2018年2月4日日曜日

バーチャルの軽薄さ

三年生の問題演習の中で、岡田勝明「自己を生きる力ー読書と哲学」という文章を演習したのであるが、その文章では作曲家・武満徹の見解を引用した部分があった。

「西洋の音楽では近代化・機能主義の方向に会わない『多くの大事なものが切り捨てられ』た、それに対し日本の楽器は西洋楽器が捨てていった雑音を音楽表現として使い、『世界全体の響きをひとつの小さな雑音の響きの中に感じ取るという思想』を有するものと捉えている。

武満徹は、現代社会は隅々にまでデジタル化・機能化・グローバル化が浸透しているが、日本の楽器はその方向とは逆にあって、「身体性」をもつことを述べている。
西洋音楽は近代化・機能化することで「身体性」を切り捨ててきたのである。

最近よく使用される言葉で、「バーチャル=存在しないものを存在させる」という言葉があるが、この仮想現実こそ「身体性」の欠如である。
現実とは極めて複雑な世界であり、多様な解釈が必要となる。そこにはしっかりした「身体性」が必要なのだ。
ビットコイン騒動で分かったことは、「バーチャル」というものが、如何に「現実」に耐えられないか、ですがね。

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