2018年4月30日月曜日

指先美人

筝を弾いている場面を撮る場合、魅力はその指先の美しさである。

勿論これは、筝の先生の指導であろうが、指がスッと伸びている手というものは、とても魅力的なのである。
ここには色気さえ感じられる。

今となっては、どの生徒がどのような手をしていたの知る由もないが、「指先美人」という言葉があるとすれば、まさに写真の生徒は「指先美人」なのである。

2018年4月29日日曜日

ほっこり

最近、いろいろなところで使用されている「心がとてもほっこりしました」の「ほっこり(癒される意味)」は、実は京都言葉で「疲れた」という意味だという。

「今日はエライほっこりしたワー」とは、「今日はとっても疲れたなあー」の意味なのだそうだ。
また、「つかれた」以外に行動に対する達成感も含まれ、今日はがんばったな~という肯定的な意味にもなる。(意味の無い疲労感は含まれない。)それらはただ、しんどいとなるということだ。

言葉というものは変化するゆえ、この「ほっこり」は標準語化していることも事実であろう。

標準語では:あたたかいさま。ほっとするさま。ふかし芋。
さらに、最近定着しつつある使用例として
  • ほっとする。
  • いやされる。
  • 落ち着く。
うーん、「疲れる」と「落ち着く」では、まったく違う意味だよなあ。

2018年4月28日土曜日

御用邸野外コンサート

一気に夏になってしまったようだ。
上着を着ていると、汗が噴き出してくる感じである。

何年も前から写真を撮っているN西筝曲部の沼津御用邸野外コンサートに出かけてみる。
やはり、写真というものは晴天時の撮影でなければいけない。
自然光が写真に与える恩恵は、限りなく大きいのである。

さて、肝心な演奏の方であるが、今年はかなりレベルの高さを感じる。
素人のワタシが言うのも何だが。

2018年4月27日金曜日

いちご大福

いよいよ明日から大型連休に突入する。

連休で混み合う前にと思い、御殿場の永塚にある蕎麦屋「あぶらや」に出掛ける。
ここの蕎麦は勿論美味いのであるが、この時期にはもうひとつ美味いものが提供される。
それがこの店手作りの「いちご大福」である。
ここの「いちご大福」の特徴は、中に入っている「いちご」が大きく、大福の皮が薄いことだ。
したがって、大福にかぶりつくと直ちに「いちご」の食感がやってくることだ。
コンビニなどの「いちご大福」は、いちばん上の餅の食感から次の餡子の食感、そして最後に「いちご」が来るのだが、「あぶらや」の「いちご大福」は、直ちに「いちご」の食感ということなのである。

おおー、こんなことを書いていると、また食べたくなったぞ。

2018年4月26日木曜日

地蔵菩薩

写真は、昨日に続いて御殿場「時の栖(ときのすみか)」にある「ありがた山」の石仏群である。

誰が制作したのかよく分からないが、同じ大きさの石仏(タイプは地蔵菩薩のようだ)が、数多くたっていらっしゃる。
石仏が抱いている子供を見るとよく分かるが、技術的には非常に未熟だ。
しかしながら、どこかの誰かが、おそらく心をこめて制作したのであろう。
何かこちらに訴えてくるものがある。

日本各地の野山に散在している石仏も、きっと以前はこんなものだったのでしょうね。

2018年4月25日水曜日

記録文化

今日の朝刊に、歴史学者の磯田道史が面白い発言をしていた。

「公文書改ざんは、国が主権者たる国民から歴史を奪う悪質な行為です。(一部略)
ちなみに、記録文化があった幕末にも、うその文書が出されたことがありました。桜田門外の変です。大老だった井伊直弼の首を民衆が見ていたのに、井伊家は、直弼は生きているという偽りの文書を出し、幕府は天下万民の信用を失って倒れるきっかけとなりました。見えているものに対してうそをついたら、政権は短命化する。歴史が証明する教訓です。」

おやおや、どこかで聞いた話だぞ。

(写真は、時の栖の「ありがた山」にある大仏)

2018年4月24日火曜日

玉松操

たぶん、日本史の授業などでは登場してこないが、日本の歴史に大きな影響を与えたたと思われる人物がいる。
司馬遼太郎という作家は、そういう人物にスポットを与えるのが好きだ。

