2019年11月30日土曜日

聖ニコラウス

朝のテレビ番組で「聖ニコラウス」の話題が出ていた。
いわゆる「サンタクロース」のモデルとなった人物である。

ネット検索をしてみると次のようなことも分かった。

サンタクロースは、4世紀頃の東ローマ帝国・小アジアのミラの司教(主教)、教父聖ニコラオス(ニコラウス)の伝説が起源である。

ある時ニコラウスは、貧しさのあまり三人の娘を身売りしなければならなくなる家族の存在を知った。
ニコラウスは真夜中にその家を訪れ、窓から金貨を投げ入れた。
このとき暖炉には靴下が下げられていており、金貨はその靴下の中に入ったという。
この金貨のおかげで家族は娘の身売りを避けられたという逸話が残されている。
この逸話が由来となり、「夜中に家に入って、靴下の中にプレゼントを入れる」という、今日におけるサンタクロースの伝承が生まれているのだそうだ。

おおー、何故クリスマスプレゼントは靴下の中なのか、これで謎が解けました。

2019年11月29日金曜日

氷点下

御殿場では今冬、静岡県で初めて氷点下の気温を記録したということである。
さすが御殿場ですね。
そう言えば、朝起きて富士山を見ると、かなり下の方まで白いものがきていた。

家を出るときに、今日は久しぶりの晴天ゆえ紅葉の写真でも撮ろうかの気持ち強く、カメラを車の中に入れておいたのだが、残念ながら期待した紅葉は発見できず、無駄な準備となってしまった。
まあ、こんなこともあるのです。

2019年11月28日木曜日

髭ダンディズム

「髭ダンディズム」というポップバンドを聴いてみた。
今、ノリにノッテいるバンドだという。
正確には「Official髭男dism(オフィシャルヒゲダンディズム)」略して「ヒゲダン」。

ユーチューブで聴くと、実にキャッチーな感じのするグループであり、さらに曲であると思ったのだが、なるほど彼らは「熱闘甲子園」のテーマ曲や、ヒットしているドラマのテーマ曲を歌っていた。
まあ、時代が彼らを要求したということなのだろうか。

面白いのはメンバーのうちの二人が、地方の国立大学(島根大学)の軽音部出身であり、学外の友人を誘ってグループを結成したのだそうだ。
地方から中央に攻めてきたんだね。

バンド名もなかなかユニークであるが、その由来は「髭の似合う歳になっても、誰もがワクワクするような音楽をこのメンバーでずっと続けていきたい」という意思が込められているということである。
ふーん、そういうことか。



2019年11月27日水曜日

晴れ男がいる

水曜テニスは雨のために中止になるかと思いきや、なんと開始時刻の1時頃になると雨はピタリと止み、いつものように問題なくやることができた。
我々のテニスグループには、相当強烈な晴れ男がいるようである。

昨日よりファンヒーターを使い始める。
以前は室温が10℃を下回るまでは使用しなかったのであるが、年々身体の方が贅沢になってきたのだろうか。
うーん、軟弱である。

2019年11月26日火曜日

「ほだし」と「きづな」

三年生の古典演習問題の中に、「ほだしまでこそおぼさざらめ」を口語訳せよという問があった。

解答は「(仏道修行の)妨げとまではお思いにならないだろうが」であるが、ここでは「ほだし」の意味が分からないと解答することが出来ない。

さて、「ほだし」とは何か?
古語辞典では
①手かせ・足かせ・綱などの道具。
②心を引き止めるもの・自由を束縛するもの・障害となるもの。
とある。
「ほだし」は名詞であるが、現代語でもよくつかわれる言葉には、「ほだされる」がある。
これは、「情に引きつけられて、心や行動の自由が縛られる」
「情にひかされて自分の考えにない行動をとる」の意だ。

ところで、面白いのは「ほだし」を漢字で書くと、「絆」となることだ。
「絆」は「きづな」とも読むのである。(古語辞典では「きずな」ではなく「きづな」なのです。)

