2012年8月31日金曜日

自己変容への欲望




オウムの続きである。
今の世の中について、さらに僧侶は言う。
自己実現とか、生きる意味を探す人は多い。
 今の社会に違和感を抱く人には、「この世界を壊して
逆転勝ちしたい」という方向とは別に、
この世界に染まらずに超越するという考え方もあって、(これは実存主義の考え方に近いような気もするが)
それは、「社会は汚れているけれど、自分は清らかで、他人より勝っている。」という発想だという。
 ところが、この考え方は実際のところ、ものすごく強烈な自己変容への欲望であり、自己肥大の一つのバリエーションであるのだそうだ。
 「現実の世界」に染まらないことを自分のポリシーとしながら、一方では自己の欲望を肥大させていく。
 うん、なんか最近あった事件だぞ。
秋葉原の車の暴走事件などは、典型的なこのパターンではなかろうか。

「面白い、つまらない」による価値判断



八月二十五日の朝日新聞朝刊に面白い記事があった。
「オウムは終わったのか」という見出しで、僧侶と評論家がそれぞれ意見を述べているのであるが、僧侶の小池龍之介氏(1978年生まれであるので、まだ若い僧侶である。)
の意見が面白い。
 まず、「宗教とは何か。」について次のように述べる。
宗教は「負けている人」の逆転勝ちしたいという欲望をかきたてるところがある。例えば、世の中に違和感を抱く人。「かけがえのないあなた」という甘いメッセージと「ちっぽけな自分」という現実との落差に苦しむ人。
自分の価値が見出せず、敗北者の気分になっている人。
そうした人たちも、世界観を転換することで「勝利者」になれると。
 さらに僧侶は続ける。
人間には「正しい、正しくない」という価値判断のほかに
「面白い、つまらない」という価値判断がある。
想像を絶するようなファンタジー(幻想)は、正しいかどうかを超えて「すごい!」となる。
そして、それが事後的に「正しい」となるのである。
 うーん、なかなか鋭い意見だ。

2012年8月30日木曜日

小市民的歓喜

マクドナルドシリーズ②

小腹がすいたので、ポケットに手を入れたら
200円。
「おお、マクドナルドで200円分食えるぞ。」
 おじさんは早速マクドナルドへ。
 200円で、チキンクリスプとハンバーガーを購入。
 包み紙からハンバーガーを取り出してパクリ。
包み紙の文字も確かめずに食べたら、これがなんとチーズバーガー。(パックミスだろう。)

 「もう食べてしまったもんね。」と知らんふり。
もっとも、一口食べてしまったバーガーなど、店員も受け取るまい。
 
と、勝手に判断。
その一方では、チーズ一枚、得したぞと思わずニヤリ。                          
「小市民的歓喜」であった。


写真は山形の寿司屋にあった獅子頭。
「すしやのしし」である。(シャレか?)

2012年8月29日水曜日

「三代目 米づくり」

                               
 ブログに画像を挿入する時の動作がどういうわけか不安定になってしまった。何が原因なのかよくわからないが、兎も角不安定である。
 パソコンというのは、ほんとうにやっかいだ。
 
今回の写真は自動販売機である。山形で見かけた飲料水の販売機であるが、なんと80円の表示。
 激安80円である。
ところで、激安の「激」であるが、「激しい」の他に「感動する」の意味を持っている。
 まさしくこれは「感動的」な値段であるのかもしれない。
 この販売機にはなかったのであるが、
最近JTビバレッジの商品で、
「三代目 米づくり」という炭酸飲料が発売された。
 炭酸飲料評論家の私としては、興味津津。
早速飲んでみた。
 ウリは国産米の米粉糖化液を使用ということである。
不思議なことに、味はカルピスソーダのような味がするのである。米なのに何故だろう。

                          

2012年8月28日火曜日

前九年・後三年の役

話は前後するのであるが、男鹿に行く前に、東北の小京都と言われている角館(かくのだて)に寄った。
写真は角館のメインストリートとなる武家屋敷通りである。
人力車の車夫が客待ちをしている。
 角館もなかなか興味深い街であるが、今回はこの街に至るまでに通過したJR奥羽線の駅名について書いてみる。