彼の短編「加茂の水」には、五百円札でお馴染みの岩倉具視の謀友、玉松操(たままつみさお)が登場。
玉松操というのは、幕末の鳥羽伏見の戦いにおいて威力を発揮する「錦旗(きんき)」=「にしきのみはた」を考案した人物である。
まあ、言ってみれば幕府軍が敗走するキッカケとなるアイテムを作り出したのだ。
その後、玉松は新政府に不満を持ち、野に下ることになるが、多少我慢していれば当然日本史の教科書に登場していたことだろう。

歴史なんてえものは、そんなもんだ。



2018年4月23日月曜日

月曜テニス②

以前にも書いたが、今年は水曜テニスに加えて、不定期の月曜テニスも始めたのであるが、これがなかなかシンドイ。

朝九時からのテニスなので、身体がまだ十分目覚めていないのだ。
つまり、まだボーッとした状態で身体を動かすことになる。
なんてえことだ。
頭と身体がしっかりリンクしていない。

まあ、慣れるまではこんな状態で行くしかないですね。

2018年4月22日日曜日

会計

四月から町内の会計を任されている。
任されているといっても、輪番制なので仕方なくやっているにすぎないのだが。

実際やってみると、どうも不思議なことばかりである。
まず感じることは、「何と寄付金の支払いの多いことか。」である。
町内会費としてまとめて徴収されるので、普段は気づかないが、ヤレ、緑の羽根募金であるとか、赤十字協力金であるとか、福祉協議会ナンチャラカンチャラとか、何だかさっぱり分からない方面に我々は寄付をしているのである。

自分から「これは寄付をしたいな」というのが、寄付金の基本であるはずなのだが、これでは強制寄付以外のなにものでもない。

と、憤って文句を言い、波風を立てるのは本意ではないが、一言だけ言いたくなったのである。
もっとも、これが日本国というものなのだろうね。

2018年4月21日土曜日

「いってらっしゃい」

「いってらっしゃい」という言葉がある。
今朝、テレビを見ていると、「いってらっしゃい」はなぜ「いってらっしゃい」なのかということが話題になっていた。
考えてみれば、これはなかなか即答できない。
その番組では最後まで解答がなかったような気がするので、チョイト自分で調べることにした。

まず、「いってらっしゃい」は、「行く」に接続助詞「て」をつけ、さらに「行く」「来る」「いる」の尊敬語「いらっしゃる」の命令表現が結合したもので、「行っていらっしゃい」、つまり「行ってお出でなさい」という意味のようだ。

「いらっしゃる」とは
[動ラ五(四)]《動詞「いらせらる」(下二段)が変化して五段(四段)活用化したもの》
1 「行く」「来る」「居る」の尊敬語。「お出でになる」
2 (補助動詞)
(動詞の連用形に接続助詞「て」を添えた形に付いて)「ある」「いる」の尊敬語。
(形容詞の連用形に接続助詞「て」を添えた形、また形容動詞の連用形に付いて)補助動詞「ある」「いる」の尊敬語。

あまりスッキリはしないのであるが、言語というものは常に変化して行く故、なかなかその正体というのはつかめませんのや。





2018年4月20日金曜日

桃李不言

「桃」で思い出すのは漢文の教科書に載っている次のようなフレーズである。

「桃李不言 下自成蹊(とうり⦅もの⦆いわざれども したおのずからみちをなす)」

「モモやスモモは何も話さないが、美しい花や良い実があるので人が集まってきて、下には自然と小道できる。」
(立派な人の周囲には自然と人々が慕い集まって来ることの例え。)

さて、この例えでいくと、逆のことも言えるだろう。
「酷い人の周囲からは自然と人が消え去っていく。」のである。






2018年4月19日木曜日

桃郷

先日「山梨県立博物館」に行った時の写真である。

河口湖の方から御坂峠を経て、御坂町に下る途中の風景である。
この辺りは、夏になると桃を売る店が多く見られるのだが、今はその前段階で桃の花を見ることが出来る。

桃と言えば、沼津の御用邸近くの地名を「島郷(とうごう)」というが、昔は(今もそうかもしれないが)「桃郷」と書いて「とうごう」というのもあったような気がする。
というのも。この辺りには桃畑が多くあって、桃の産地だったからであろう。

