2019年1月10日木曜日

神田明神

東京行きにつき宿泊したのが、JR御茶ノ水にほど近いホテルであったのだが、昔の仲間の会った翌日、これもまた駅近くにある「神田明神」に行ってみた。

一月も九日となると、さすがに参拝客もほどほどであり、三が日のすさまじい人出とは異なり「神田明神」に好ましい落ち着きがあった。

ところで、「神田明神」の「明神」とは一体何だろう。
こういう時のワタシは行動が早い。

明神(みょうじん)は、日本の神仏習合における仏教的な神の称号の一つである。
古代において神を指す名称としては、神社名を冠した「大神」という呼び方が存在していた。
また『続日本紀』天平二年(730年)十月二十九日条などにある「名神」号は朝廷における社格制度として存在していた。「明神」という言葉が文献上最初に現れたのは、天平三年(731年)の奥書を持つ『住吉大社神代記』であり、そこでは住吉大社の祭神である「底筒男命、中筒男命、表筒男命の三柱を「住吉大明神」と記している。

以後、平安時代における記述においては特別に崇敬される神が明神もしくは大明神と呼ばれ、その後本地衰弱垂迹説の勃興により、これら大明神が日本の民を救済するために現れた仏教の仏の化身であると考えられるようになった。
中世から近世にかけて、神が本来の名前で呼ばれることは少なく、神社名を冠した「明神」や「権現」で呼ばれる事が通常であった。

明治元年(1868年)3月28日の神仏判然令により、神号における仏教由来の言語は取り除かれるよう指令された。この法令では明神号自体は取り払うべき言葉としては示されていなかったものの、明神号はこの頃には仏教関連用語であると見られており、使用する神社は減少していった。ただし現在でも「稲荷大明神」など明神号・大明神号を使用している神社は存在するという。

へー、そうだったんだ。

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