まず、なかなか読めない駅名。
 ①「及位」 ②高擶 ③鹿渡  
どうだろうか?読めただろうか?
解答は最後に。
 
次がやたら長い駅名。
「茂吉記念館前」「かみのやま温泉」「さくらんぼ東根」

 さらに、面白い駅名。
「十文字」、「飯詰」、「柳田」=どこかの学校の先生にもいたぞ。

 歴史に登場してくる「後三年」という駅名もあった。
車掌が「次は、後三年、後三年」などと車内放送したならば、何か笑ってしまいそうだ。
 後三年というのは、「前九年・後三年の役」の後三年であって、
このあたりが、後三年の戦場になったので、このような名前がついたとか。
 さすが、教育県の「秋田」だね。
ところで、N西とN東の受験生諸君、「前九年・後三年の役」は
何年に起こって、どのような戦いだったのか説明できるかな?

 ①は「のぞき」 ②は「たかたま」 ③が「かど」である。

2012年8月27日月曜日

男鹿(おが)半島

 秋田の続きである。
写真右は一見すると、北アルプスとか、南アルプスの山頂の
写真のように見える。
 これは、秋田県の日本海側にある男鹿(おが)半島の戸賀湾に面している云わば、岩場である。(シャレを言っているわけではない。)
 下の写真を見るとわかるが、海が間近に見え、波が打ち寄せてきている。
 この不思議な風景が何故できたのかというと、
(私が説明するには、ちょいと荷が重い。)
この風景は 日本では男鹿半島の戸賀湾にのみ存在する爆裂火口(マール)湖が海と一体化したものらしい。
(これは地学の先生に質問すれば、たぶん詳しく教えてくれるよ。N東の生徒諸君は、N先生に是非質問してください。)

何はともあれ、兎も角凄い風景なのである。
なんといっても火山なのだから。


この岩の反対側には「男鹿水族館」という水族館があって、
そちらは、至って平和な風景である。
ウリは、「白くま」「ペンギン」それから秋田名物「はたはた」という
魚であろうか。
 「はたはた」については、その生態等が詳しく展示されていた。 

2012年8月26日日曜日

大曲の花火と横手のヤキソバ

今日NHKのBS放送を見ていると、秋田県の大仙市で行われる大曲(おおまがり)の花火大会の実況中継をしていた。(さすがNHKだね。花火の実況中継をやるなんざあ。)
大曲の花火大会というのは、日本三大花火大会なのだそうだ。因みに三大大会というのは、新潟県の長岡、茨城県の土浦、そしてこの秋田県の大曲の花火大会のこと。
 夜七時から九時四十分まで二時間四十分もの間延々と花火の打ち上げを中継するというものであった。二時間以上も見る人なんているのだろうか?(もっとも、私はそれに付き合ってずっと、テレビで花火の打ち上げを見てしまったのだが。)
 なぜこのように興味を持って花火を見たのかというと、それには勿論わけがある。
 
先日まで旅行していた山形旅行(山形にはカミ
サンの実家があるのです。)で、さらに秋田の方
への旅行も実行してみたのである。そしてその旅の途中で通過したのが、この大曲であったからだ。
 テレビ中継(これは、まさしく花火大会であって、二十八人の花火師がそれぞれ、課題の花火と創作花火を打ち上げ、審査員がそれを審査して賞を決定する。)で感動したのは、花火そのものは当然だが、大会終了後に交換する赤い灯りと黄色い灯りの挨拶である。花火師のほうは、「見てくれてありがとう。」また客のほうは「見せてくれてありがとう。」とお互いに川を挟んで灯りを振るのである。
 
 さて、写真はヤキソバであるが、
これは大曲の手前に横手(雪の「かまくら」
で有名)というところがあって、そこのヤキソ
バである。B級グルメでは、先に「富士宮ヤ
キソバ」が名を売ったのだが、そのあとに
グランプリをとったのがこの「横手ヤキソバ」。
特徴は上に乗っている「目玉焼き」である。
 食べる時には、右のように卵をくずして
食べるのだが、味はまあまあといったところか。
個人的には、身内を引き立てるわけではない
が、「富士宮ヤキソバ」のほうが、数段美味しい
ような気がする。