あの桃畑は、今はどうなってしまったのだろうか。



2018年4月18日水曜日

ワイプで抜く

テレビを見ていると、「ワイプで抜く」という言葉が出てきた。
タレントどうしが、当たり前ののように使っていたのであるが、ワタシのようなジジイには、この言葉の意味がよく分からなかった。

これは放送用語のひとつなんだろうが、テレビの画面の斜め上あたりに、小窓をつけてその画面を見ている人物を写し出すことである。
つまり「ワイプ」とは、小窓のことなんでしょうかね。

もともとは、映像技術において、新たな画面を差し込むことで拭き取る(ワイプ)ように元の映像を消していく画面切り替えの方法だという。
そうか、ワイパーのワイプか。

画面の右から左に移動するように次の映像が入ってきたり、画面の片隅から広がるように次の映像に切り替わったりなど、複数のパターンがある。
さらに、それが転じて、メイン画面の一部分に小窓のような別画面を設けて映像を表示する演出方法もワイプと呼ばれるということである。

後者はテレビにおいて、メイン画面で中継先の映像を映し、小窓でスタジオの出演者の様子を映す、といった使われ方をし、バラエティー番組や情報番組で定着している。

ふーん、言われてみれば納得できますわな。


                       



2018年4月17日火曜日

カレーパンサンド

「カレーパンサンド」という世にもおぞましいパンが発売されていた。

かつて、「焼きそばパン」という炭水化物の中に炭水化物をはさむ手法のパンで驚愕したのだが、まさかパンをパンでサンドするとは。
これはもう驚愕を通り過ぎて、卒倒もののパンである。
この手法で行くのであれば、ジャムパンサンドでも、あんパンサンドでも、いやいやクリームパンサンドもあり得るのである。

発売元はフジパン。
名古屋のパン屋さんだ。
やはりすごいね、名古屋文化は。

さて、肝心な「カレーパンサンド」の味であるが、これが予想に反してウマい。
なんと言ったらよいのだろうか。
ハムカツサンドのオモムキとでも言うのだろうか。
食べ物ののことを文字で表現してもしょうがない。
話のタネに是非食べてくださいな。


2018年4月16日月曜日

月岡芳年

山梨県の御坂町にある「山梨県立博物館」まで、「月岡芳年展」を観に行く。

「芳年(よしとし)」は江戸時代から明治時代にかけて活躍した浮世絵師で、日本が急激に変遷する激動の時代に人気絵師となった人物である。

歴史画、美人画、役者絵、風俗画、古典画、合戦絵など多種多様な浮世絵を手がけ、各分野において独特の画風を見せる。多数の作品があるなかで決して多いとは言えない点数でありながら、衝撃的な無惨絵の描き手としても知られ、「血まみれ芳年」の名でも呼ばれる。
(この展覧会、血まみれの作品はレンタルショップの成人向けコーナーのように、仕切られて展示されていた。)こんな展示は初めての経験である。

さて、芳年のこと。
彼は、浮世絵が需要を失いつつある時代にあって最も成功した浮世絵師であり、門下からは日本がや洋画で活躍する画家を多く輩出した芳年は、「最後の浮世絵師」と評価されることもある。昭和時代などは、陰惨な場面を好んで描く絵師というイメージが勝って一般的人気(専門家の評価とは別)の振るわないところがあったが、その後、画業全般が広く知られるようになるに連れて、一般にも再評価される絵師の一人となっている。
(月岡芳年の解説より)

まあ、浮世絵を観るといつも感じることだが、かつての日本人の意匠というのは世界でも頭抜けている。
その構図センスとテクニック、さらに色彩感覚は、他国の比ではないのではないか。
何はともあれ、「芳年展」は十分に行く価値のある展覧会であった。

2018年4月15日日曜日

パルネ・ウィラン

                                             ジャズの演奏者には、普段あまりパッとしない演奏だが、突如として神がかり的なとんでもない演奏をすることがある。
ワタシにとってのパルネ・ウィランの「ニューヨークロマンス」というアルバムはそのようなアルバムであった。
(こんなことを言うとパルネファンにはぶっ飛ばされるだろうが。)