では「きづな」とは何か?
同じく古語辞典には
①馬・犬・鷹などをつなぎとめるための綱。
②人と人との断ち切れないつながり。断ちがたい情愛。
とある。

うーん、一つは「自由を束縛するもの」であり、一つは「断ちがたい情愛」なんだね。
「絆」は表裏一体なのだ。
何か分かる気がするね。




2019年11月25日月曜日

六時間睡眠

週刊誌を見ていると「眠りの処方箋」という記事があり、「シニアが目指すべきものは、自分にあった眠り」とあった。

要するに、巷で言われている「理想は八時間睡眠」はほとんど根拠のないことで、メタアナリス(世界中の研究まとめ分析したデータ)によると、加齢による睡眠時間の変化は、二十五歳で七時間、四十五歳で六時間半、そして六十五歳で六時間だという。
ここからわかることは、シニアに必要な実質的な睡眠時間は、六時間前後であると。
むしろ、睡眠時間と死亡率のデータによると、睡眠時間が八時間は六時間の1.1倍、九時間は1.2倍と死亡リスクが高くなるそうだ。

まあ、「遅寝遅起きの六時間睡眠」を実践しているワタシにとっては、とても勇気づけられるデータであった。

2019年11月24日日曜日

寒暖上下

昨日・一昨日の寒さから一転して、随分暖かい日となった。
今年の気温は上がったり下がったり、予想のつかない日が続いている。

こんな年は、得てして雪の日が早めにやって来るような気がするのですがね。

もっとも、このようにに騒いでいるのは周りを見渡してもワタシだけであり、実際、ワタシの予想は大きく外れ、雪が降るのはずっと後になるかも知れないね。


2019年11月23日土曜日

もってのほか

山形には「もってのほか」という食用の「菊」の花がある。

食用の菊にはいろいろな種類があるようだが、特に、独特の香りと味の良さで『食用ぎくの横綱』と評されるのが、淡い紫色の「もってのほか」だ。
正式には「延命楽」という品種だが、県内では「もってのほか」の愛称が一般的だという。
この名は、「天皇家の御紋を食べるとはもってのほか」とか、「もってのほかおいしい」といったことから転化したらしい。
写真は観賞用の大菊であるが、じっと見ると、何となく食べることができそうな気もする。

2019年11月22日金曜日

大菊

朝から冷たい雨がショボショボと降っていた。
いよいよ冬か。

T高校はマラソン大会ということで、午後の授業がなくなる。
雨の中、ワタシの教えている生徒諸君は皆無事に走り終えただろうか。
風邪などひかないと良いのだが。

写真は、以前秩父宮記念公園で撮った「大菊」である。
日本にはタンポポなど多くの野菊が自生するが、家菊・栽培菊は日本になかったという。『万葉集』には多くの植物が登場するが、菊を詠んだ歌は一首もなく、飛鳥時代・奈良時代の日本に菊がなかったことを暗示する。
中国から奈良時代末か平安時代初めに導入され、『古今和歌集(905)』あたりから盛んに歌にも詠まれるようになったということである。

ウィキペディアによると、明治時代になって、花型の変化よりも大輪を求める傾向が強まり、次第に「大菊」が盛んになった。
花型としては厚物、管物、大掴み、一文字などに収束し、花の直径が30センチメートルに達する品種も現れた。
この傾向は菊を日本の象徴として見る思想と関係していると思われ、戦後にまで続いているそうだ。





2019年11月21日木曜日

なのめなり

古語に「なのめなり」という形容動詞がある。

意味は
①いい加減だ。
②まあまあ無難だ。たいしたことがない。
③ありふれている。平凡だ。
④(程度が)並々でない。
などがある。

(④の「並々でない」の意味は妙に思われるかもしれないが、中世以降の「なのめなり」は「なのめならず」と同じ意味で使用されたためにこのようになった。)

もともとは「斜め」であり、山や丘などがなだらかに傾いている様子を表ことばであったが、「斜め」は水平でも垂直でもないところから「中途半端・いい加減」、さらに「平凡だ」などの意味を表すようになったということである。

