2017年6月29日木曜日

帝釈天とか毘沙門天

昨日に続いて、司馬遼太郎の講演録の話である。

今日もこの講演録を読んでいて、ハタと気づかされたことがあった。

例えば、日本のお寺には帝釈天とか毘沙門天、あるいは金毘羅(これは現在神社であるが、明治の神仏分離前までは寺でもあった。金毘羅とはインドのガンジス河のワニを神格化したものである。)など、現世利益をウリにするバラモン教に関係の深い名前が登場する。
仏教を守る神と言ってしまえば、それまでだが、どうもそれは後付けのような気がする。

本来仏教の教祖、インド釈迦が到達した心境はひとつ。
人間は誰でも死ぬ。
そして万物もみな死ぬ。
しかしながら、それは流転していくものである。

この考え方からすると、バラモン教の現世利益、俗な部分とは本来関係のないのが仏教である。
さて、この点について講演録には、次のように書かれていた。

日本の仏教は中国から輸入された。
そして、中国の仏教はインドから輸入された。
中国に仏教の経典をもたらしたのは、三蔵法師でお馴染みの玄奘(げんじょう)である。
玄奘法師がインドに行った時、隆盛きわめていたのはバラモン教であった。
バラモン教というのは、非常に妖怪変化を好み、現生利益を求めるところがある。
実は玄奘法師、インドのサンスクリット語がよくわからない。わからないまま多くのお経を集め、中国に持ち帰った。
勿論、その中にバラモン教的なものがあり、それはいつともなく仏教の世界にとけこんでいった。

うーん、なるほど。
帝釈天など観光客でいっぱいだものね。

(写真の石仏は「とらや工房」の庭にあったもの。ひとつの石に二体の珍しい石仏である。)




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