夜、「笑ってこらえて」というテレビ番組を観た。
この番組は、独自のユーモアセンスでつくられている番組で、なかなか面白い。
その企画の中で、「街の夜中を体験する」企画があった。
番組のディレクターが、夜の10時頃から翌日の朝4時ころまで街のなかで、ユニークな人物を探しながら時間を過ごすのである。
今回の舞台は東京の町田。
東京のベッドタウンであり、近頃ずいぶん発展してきた街だ。
我々地方の人間からすると、違和感があるのだが、都会(町田が都会であるかどうかは置いといて)というのは、本当に眠らない街だ。
朝まで営業している店も多く、確実に時間が過ごせるのである。
結局、かのディレクターは、何の苦労もなく、次の朝を迎えたのであった。
(昨日と今日の写真は、御殿場、神場の山神社。大きなはさみは、この神社の霊験である「悪縁を切る」ことが叶うと奉納されるものだという。)
2014年5月14日水曜日
2014年5月13日火曜日
愛は時を消し、時は愛を消す。
先週から借りていたレンタルDVDを、なかなか観る機会が得られず、結局今日、慌てて観るはめになった。
(借りたものは、ナンデモ余裕を持って返すようにしましょうね。)
さて、DVDは二本借りていて、一本が「項羽と劉邦」の「鴻門の会」、そしてもう一本が、ニコラス・ケイジ主演の「ゲットバック」というアクション映画であった。
「項羽と劉邦(鴻門の会)」は、期待を裏切る内容であった。
その理由は、漢文の教科書でおなじみ、「鴻門の会」の場面をえらく簡単に扱ってしまっていたからである。
副題に「鴻門の会」とあるのだから、もう少し丁寧に扱ってもいいだろうに。
もうひとつの「ゲットバック」は、まあこんなものかな、といった感じなのだが、劇中、主人公のニコラスケイジにその友人が語る言葉で、妙に印象的な言葉があった。
「愛は時を消し、時は愛を消す。」
(どうもこれはドイツの格言らしい。)
おおー、その通りだぞよ。
(借りたものは、ナンデモ余裕を持って返すようにしましょうね。)
さて、DVDは二本借りていて、一本が「項羽と劉邦」の「鴻門の会」、そしてもう一本が、ニコラス・ケイジ主演の「ゲットバック」というアクション映画であった。
「項羽と劉邦(鴻門の会)」は、期待を裏切る内容であった。
その理由は、漢文の教科書でおなじみ、「鴻門の会」の場面をえらく簡単に扱ってしまっていたからである。
副題に「鴻門の会」とあるのだから、もう少し丁寧に扱ってもいいだろうに。
もうひとつの「ゲットバック」は、まあこんなものかな、といった感じなのだが、劇中、主人公のニコラスケイジにその友人が語る言葉で、妙に印象的な言葉があった。
「愛は時を消し、時は愛を消す。」
(どうもこれはドイツの格言らしい。)
おおー、その通りだぞよ。
2014年5月12日月曜日
CDショップの消滅
近頃、CDショップが次々と姿を消している。
インターネットによる音楽(曲)のダウンロードなどがその原因なのだろう。
これも時代の趨勢、と言ってしまえばそれまでなのだが、どうもそれだけではすまされない寂しさが付き纏う。
私としては、音を媒介するコンパクトディスクという商品は、そのジャケットデザインも含めて、ひとつのものとなるのである。
ジャケットデザインのないインターネットによってダウンロードされた音楽(曲)など、興味が半分奪われた商品でしかない。
これと同じことが、書店でも少なからず起きようとしている。
電子書籍というやつだ。
表紙のない本など、これは本ではないのにね。
インターネットによる音楽(曲)のダウンロードなどがその原因なのだろう。
これも時代の趨勢、と言ってしまえばそれまでなのだが、どうもそれだけではすまされない寂しさが付き纏う。
私としては、音を媒介するコンパクトディスクという商品は、そのジャケットデザインも含めて、ひとつのものとなるのである。