「なのめなり」、何か趣きのある言葉だなあ。

2019年11月20日水曜日

一度仕様

水曜テニスであった。

週一のテニスは、良いようで悪いようで、何だかよく分からない。
昨年は週二だった、それが一度になるときっと身体の方も一度仕様となるのだろう。
週一の方が身体は楽なのだが、回復に時間がかかる。
うーん、どっちもどっちだ。

(写真は、先週訪れた箱根仙石原大安寺、五百羅漢像)

2019年11月19日火曜日

ロックは滅びるのか

数日前の新聞の特集に「ロックは滅びるのか」という記事があった。

2017年、アメリカで「ヒップホップ/R&B(リズム&ブルース)の売り上げが初めて「ロック」を超えたという。
さらに記事はこう続く、2018年には老舗楽器メーカーのギブソンが破産を申請(後再建)し、エレキギターが売れない時代の象徴となった。

1970前後に学生時代を過したワタシにとって「あのギブソンが潰れたのか」と、驚きを禁じえなかった。

そもそもロックとは何か?
記事で音楽評論家の萩原健太氏は「音楽の形式(フォーマット)か、生き方(既存の価値へのカウンター、ありがちなものに対し自分が創造していく姿勢や生き方)と説明、またナレーター・ラジオDJの藤田琢己氏は「自由であること、自己表現ができること」を挙げていた。

フォーマットで言われると、しかとは理解できかねるが、生き方(自由な自己表現)であれば何となく分かるような気がする。
したがって、表題の「ロックは滅びるのか」の答えは「ノー」であろう。


2019年11月18日月曜日

久しぶりの喋り

T高は先週二年生の修学旅行に伴い、午後の授業がカットされたので、今日は久しぶりの授業であった。
G南の方も現在三年生だけを担当しているので、授業は問題演習を中心に行なっており、いわゆるシャベリの時間が少なく、一時間の授業をフルに喋っていることは、ほとんどなくなっている。

で、何を云わんとしているかと言うと、久しぶりに喋ったので疲れたということである。
ああ、疲れた。

2019年11月17日日曜日

タイヤ交換

車のタイヤを冬用のスタッドレスタイヤに交換する。

例年ならもう少し後(十二月中旬)になってからの交換なのだが、今年は何となく雪が早めにやってくるような気が気がするのだ。

もっともこれはワタシだけの思い込みであって、現実は十二月には雪など降らず、暖冬となり、雪降り一月下旬になったなんてえことも考えられるのですがね。

2019年11月16日土曜日

驚愕のページビュー

昨日一日だけで、このブログのページビューが2593を記録した。

普段の一日のページビューは、30から50程度であるので、これは驚愕の数である。
一体これはどうしたことなのだろう。
しかも、ブログを閲覧した人の国がドイツなのである。
うーん、わからん。

いづれにしても、一日で2500という数は、ジジイのブログとしては驚きである。

2019年11月15日金曜日

箱根日帰り温泉

写真は箱根仙石原にある「大安寺」の紅葉である。

午後の授業がなくなったので、「日帰り温泉でも行くベ。」と思い、箱根の湖尻にある「箱根高原ホテル」まで出掛ける。
以前知り合いのご主人がこのこのホテルのマネージャーをしていて、何回かお風呂に入れさせていただいた。
ホテルは二本の源泉を所有しており、まさしく源泉かけ流しの湯でもある。

到着したのがちょうど昼食時だったので、他に湯に入っている人はおらず、露天風呂も独り占めすることができた。
おおー、極楽、極楽。

帰り道には昨年石仏を撮った「大安寺」に寄り道。
午後の陽ざしが、写真を撮るにはもってこいの光であり、ファインダーを覗いていても実に楽しかったのである。

2019年11月14日木曜日

昼食に蕎麦

昼ご飯を久しぶりに「あぶらや」で食べる。
御殿場塚原にあるこのお蕎麦屋さん、通りすがりの客はまずないだろうと思われるお蕎麦屋さんだが、十二時前後になるとそれなりに席が埋ってくる。
ワタシは他のお客がまだ現れない十一時過ぎをねらっていくのであるが、お蕎麦屋さんの空間を独り占めにしたような気分が何とも言えない。