2012年8月25日土曜日

湯上り美人

枝豆シリーズ、その②
昨日の枝豆は、ブランド枝豆の「だだちゃまめ」であった。ブランド枝豆の代表的なものには、新潟県で作られている「黒崎の茶豆」という枝豆もあるのだが、これががまた美味い。やはり、香りが強く甘みが印象的な枝豆である。
 以前、新潟の友人のところで、ご馳走になった時に「これが同じ枝豆なのか。」という感想を持ったことを覚えている。
 さて、翌日に食べたのが左の写真の枝豆だが、この枝豆の名は「湯上り美人」というのだそうだ。ところによっては、「湯上り娘」ともいうようであるが(この「美人」か「娘」かはどうもはっきりしない。同じものなのか、別物なのか。まあどちらでも良いことなのだが。)、いずれにしろ、この枝豆も香りがあって、甘い枝豆である。「湯上り美人」とは、実に上手いネーミングである。
 ところで、枝豆を使って作るのが、「ずんだ」である。山形では「じんだん」とも云って、「ずんだもち」とか「じんだん饅頭」の名で販売されている。「じんだんドラ焼き」というドラ焼きもあり、これにバター(マーガリン)を入れたものは、「バタードラ焼き」となり、これはとても美味しい。(私は大フアンである。)
 枝豆=大豆ということを知らない人が意外に多いが、この枝豆を使って、味噌を作ったり、豆腐を作ったりするのだよ。

2012年8月24日金曜日

だだちゃ豆

久しぶりのブログとなった。約一週間ほど山形に行ってきたのである。車を運転して行ったので、本日はいささか疲れ気味である。(本日の運転は、八時間ぐらいか。)
 さて、山形でのことは、あとでいろいろ書くとして、今日は「だだちゃ豆」である。この豆は枝豆の一種であるのだが、写真で分るように、一つの房に二個、豆が入っているのがふつう。(三個以上はあまりない。)また、香りが強く甘みのあるのが特徴である。まあ、枝豆のブランド品と考えると良いような気がする。
 山形でも特に庄内地方で採れる豆だ。
「だだちゃ」というのは、庄内地方の方言で「おやじ」とか「お父さん」のことで、江戸時代、献上された枝豆に庄内藩の殿様が「この枝豆はどこのだだちゃの作った豆だや。」と聞いたことからこの名がついたのだそうだ。

2012年8月16日木曜日

不安定な天気

不安定な天気が続いている。
不安定な天気の時は温度と湿度のバランスが悪いので、あまり快適な感じがしないのである。
現在、気温自体は、26.5度であるので、そう暑い温度ではないのだが、湿度が高いのだ。
これが、不快を作り出しているのである。
 さて、明日から当分の間ブログを休止しなければならない。
 理由はパソコンのない環境に置かれてしまうからである。(なにを大げさに。ただ単に旅行するだけなのだが。)
 実は旅先から携帯でブログができるということで、N西のF先生にお願いして、いろいろセットしてもらったのだが、結局のところ私の持っている携帯は型が古いのでダメだということがわかった。真に残念である。よって明日より暫くの間、ブログを休止することに致します。


(百合シリーズ④)

 

2012年8月15日水曜日

「筝」について


昨日は筝曲部のめでたい話があったのだが、聊(いささ)か気になることがあった。すなわち、筝曲の「筝」は何故「筝」なんだということである。
 所詮「筝」のことなど何もわからない私は、「筝」と「琴」の違いさえわからなかったのである。
 調べてみると、「琴」というのは、「筝」の通称、代用漢字でもあるらしい。「筝」のほうが歴史のある言葉ということなのか。また、音を調節する「柱」があるのが「筝」であり、ないのが「琴」とも書いてある。そうなんだ。
 さて「筝」の漢字であるが、「竹かんむり」は「筝」が「竹」を素材にしていたと考えれば良いが、下の「争」は何だろう。
優雅な楽器には似合わないような気がする。
 ここからは私の推測だが、「争」は基本的に「争う」意味なのだが、それ以外に「引き合う・手渡す」の意味がある。
「引く」で考えると、「筝」は「弾く」ものなので、すべて上手く嵌ってしまうのだが。
 ただし、漢和辞典には「争」は「ソウ」という音を表している、とあるので、これは怪しいかも知れぬ。

クイズ 「筝」は何故、一面・二面と数えるのでしょうか?
 