本日は雨降りだったゆえ、久しぶりにこのパルネ・ウィランのアルバムを聴く。

パルネ・ウィランというのは、1937年、フランスのニース生まれ、父がアメリカの軍人で発明家で魚類学者。
母はフランス人で比較的裕福な家庭に育ったそうである。
1957年にマイルス・デイヴィス『Ascenseur pour l'Échafaud (死刑台のエレベーター)』で共演し、知られるようになった。1960年代半ばから後半にロックに興味を持ち、ロックのアルバムを録音した。1990年代にジャズに回帰する以前にパンク・ロックのミュージシャンと共に仕事をした。1996年に死去するまでモダン・ジャズのミュージシャンと共演した。フランス・パリで死去 59歳。

「ニューヨークロマンス」は1994年6月の録音である(彼の亡くなる二年前)。
ライナーノーツによると、パルネがアメリカのニューヨークで録音するのは27年ぶり。ウィランの演奏には太くブローする部分と、優しい柔らかい音色による陰翳の深い表現が混在している。このアルバムはまさにその両方を兼ねているアルバムだ。バラード演奏にはフランス風のある種独特の香気・味わいが備わっていて、その演奏にはやはりアメリカのジャズ・ミュージシャンとはどこか違うテイストがある。
これはやはり、アメリカ人の父とフランス人の母という生い立ちと無関係ではないだろう。アメリカの音楽ジャズに、フランス風の抒情と男性的色気のようなもの漂わせるのである。

さて、ワタシがこのアルバムに惹かれる理由はあと二つある。
一つは、リズムセクションのピアノがケニー・バロンであること。
そしてもう一つは、録音がヴァン・ゲルダー・スタジオであること。
ワタシにとっては、これ以上ない組み合わせだった。

最後にジャケット写真。
これもなかなかである。
ベッドの上でソプラノサックスを咥えているのがパルネ・ウィラン、手前の女性は恋人マリー・ムーア(画家・歌手)だ。

2018年4月14日土曜日

ソメイヨシノ

朝の情報番組を見ていると。
「桜の花は何故一斉に咲くのか?」
というクイズが出されていた。
考えてみれば、なるほど、地域差はあっても同じところの桜の花は、同じ時期に一斉に咲き、そして散って行く。
今まで意識していなかったが、不思議と言えば不思議である。

さて、番組の解答はこうである。
一斉に咲く桜は、「ソメイヨシノ」であり、この桜は一本の桜の樹から始まった「クローン」だから。

遺伝子研究の結果、ソメイヨシノはエドヒガンとオオシマザクラの雑種が交雑してできた単一の樹を始源とするクローンであることが判明しているそうである。
従って全国に広がっている「ソメイヨシノ」なる桜は、元を探すと一本の桜の樹にたどり着くのである。

では何故一斉に咲く桜を「ソメイヨシノ」と言うのか?
「ソメイヨシノ」は、江戸から明治初期に、江戸の染井村に集落を作っていた造園師や植木職人達によって育成された。初めサクラの名所として古来名高く西行法師の和歌にもたびたび詠まれた大和の吉野山(奈良県山岳部)にちなんで「吉野」「吉野桜」として売られ、広まったが、藤野寄命による上野公園のサクラの調査によってヤマザクラとは異なる種の桜であることが分かり(1900年)、この名称では吉野山に多いヤマザクラと混同される恐れがあるため、「日本園芸雑誌」において染井村の名を取り「染井吉野」と命名したということである。

2018年4月13日金曜日

富士霊園の桜



昨日、富士霊園まで行ってみた。

富士霊園というのは、このあたりの桜の名所である。
この時期、例年であれば、メインストリートの両側は満開の桜、桜の樹の下ではいくつものグループが花見をしている。

さて昨日はどうであったかというと、今年の異常気象により桜の花(ソメイヨシノ)の開花が早く、さらに先日の春の嵐により、ほぼ散ってしまっていたのである。
残念、こんな年もあるのです。