もりそば、稲荷寿司付の五百円は、相変わらずコストパフォーマンスに優れている。
本当に安定の味であり値段である。

どのようなお蕎麦かは、2017年の7月のブログを見ていただきたい。

2019年11月13日水曜日

「小童(ひち)」


火野正平の「心旅」という番組を見ていると、広島県三次市甲奴町(ひろしまけんみよししこうぬちょう)の「小童」という地名が出てきた。
三次市や甲奴町の読みさえ難解なのに、「小童」とは一体何と読むのだろと狼狽えていると、「小童」は「ひち」と読むことが分かった。

ん?
「ひち」?
どこをどう読めば「ひち」になるのだろう。
これは調べねばということで、さっそく調べることにした。
まず、分かったことは「小童」は当て字だということである。
その由来にはいくつかの説があるらしい。
いづれも説得力にはやや欠けるが、ネットで調べた説を挙げてみる。


①古事記や日本書紀に登場する稲田姫(イナダヒメ)のことを小童と呼び,その稲田姫が素戔嗚尊(スサノウノミコト)と結婚され,この地に住まわれたの で,その名をとって,地名を小童とした説。
 
②素戔嗚尊がこの地を巡幸の時,大騒ぎした童を「ヒチぐるうな」
といってしかられた。その「ヒチぐるうな」の上の二文字をとって,地名をヒチとした。
   
③この地に小童(こわらべ)が現れて,いつしかひち(しち)の地名を表すのに当て字として小童と書くようになった説。

2019年11月12日火曜日

紅葉

T高校の方が午後の授業なしということで、久しぶりにカメラを持って出かけてみた。
今年の秋は、秋らしさに欠けているように思うのだが、その証拠が紅葉の少なさである。
写真は御殿場高根地区にある「高根西ふれあい広場」というところの紅葉だ。
葉自体あまキレイには紅葉していないのだが、ちょうど午後の陽ざしが強い時だったので、葉に光が当たってこのように撮れた。

2019年11月11日月曜日

違和感

テニス仲間の入っている写真グループの写真展があり、沼津の静岡銀行のギャラリーまで出掛ける。

入り口には、グループのコンセプトとして「写真には一切のコンピュータでの処理をしていない」旨の注意書きがあったのだが、この注意書きには何か違和感があった。

デジタルカメラで撮った写真というのは、言うなれば、そもそもが「現実をデジタル化」をしているものなのだ。
恐らく言いたいことは、「カメラで撮った画像をパソコンでいじってはいない」ということなのだろうが、「デジタル化」する時点でこれはもうコンピュータのお世話になっているのである。

さてさて、とんだ悪口になってしまいました。
ワタシは違和感を申しただけで、攻撃するつもりはありませんよ。


2019年11月10日日曜日

匠のカルピス


カルピス 匠のカルピス 370mlペットボトル×24本入

何の番組か忘れてしまったが、カルピスという清涼飲料水のことについて特集していた。
その中で登場してきたのが「匠のカルピス」である。

アサヒ飲料のコマーシャルによると、「カルピス」の 特長である「乳酸菌と酵母による2回の発酵」という製法はそのままに、原料や発酵条件を変更することで、これまでにない深いコクとまろやかな味わいを実現とある。

これは「カルピスウォーター」の約5倍の乳成分を含有しており、「カルピス」(希釈用)と同様に「乳製品乳酸菌飲料(殺菌)」の規格となるのだそうだ。
「濃いめのカルピス」という商品はすでに飲んだことがあるのだが、こちらはまだである。
「百周年限定」とか「特別発酵」とかの文字も見られるではないか。
「限定」及び「特別」の文字に弱いワタシは、早速試してみようと決意するのであった。

