2013年1月31日木曜日

「浮遊」するコスモス

「浮遊」
意味は、空中や水面に浮かび漂うこと。また行先を定めないで旅行すること。

コスモスという花は、この「浮遊」感が、非常に感じられる花である。(この思いは私だけか?)
これは茎が長い上に、その花びらがプロペラみたいに見えるからであろうか。
いかにも空中を「浮遊」し、また彷徨っているようでもある。

 「浮遊」という言葉、私はその雰囲気から外国語を日本語に翻訳するときに出来た造語なのだろうと思っていた。しかし、意外に古くから存在しており「源平盛衰記には、次の表記があるそうだ。
「本朝鼎臣(ていしん)の外相を以て異国浮遊の来客見えん事・・・・・」

2013年1月30日水曜日

続逆光線

今日も逆光線である。
なぜ逆光線かというと、どうしても森田童子(どうじ)の歌を書いてみたかったからである。

この歌は重い。
(森田童子は、1993年に「高校教師」というドラマの主題歌「ぼくたちの失敗」で一躍有名になった不思議な雰囲気を持つ歌手である。)

以下森田童子「逆光線」の歌詞を紹介してみる。

 淋しいぼくの部屋に
 静かに夏が来る
 汗を流してぼくは
 青い空を見る
 夏は淋しい白いランニングシャツ
 安全カミソリがやさしく
 ぼくの手首を走る
 静かにぼくの命はふきだして
 真夏の淋しい蒼さの中で
 ぼくはひとり
 やさしく発狂する
 ウーン ウーン ウーン
 ウーン ウーン ウーン
 
逆光線というのは、やはり暗いイメージなのだろうか。

2013年1月29日火曜日

逆光線

「逆光線」
三省堂の新明解国語辞典で引くと、次のような意味が出ている。

「見ようと(撮ろう)とする対象の後方からさす光線。(この状況で写真を撮ると、被写体が黒く写る。)」

今回の写真展において、私がテーマにしたのは「コスモス」という花であったのだが、よく自分の写真を見てみると、多くの写真が逆光で撮られていることがわかる。
「意識して撮ったのか。」と問われるならば、答えは「YES」だとも「NO」だとも言える。
逆光は実に面白いのだ。
しかし、へたをすると写真が台無しになってしまう。
 きっと「面白さ」は「まっくろけ」とのせめぎ合いから現れてくるのだろう。

2013年1月28日月曜日

若い感性

写真展二日目。
本日もいろいろな方にご来場いただきました。
中には三十数年ぶりの方も。
遠くからおいでいただいて
本当に感謝申し上げます。

写真展の合間にN高、芸術科の美術専攻卒業展を見に出かけた。
美術専攻といっても
油絵あり、デザインあり、映像、彫刻と様々なパフォーマンスを見せてもらった。
やはり、若い感性というのは見るからに勢いがあって、羨ましい限りである。

アタシも四十年前は、同じような感性があったはずなのだが、あの感性は一体、何処へ行ってしまったのでしょうかね。

2013年1月27日日曜日

写真展始まる。

一月二十六日(土)
写真展が始まった。
初日より、多くの人に来ていただいた。
ご来場ありがとうございます。
 昨年は一人であったが、今年は二人なので、心強い、また昨年の経験のせいか、だいぶ落ち着いていることができる。
何事においても経験というのは身に付いて行くものである。
 さて、来場していただいた人の中に、F高時代の教え子がいた。彼女は彼女の母上と一緒に来てくれたのだが、二人と話をしているうちに、ふっと三十年前にタイムスリップした気分になった。
自分がF高の三年の担任で、彼女達と、三者面談をしているのである。
 これが教員の性(さが)というものなのだろうか。

2013年1月26日土曜日

中江兆民

国公立二次試験対応の補習で、中江兆民の「国家の夢、個人の鐘」を勉強した。
なかなか凄い文章である。
中江兆民というのは、明治時代の思想家であり、フランスの思想家ルソーの「民約論」を翻訳したことで有名である。
兆民は人間について、次のように言う。
「一言すれば神と悪魔とより愛せられて常々これが玩弄物となる、一種不可思議の動物なり。」
通訳すると、「(人間は)一言でいえば神と悪魔の双方から可愛がられて、いつもその愛玩物になっている、一種不思議な生き物である。」
当たり前と言えば当たり前なのだが、非常に印象的な言葉だ。
明治の人間は凄いなあ。

2013年1月25日金曜日

「青さ」







  1. このところ写真の説明がなされていなかったのであるが、実はここ何枚かは雪景色の写真なのである。
左の写真も、じーっと見てみると、枝の上に薄く雪がついているのだ。
時間は午前j10時ころ。
左側から太陽の光が射し込んできて、枝の上の雪がキラキラ光っている。

雪も良いが、この時間の空もなかなか魅力的である。
「青い」のである。
その「青さ」がなんとも言えない「青さ」なのだ。
ただし、空だけを撮っても面白くはない。
ひたすら青いだけでは面白くないのだ。
空と自分の間に、別の何かが必要となのである。
別の何かが入って、はじめて空の「青さ」が生きてくる。

人間と人間の関係もあまりダイレクトでは、きっと面白くないのだろう。
間に何かが入ると面白くなってくるのだ。