                                           (百合シリーズ③)

2012年8月14日火曜日

筝曲部の皆さんおめでとう。

今朝、N西に行くと、O先生がいて、富山県の総文祭でN西の筝曲部が優勝したことを聞いた。
 すごいね、日本一だね。
Sさん、Nさんおめでとう。筝曲部の皆さんおめでとう。
今度ゆっくり話を聞かせてくださいな。

さて、写真は百合シリーズの②である。
天気は快晴であるが、逆光で撮るとまったく違うイメージの百合が撮れる。
ウィキペディアで調べると、「百合」の語源は
「揺り」である説が有望とのこと。
また、漢字の「百合」は「鱗茎(球根)」がたくさん重なりあっていることから「百合」となったとのこと。

さらに、これはどうでもいいことだが、女性同士の恋愛(所謂レズビアン)をあらわすのも「百合」という言葉であるそうだ。
そういえば、男性同士だと「薔薇」になるな。

2012年8月13日月曜日

夢十夜

夏の代表的な花と云えば百合の花である。

先週、通りかかった田んぼのあぜ道に百合の花が沢山咲いていたので思わずシャッターをきってきた。
 私が百合の花を見て、いつもイメージするのが夏目漱石の「夢十夜」だ。
「こんな夢を見た。」で始まる十夜分の夢の話である。
この話を初めて教材として扱った時には、ショックを受けたものだ。
「漱石がこんな小説を書くなんて」というショックである。
「ファンタスティック」の英語がこれ程似合う小説はあるまい。
 さて、「夢十夜」がなぜ「百合の花」か、というと
この小説の「第一夜」が「百合の花」の話で開始されるからである。

極、簡単にストーリーを説明すると、
「腕組みをして枕元に座っていると、仰向きに寝た女が、静かな声でもう死にますと云う。」さらに女はいう。「死んだら、埋めて下さい。大きな真珠貝で穴を掘って。そうして天から落ちて来る星の破片を墓標に置いて下さい。そうして墓の傍に待ってください。又逢いにきますから。」
自分は黙って頷いた。すると女は「百年、私の墓の傍に座って、待ってください。きっと逢いに来ますから。」といって死んでゆく。
果たして、自分は墓の傍で待つのだが、いつの間にかそこから青い茎が伸びてきて、やがて白い百合の花が咲くのである。「百年はもう来ていたんだな。」

「百合の花」の「百合」とは「百年たったら合う」という意味なのか?
と、この小説ではじめて納得したものである。

2012年8月12日日曜日

書中お見舞い申し上げます。

暑中お見舞い申し上げます。

夏の暑い盛りに、真冬のスキー場をプレゼントいたします。
この写真は、2010年の北海道スキーである。
この年は、ニセコのアンヌプリスキー場にでかけた。
 ニセコというのは巨大なスキー場で、おそらく日本でも五本の指に入る大きさなのではなかろうか。
羊蹄山の北側に広がる複数のスキー場の総称がニセコであり、最近は東洋のサンモリッツと言われ、オーストラリアなどからも多くのスキー客が訪れているそうである。
 写真(モデルはN東の化学のM先生)でもわかるように、本州のスキー場とは違って、人がいない。ゲレンデで、ふとまわりを見ると我々のグループしか人影が見えなかったなんていうことも、そう珍しいことではなかった。