2019年11月9日土曜日

「運び屋」

映画 運び屋クリントイーストウッド主演・監督の映画「運び屋」を観る。一言でいうとシブい映画だ。
イーストウッドと言えば、「夕陽のガンマン」だとか、「ダーティハリー」など、アクションが付き物の映画が印象に残っているのだが、彼も八十九歳、さすがに走ったり戦ったりす場面は無理なのである。


あらすじ

アール・ストーン(クリント・イーストウッド)は金もなく、孤独な九十歳の男。商売に失敗し、自宅も差し押さえられかけたとき、車の運転さえすればいいという仕事を持ちかけられる。それなら簡単と引き受けたが、それが実はメキシコの麻薬カルテルの「運び屋」だということを彼は知らなかった…。

「家族」より「仕事や外で評価されることや女性」を優先してきて、後に「金」で「家族」を取り戻そうとするが「過ぎた時間」は戻すことができない
「金」で「家族との時間」を取り戻せなかったアールは、最後は「命」をかけて妻を看取り、やっと娘や家族とも和解する。
つまり過ぎた「家族との時間」は「金」では取り戻せないので「命」と同じくらい大切だと言うことをここでアールは知るのである。

この映画をイーストウッドは、自分の人生と重ねている。
映画人として尊敬される一方、家族をないがしろにして不倫を繰り返してた」人生である。
そして、そこから考えられるテーマは比較的わかりやすい、これは監督のイーストウッド自身も言っていることだが、「学ぶことに年齢は関係ない」である。






2019年11月8日金曜日

菊の花

今日は菊の花である。

かつて日本にはタンポポなど多くの野菊が自生するが、家菊・栽培菊は日本になかったそうだ。

『万葉集』には157種の植物が登場するが、菊を詠んだ歌は一首もなく、飛鳥時代・奈良時代の日本に菊がなかったことを暗示するという。
所謂、栽培菊という菊は、中国から奈良時代末か平安時代初めに導入されたと推定され、平安時代に入り、『古今和歌集』あたりから盛んに歌にも詠まれるようになったということである。

なんか雰囲気として菊の花は、ずっと日本にあるような気がするのですがね。

(これも数日前に秩父宮記念公園で撮ったもの。)

2019年11月7日木曜日

鬼灯

鬼灯(ほおずき)である。

鬼の灯と書いて「ほおずき」と読むのであるが、この理由は、お盆に先祖が帰ってくるとき目印となる提灯の代わりとして飾られたことに由来する。

ウィキペディアによると、日本の仏教習俗であるお盆では、ガクに包まれたホオズキの果実を死者の霊を導く提灯に見立て、枝付きで精霊棚(盆棚)に飾るということである。
「ほほづき」の名は、その実の赤くふっくらした様子から頬を連想したもの(「づき」は「顔つき」「目つき」の「つき」か)という。
同じく赤い果実から「ほほ」は「火々」であり「つき」は染まる意味であるともいう。
また果実を鳴らして遊ぶ子供たちの様子から「頬突き」の意であるともいう。
ほかにはホホ(蝥、カメムシの類)という虫がつくことを指すとする説もある。

へぇー、いろいろな説があるものだね。

(写真はこの間の日曜日に、秩父宮記念公園で撮った鬼灯である。)

2019年11月6日水曜日

口をアングリ

昨今騒がれている、受験生ファーストではない受験制度(まあ、いつの時代でもそうなんだろうけれど)に、今回も「口をアングリ」である。

所用があって電気屋さんに行ったところ、来年度のカレンダーをもらった。
おおー、もうそんな時期となったのだね。

これから大相撲の九州場所が始まり、その千秋楽が終わるといよいよ師走、毎年毎年、ワタシはここで年末を感じるのです。

2019年11月5日火曜日

ピラカンサス

ピラカンサスである、いやピラカンサスだろうと思う、いやいやこれは絶対にピラカンサスだ・・・と自分でも分けがわからなかったのであるが、植物辞典を見るとやはりこれはピラカンサスであった。