写真は、上にある駐車場近くの桜。
花の種類はわからないが、このの桜だけは見事に咲いていた。


2018年4月12日木曜日

「甑(こしき)」

火野正平の「こころたび」という番組で、鹿児島県の「上甑島」が取り上げられていた。
ここには、海と池が僅かな砂浜のような土地を隔てて共存している、非常にインパクトのある風景があった。

番組を見ていると、「上甑島、これは一体何と読むのだろう」の疑問、さらに「『甑』とは何だろう」という二つの疑問が出てきた。

ひとつめは、番組の中で「かみこしきじま」の読みがあったので、すぐにわかった。
ところが、二つ目の「甑(こしき)」の意味は、番組ではまったく触れられていなかったのである。
何か聞いたことがあるような気はするが、イメージがまったくわかない。
そこでいつものようにネット検索。

(こしき)は古代中国を発祥とする米などを蒸すための土器。とも。竹や木などで造られた同目的のものは一般に蒸籠と呼称される。 日本各地の遺跡で発見されており、弥生時代には米を蒸すための調理道具として使われていたと考えられる。

3世紀から4世紀にかけて朝鮮半島を伝い、日本にも伝来したと見られ、5世紀には須恵器(すえき)や土師器(はじき)のひとつとして甑が見られるようになり、その後8世紀あたりまで普及していたということである。


2018年4月11日水曜日

椿②






椿の由来をウィキペディアで調べてみた。

和名の「つばき」は、厚葉樹(あつばき)、または艶葉樹(つやばき)が訛った物とされている。
「椿」の字の音読みは「チン」で、椿山荘などの固有名詞に使われたりする。なお「椿」の原義はツバキとは無関係のセンダン科の植物チャンチン(香椿)であり、「つばき」は国訓、もしくは、偶然字形が一致した国字である。歴史的な背景として、日本では733年『出雲風土記』にすでに椿が用いられている。その他、多くの日本の古文献に出てくる。
 中国では隋の王朝の第2代皇帝煬帝の詩の中で椿が「海榴」もしくは「海石榴」として出てくる。海という言葉からもわかるように、海を越えてきたもの、日本からきたものを意味していると考えられる。榴の字は、ザクロを由来としている。しかしながら、海石榴と呼ばれた植物が本当に椿であったのかは国際的には認められていない。中国において、ツバキは主に「山茶」と書き表されている。「椿」の字は日本が独自にあてたものであり、中国においては椿といえば、「芳椿」という東北地方の春の野菜が該当する。

英語では、Camellia japonica と学名がそのまま英語名になっている珍しい例である。

2018年4月10日火曜日

椿

椿を写真に撮ることは、簡単なようでいてなかなか難しい。

その理由は、花と葉があまりにも整い過ぎているからだ。
おそらくモデル撮影などでもそうであると思うが、整い過ぎている対象というのは、意外と撮影に手を焼くのではないか。
つまり、整い過ぎているがゆえに、いくら枚数を撮っても皆同じように見えてしまう。

写真の本当の面白さは、平凡なごく当たり前の対象が、時に見せるトンデモナイ輝きをショットすることなのではないだろうか。

2018年4月9日月曜日

月曜テニス

数日前の暖かさから一転して冬の寒さに逆戻りしたような日であった。

今日は水曜テニスではなく、月曜テニスであった。
三島の箱根街道沿いに、錦田テニスコートという二面だけのテニスコートがあり、そこで午前9時から2時間ほどテニスを行なう。

二面コートを9人で行なうと、どういうことになるか。
我々はみなシニアゆえ、ゲームもダブルスということになる。
ダブルスということは、ひとつのコートに4人。
ふたつのコートだと8人。
9人のうち8人は常に試合をしている状態なのです。

運が悪いと、9時からほぼ2時間コートを駆け回っていることになるのです。
うーん、いつもながらワタシをのぞく皆さんの体力というのは、本当にスゴイ。


2018年4月8日日曜日

桜散る

予想通り、秩父の宮記念公園の桜は先日の雨風で散り果てていた。

写真は先週撮った咲き始めの頃の写真である。
撮影時の天候が曇りだったので、どうも鮮やかさには欠ける。
本来は桜のピンク色が空の青と対決するように強烈印象を残すのであるが。