またオリンピック。
一昨日も書いたが、「日本は女子でもっている」ということが、今日のバレーボールでも証明されてしまった。
万歳、日本の女子である。

2012年8月11日土曜日

「中国地方」は何故「中国地方」というのか。


今日で夏休みの補習が一段落した。
N西Sクラスの諸君ご苦労様でした。

 突然の話題であるが、「日本の地名」という本を読んでいて長年の謎が解けた。
それは、「日本の中国地方は中国でもないのに、何故中国地方というのか?」という謎である。
 「日本の地名」に曰く、かつて、奈良・京都に都があった頃、国の行政区分が、畿内からの距離によって、近国、中国、遠国と区分されていた。
 岡山のあたりはこの行政区分により、中国と言われていたそうだ。区分の呼称は、時代が経過するうちに、次第に使用されなくなっていったのであるが、当時最も重要であった山陽道を含む地域である岡山あたりだけは、以前と変わらず残されて行き、現在に至ったということである。
 因みに、近国・中国・遠国の言い方は、西の方だけではなく、東の方の言い方にも適用されており、我らが静岡県も「中国地方」と言ったようだ。


  (写真は須坂で見た雨落とし)

2012年8月10日金曜日

この国の女子の強さ

今日のオリンピックはNHKで女子レスリング、フジテレビで新体操の競技を見ながら一人で興奮していた。
(ある意味、この二つは興奮の仕方が違っていたが。)
なんと言ってもワイルドとエレガントである。
レスリングを見ながら、「強いなあ」「凄いなあ」
新体操を見ながら、「顔ちっちぇー」「足なげぇー」
てなものである。

それはさておき、この国の女子は強い。
格闘技を見よ。
柔道といい、レスリングといい
金メダルをとるのは女子ばかりではないか。
しかも、その背景には、涙なしでは語れないドラマも控えている。
 レスリング63キロ級金メダルの伊調馨選手は、じん帯損傷のまま決勝戦に出て、痛みをこらえながら優勝。
 また48キロ級金メダルの小原日登美選手は、一度引退を決意、うつ病に襲われた時もあるという。そこから這い上がって金メダルを手にしたのである。
 なんという精神力だ。
ただただ、恐れ入るばかりである。

                                        (「豪商の館」による遠近法)

2012年8月9日木曜日

早朝テニス

早朝テニスのために五時半起きをして、愛鷹のテニスコートまで出かけた。
 朝七時、テニスコートの駐車場に着いた途端、N東のI先生に出くわす。(親知らず抜き仲間のI先生である。)何でも生徒の試合の付き添いだとか。朝の七時からご苦労様。
 テニスの方、私以外は皆七十歳以上なのに、皆さんお元気である。一年に数える程しかテニスコートに立たないアタシは、予想通り、全身筋肉痛となってしまった。
 実は本日、このテニスの後にN西の夏の補習があったのだが、朝あわてて出てきたために、

補習を行なう時のシャツを忘れてしまい、仕方
なくTシャツで講義を行なってしまった。N西のアタシの補習に参加している生徒諸君、ごめんなさい。



(写真は「豪商の館」にいたカルガモ? 一月の写真展以来、なんでも後ろから撮る癖がついたようである。)

2012年8月8日水曜日

西洋の家・日本の家

今日の補習の教材は、滝沢健児(建築家)の「すまいの明暗」という文章であった。
 西洋の建築物と日本の建築物の比較であるのだが、簡単にいうと、「西洋は厚い壁があり、日本には壁がない。」ということである。
 壁があると、その壁に対して積極的にかかわるようになる。例えば外の空気を入れたければ壁に窓をあける。人間が自然に対して能動的に関わって行くのである。
 それと比べると、日本の伝統的な家屋は右の写真でもわかるように、、厚い壁などはなく戸を開けると、外の自然とすぐに同化し、自然を受け入れることができる。つまり、自然に対して受動的に接して行くのが日本の特徴だというのである。
 なんとなく説得力のある文章だ。
西洋の人間が能動的なのに対して、日本人が受動的なのも此の辺に起因しているのかも知れない。
 そういえば、オリンピックの日本のサッカーも、守備に重点をおいてから快進撃が始まったような気もする。
 やはり、日本は「受身でなんぼ」なのである。