辞典には次のようにある。
ピラカンサスは一年中葉のある、高さ1mから2mぐらいになる樹木で、初夏頃に花を咲かせ、秋にも実が成る。
花は白色で大きさは0.5cmぐらいと小さいが、密集して花を咲かせるので美しい。
秋から冬にかけて赤や黄色の実も沢山なって美しいので、花と実の両方を楽しむ事ができる。
種類は赤い実の成るトキワサンザシ、黄色や橙色の実がなるタチバナモドキという種類がある。

ふーん、これは赤い実なのでトキワサンザシなのかあ。

2019年11月4日月曜日

ナントか菊

ブログ用写真の在庫がなくなり、秩父宮記念公園まで出掛ける。
困った時の記念公園である。

花の名に詳しい訳ではないワタシは、当然撮影している花が、何という花か理解して写真を撮ってはいない。

若い時にもう少し花の勉強でもしておけば良かったなあと今日この頃である。

おそらく今日の写真は菊に似ているので、ナントか菊という花なんでしょうね。

2019年11月3日日曜日

有利の評判

昨日のこのブログのページビューが、ナント350を超えていた。
しかもアメリカ合衆国からのページビューである。
理由はさっぱり分からないのだが、きっとブログのタイトルで、何かが誰かに引っかかったのであろう。
何はともあれ、多くの人にブログを見いただけるのは嬉しいことである。

ラグビーワールドカップ日本大会は、南アフリカの優勝で幕を閉じた。
決勝戦は、相手のイングランド有利の意見が多かった。
今回の大会では、比較的評判の高い方が負けてしまうケースが多かったように思う。
やはり、有利の評判というのは、どこかに油断を生んでしまうのでしょうかね。



2019年11月2日土曜日

クライネ・ムジーク・コンサート

写真展のオープニングコンサートに出演していただいたN西のK先生の出演するコンサートがあり、沼津の市民文化センターまで出かける。
K先生のソプラノは相変わらず素晴らしいものであった。

コンサートは、「クライネ・ムジーク・コンサート」と題したクラシックのコンサートである。
クライネ(kleine)は「小さな」の意味の形容詞kleinの女性形の主格。
ムジーク(Musik)は「音楽」という意味である。
昔、音楽の時間に習った「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク(小夜曲)」というモーツァルトの楽曲があったが、その中からナハト(Nacht)「夜」を抜いたものがこれである。

ふーん、「クライネ・ムジーク・コンサート」は、「小さな音楽コンサート」というわけだ。

2019年11月1日金曜日

ファンキー

T高校の一年生授業で、少々古いジャケットを着ていったワタシは、「オレはこれからファンキー・ジジイを目指す」と言ったところ、一瞬の沈黙のあとにドッと笑いが起きた。
これは「ファンキー」の語が受けたのだと思うが、「ファンキー」の正確な意味は、ワタシも生徒も正しくは認識していなかったようだ。

では「ファンキー」とは何だ。

いろいろ調べてみると、日本語の「ファンキー」の意味は、「ど派手な」「独創的な」「型破りな」「イカした」「カッコいい」などがあるようだ。
「funky」は「funk」を形容詞の形にしたもので、 「funk」は元々「悪臭」という意味であるという。
「funk」という単語は1620年に初めて英語で使われているが、語源はラテン語の「fumigare」(たばこを吸うの意)である。
「funky」は「funk」を形容詞の形にしたものだという。

ところで、ワタシの好きなジャズにも「ファンキー」の語は存在する。
ジャズにおける「ファンキー」とは、ハードバップの中で、黒人的な雰囲気の強いスタイルの演奏を指す言葉。
基本的にコード分解によって得られた音符を旋律的に再構成したフレーズとして組み立てて演奏を行うが、その大元のコードをペンタトニックにしたり、旋律を組み立てる上で「黒人音楽的」なメロディーラインなどを意図し、黒人音楽的な曲調を得ようと意図したもの。

うーん、奥が深いぞ。