へのスムーズなスタートを切る。」
不思議に思ったことは、「天王山」という言葉だ。
何故「天王山」なのだろうか。何故「関が原」ではないのだろうか。
「受験の関が原」なんて聞いたことはないのである。
「受験の天王山」というのは、「ここで勝敗が決まってしまう時期」という意味で使われているのだろう。この意味に関しては、特に異議はないが、「天下分け目」ということで使うのであれば、「天王山」よりも「関が原」のほうが、ポピュラーではないだろうか。
「関が原の戦い」=1600年、徳川(東軍)対豊臣(西軍)
はすぐに頭に浮かぶのであるが、「天王山の戦い」
「んー何時だっけ。誰と誰の戦いだっけ。」となってしまう。
(試しに、これを見た人は、天王山が何年で誰と誰が戦ったのか考えてみてください。)
こんなこと考えるのは私だけなのだろうか。
今晩の「怒り新党」。
印象に残った言葉、「義務教育なんて牢屋にいるようなもの」
さも、ありなむ。
(写真は昨日の続きの八島湿原)
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