(写真は須坂の豪商の館)

2012年8月7日火曜日

習慣的に行動する

N西の夏休み補習の問題に、経済学者?塩沢由典の「人はなぜ習慣的に行動するのか」という文章があった。
 「人間が習慣的に行動する理由は、注意と思考の節約のためである。すなわち、合理性の限界のために、なるべく少数の、整理された情報から結論を出すことが要請されるため、経験を通じた学習によって決定の思考過程そのものが定型化される。」
 要は「人間の行動はある程度は制限されていた方が考えやすいこともある。」ということだ。
情報が多すぎては、合理性に限界が出てきてしまうということである。
 朝、起きて顔を洗い、歯を磨く。
例えば、ここにいろいろな選択肢(散歩をする・座禅をする・歌を歌う・体操をする等々)があると、これは時間がいくらあっても足りない。従って、ここは経験を通して学習し(何が適当なのかを判断)、情報を手に入れることにより、注意と思考を節約することになるのだ。
 同じことの繰り返しが習慣なのだろうが、同じことは同じことなので、とても退屈となる。でも、この退屈さに打ち勝つことで、きっと何かを手に入れられるのだよ。
 ねえ、N西とN東の受験生諸君。

2012年8月6日月曜日

同窓会

沼津のキャッスルホテルで中学の同窓会が行われた。
同学年の同窓会ではなく、縦のつながりでの同窓会である。
 従って、八十歳近くの高齢者から三十代あたりまで、幅広い
年齢層での年齢が集まった。
同窓会自体は、懐かしい顔を見ることができて、それは満足の行くものであった。
 さて、このような同窓会で、もれなく実施されるのが、校歌斉唱であるが、私自身、どうもこの校歌というものに疑問を感じてしまう。
それは何か。
それは、半世紀以上昔に使用されたものを、今だに使用していることである。「それが校歌だ。」と言ってしまえば、それはそうなのだが、高校生は兎も角、小学生・中学生に古文を使うのは、いかがなものか。
 私は沼津第三中学校の出身であるが、校歌の中には、次のような歌詞がある。「明日の光をかかげんと 希望は燃ゆる 共に歌はん」
 「かかげん」んの「ん」は意志をあらわす推量の助動詞であるし、「希望は燃ゆる」の「燃ゆる」はヤ行下二段活用の動詞「燃ゆ」の連体形である。
 何れも古語文法で表記されている。
小学校では、古文などもっと分りにくいことだろう。
なんてったって
「みどり色こき香貫山」である。「色こき」の「濃き」は形容詞
「濃し」の連体形なんて、どうやって小学生に理解させるのか
はなはだ疑問である。
歌っている意味のわからない校歌など、むなしいのではなかろうか。

日本の学校の多くの校歌が、このように出来ている気がする。
このことを問題と思わないのが、問題ではなかろうか。


 (写真は昨日と同じ場所での「松の葉」)

2012年8月5日日曜日

CheNelle


TSUTAYAに行って、CheNelle(シェネル)という女性歌手のコンパクトディスクを借りてきた。
マレーシア生まれのオーストラリア育ちなのだそうだ。このCDは、いろいろな歌手のカヴァーバージョンであるのだが、なかなかである。
「BABY I LOVE YOU」から始まって、「Missing(久保田利伸)」まで、全部で13曲。本当になかなかである。
秀逸なのは、やはり「BABY I LOVE YOU」であろうか。
斉藤和義とかTEEとか何人かが歌っている。ウィキペディアで調べてみると、
この曲のオリジナルは、「くるり」というロックバンドが歌っていて、このバンドの岸田繁の作詞・作曲であるそうだ。
以前、同様に女性歌手のカヴァーアルバムでBENIの「COVERS」を聴いたが、こちらも優れたアルバムであった。
最近の女性歌手の実力はすごいね。



(写真は須坂「豪商の館」で見た「蓮の花の蕾」)