まあ、これはこれで趣はあるが。


2018年4月7日土曜日

勘違い

車検だとういうことで、三月の初旬にディーラーに予約を入れた。
昨日がその車検日であったので、朝、車を置いて代車に乗って帰ってきた。

すると、昼頃ディーラーからTEL。
ナント車検は今年ではなく、来年であると。
「エッー、来年かあ」と、自分勘違いに驚くことマックス。

もっとも、ディーラーの方もディーラーのパソコンには、車のデータが入っているはずであり、車検連絡をした時に、それを受けたことを恐縮していた。

歳をとるということは、こういうことなんだなあ。



2018年4月6日金曜日

荒れ模様

昨日の予想通り、昼前後から荒れ模様の天気となる。
本日は、入学式を予定していた学校も多いとだろうに。

特に高等学校の場合は、最近の流行が午前に始業式、そして午後から入学式というパターンが多いゆえ、まともに荒天にぶつかったところも少なくないだろう。

今年三月一日の卒業式も、決して良い天気とは言えなかった。
よくよく儀式には恵まれない年なのだろうか。

2018年4月5日木曜日

東山湖の桜

今日現在の東山湖(東山湖というのは、御殿場の東山というところにある人造湖)の桜である。

今年の桜は、あっという間に咲いて、あっという間に散るそうである。
この桜もその例にもれず、先週はほとんどソノ気がないように見えたのだが、あっという間に咲いた。

今日の夜から天気は荒れ模様となるそうなので、こちらもきっと例にもれず、あっという間に散ることだろう。

2018年4月4日水曜日

花粉と戦う

ちょっと分かりにくいのであるが、写真の建物の壁面右上に塑像がある。
これが昨日のブログでふれた、アイヌの守り神「シマフクロウ」である。
外壁の十八体のひとつだ。

さて今日も水曜テニス。
花粉(たぶんヒノキの花粉)がやや強い風によりブンブン飛んいる中でのテニスであるゆえ、くしゃみや目のかゆみに襲われつつ行なったのである。

以前は花粉でひどい目に遭い、医者にもかかったのであるが、ここ何年かはまったく医者にも行かず、薬もまったく飲んでいない。
ワタシは毎年花粉症と戦っているのだ。
人間てえのは不思議なもので、現在では多少のくしゃみ目のかゆさはあるが、何とか耐えられるのである。



2018年4月3日火曜日

日本銀行旧小樽支店

写真は日本銀行旧小樽支店の天井についていた蛍光灯である。
なかなか面白い恰好をしていたので、思わずパチリしてみた。

この日本銀行旧小樽支店は現在金融資料館として無料開放されている。
奥にライトアップされているものは、アイヌの守り神、シマフクロウをモチーにした塑像であり、内壁に十二体、外壁に十八体が見られる。

旧小樽支店の建物は、赤レンガで有名な東京駅の設計者、辰野金吾らが設計、1912年(明治45年)に完成したという。
うーん、築100年以上なんだ。

2018年4月2日月曜日

びっくりドンキー

小樽の倉庫を利用した「びっくりドンキー」である。
静岡県ではよく見かける「びっくりドンキー」というハンバーグの店であるが、本社は札幌市なのだそうだ。
札幌では「びくドン」というらしい。

実はこの「びっくりドンキー」、ワタシが初めて行ったのは、富士市にある「びっくりドンキー」であった。
妙な建物に独特な味のハンバーグ、当時のワタシはすぐにファンになってしまった。
「びっくりドンキー」の歴史をみると、何と富士市にあった店は1983年に大阪の二店舗に次ぐ歴史を持つ店だという。

ふーん、今では326店舗というから、すごいもんだね。












2018年4月1日日曜日

XPERIA

一昨日に続いて小樽の運河での写真であるが、一昨日の写真とは微妙に異なっている写真なのである。

一昨日の写真は一眼レフで撮ったもの。
また、今日の写真はスマートフォンで撮ったものである。

スマートフォンで撮ったものは、横サイズが若干長くなり、縦サイズが短なっているような気がする。
ワタシのスマートフォンは、ソニーのXPERIA XZ1というやつであるが、最近のテレビコマーシャルにもあるように、映像も確かにキレイだ。
色合いだけでいうと、一眼レフよりも優れているような気もする。

最新のカメラ技術というのはスゴイね。