2012年8月13日月曜日

夢十夜

夏の代表的な花と云えば百合の花である。

先週、通りかかった田んぼのあぜ道に百合の花が沢山咲いていたので思わずシャッターをきってきた。
 私が百合の花を見て、いつもイメージするのが夏目漱石の「夢十夜」だ。
「こんな夢を見た。」で始まる十夜分の夢の話である。
この話を初めて教材として扱った時には、ショックを受けたものだ。
「漱石がこんな小説を書くなんて」というショックである。
「ファンタスティック」の英語がこれ程似合う小説はあるまい。
 さて、「夢十夜」がなぜ「百合の花」か、というと
この小説の「第一夜」が「百合の花」の話で開始されるからである。

極、簡単にストーリーを説明すると、
「腕組みをして枕元に座っていると、仰向きに寝た女が、静かな声でもう死にますと云う。」さらに女はいう。「死んだら、埋めて下さい。大きな真珠貝で穴を掘って。そうして天から落ちて来る星の破片を墓標に置いて下さい。そうして墓の傍に待ってください。又逢いにきますから。」
自分は黙って頷いた。すると女は「百年、私の墓の傍に座って、待ってください。きっと逢いに来ますから。」といって死んでゆく。
果たして、自分は墓の傍で待つのだが、いつの間にかそこから青い茎が伸びてきて、やがて白い百合の花が咲くのである。「百年はもう来ていたんだな。」

「百合の花」の「百合」とは「百年たったら合う」という意味なのか?
と、この小説ではじめて納得したものである。

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