2012年8月4日土曜日

アゼルバイジャン

ロンドンオリンピックの話。
日本人選手のボクシングの試合で妙な判定があった。
 相手の選手はアゼルバイジャンという旧ソ連から分離した国の選手であった。
 疑惑は、最終ラウンドにアゼルバイジャンの選手が三回以上ダウンしているのに、レフェリーがダウンをとらなかったことである。
 勝敗は判定となり、アゼルバイジャンの選手の勝ちとなってしまった。
結局、これは日本の抗議によって、判定が覆ったのであるが、じつに妙なレフェリーの態度であった。


疑うわけではないが、今アゼルバイジャンは石油によって国自体が非常に潤っているらしい。汚職もはびこっており、賄賂などは当たり前。またレフェリーがトルクメニスタンというアゼルバイジャンの近くの国の人間である。これはもう怪しいというほかないではないか。
 どうも、今回のオリンピックは変な判定が多いようだ。
柔道なども、「これが柔道なのか?」と思うような試合ばかりのような気もする。


(写真は長野 車山高原)

2012年8月3日金曜日

「秘密のケンミンSHOW」


「秘密のケンミンSHOW」というテレビ番組がある。
それぞれの都府県の名物などを、ちょっと斜めの角度から紹介していく番組であるのだが、これがなかなか面白い。
今晩は京都の特集であった。
京都の有名なパン屋に「志津屋」というのがあり、そこの代表的な商品「カルネ」について説明をしていた。
「地元ではかなり有名だが、他県の人間には、あまり知られていないもの」がこの番組のコンセプトでもある。
さて、「カルネ」とは、丸い形のパンに、ハムとたまねぎをはさんだ、わりとシンプルなパンであるのだが、とても美味そうであった。
まさか京都の特集でパン屋が登場するとは思っていなかった私は完全に裏をかかれてしまったようだ。
やはり、京都は奥が深いのである。

三年生の勉強合宿で、今日も講義をした。
90分を二回、講義したのだが、90分があっというまに過ぎてしまった。みんな一生懸命なのだ。

2012年8月2日木曜日

天王山

今日、国語研究室で国語科のH先生と話をしていたのだが、
その時、ふっと思ったことがある。
 勉強合宿のマニュアルを見ていると、最初のページにこう書いてある。「受験の天王山である夏休みの学習へのスムーズなスタートを切る。」
 不思議に思ったことは、「天王山」という言葉だ。
何故「天王山」なのだろうか。何故「関が原」ではないのだろうか。
 「受験の関が原」なんて聞いたことはないのである。
 「受験の天王山」というのは、「ここで勝敗が決まってしまう時期」という意味で使われているのだろう。この意味に関しては、特に異議はないが、「天下分け目」ということで使うのであれば、「天王山」よりも「関が原」のほうが、ポピュラーではないだろうか。
 「関が原の戦い」=1600年、徳川(東軍)対豊臣(西軍)
はすぐに頭に浮かぶのであるが、「天王山の戦い」
「んー何時だっけ。誰と誰の戦いだっけ。」となってしまう。
(試しに、これを見た人は、天王山が何年で誰と誰が戦ったのか考えてみてください。)
 こんなこと考えるのは私だけなのだろうか。



今晩の「怒り新党」。
印象に残った言葉、「義務教育なんて牢屋にいるようなもの」
さも、ありなむ。



(写真は昨日の続きの八島湿原)

2012年8月1日水曜日

勉強合宿



三年生の勉強合宿ということで、御殿場の水土野(みどの)にある「ゆ~らいふ御殿場」という研修所に出かけた。
懐かしいところである。
この研修所は、G南でもN東でも勉強合宿に参加したことがある。むかしは「自動車労連御殿場研修所」とかなんとか、言っていたような気がする。
 とりわけ、G南の合宿の時に起こった事件が忘れられない。
それは、日本全体が震撼した「地下鉄サリン事件」である。
1995年の3月であるので、今の三年生は生まれたばかりの頃だろう。
講義のあいている時には、ずっとテレビにかじりついていた。
 もう、あれから何年たったのだろうか。
月日というのは、知らず知らず過ぎていくことを実感した。




(写真は長野の八島湿原で見つけた「ナントカうど」の花)