ジャケットデザインのないインターネットによってダウンロードされた音楽(曲)など、興味が半分奪われた商品でしかない。
これと同じことが、書店でも少なからず起きようとしている。
電子書籍というやつだ。
表紙のない本など、これは本ではないのにね。
2014年5月11日日曜日
キャンディークラッシュ
最近の気になるコマーシャルに、俳優、岡田准一と遠藤憲一の出演しているゲームのコマーシャルがある。
面白いのは「レストルーム編」というやつで、これは、かなりシュールなコマーシャルである。
トイレの中で遠藤憲一が扉に向かって言う。
「おい、岡田、てめえまさかオレを待たしてキャンディークラッシュやってるわけじゃあねえよな。」
そこへ、岡田准一が入ってくる。
結局、扉の中には別の人物が入っているのだ。
すると、遠藤憲一が扉に向かって、「オイ、キャンディークラッシュ野郎、お前岡田じゃなかったら岡田じゃないって言えよ。」
「誰だ、お前。」
「山本です。」
「しらねえよ。山本なんて。」
扉のなかには、山本という人物がいたのだった。
このコマーシャルで不思議なのは、「寸劇の行われるトイレが一体どのような場所にあるトイレなのか?(結構、ゴージャスなトイレだ。)」また、「ここに登場している岡田、遠藤、山本なる人物の仕事はなんだろうか?(服装をみると、どうも普通のサラリーマンには見えない。)」
「キャンディークラッシュ」は、世界で一日9300万人がプレイする人気のパズルゲームなんだと。
キャンディクラッシュのCMを見られた方レストルーム編 トイレの なんですが、 CMの中でお前誰だよ山本です知らねぇよ
面白いのは「レストルーム編」というやつで、これは、かなりシュールなコマーシャルである。
トイレの中で遠藤憲一が扉に向かって言う。
「おい、岡田、てめえまさかオレを待たしてキャンディークラッシュやってるわけじゃあねえよな。」
そこへ、岡田准一が入ってくる。
結局、扉の中には別の人物が入っているのだ。
すると、遠藤憲一が扉に向かって、「オイ、キャンディークラッシュ野郎、お前岡田じゃなかったら岡田じゃないって言えよ。」
「誰だ、お前。」
「山本です。」
「しらねえよ。山本なんて。」
扉のなかには、山本という人物がいたのだった。
このコマーシャルで不思議なのは、「寸劇の行われるトイレが一体どのような場所にあるトイレなのか?(結構、ゴージャスなトイレだ。)」また、「ここに登場している岡田、遠藤、山本なる人物の仕事はなんだろうか?(服装をみると、どうも普通のサラリーマンには見えない。)」
「キャンディークラッシュ」は、世界で一日9300万人がプレイする人気のパズルゲームなんだと。
キャンディクラッシュのCMを見られた方レストルーム編 トイレの なんですが、 CMの中でお前誰だよ山本です知らねぇよ
2014年5月10日土曜日
アーモンドグリコ
ここ数年の異常気象がやはり気になる。
他人(ひと)から「アーモンドグリコ」というキャラメルをもらった。
懐かしいキャラメルである。
発売は1955年なので、今から60年ほど前に初めて発売されたのだ。
(60年も生き残っているのだから、これはスゴイぞ。)
当時のキャッチフレーズが「一粒で二度おいしい。」
今考えると、ずいぶん面白いキャッチフレーズであるが、当時としてはずいぶん斬新なコマーシャルであったと思う。
1968年には、乳成分を増やした「女性用アーモンドグリコ」を作った。
それに伴いキャラメルの箱も、元来の「白」から女性用「赤」を作ったのだから、これもスゴイ。
2014年5月9日金曜日
合唱コンクール前哨戦
N西では来週「合唱コンクール」が行われる。
その前哨戦というのか、昨日のホームルームの時間に、三年生の各クラスがそれぞれ持ち歌を披露した。
三年生のクラスともなると、やはりどのクラスも上手であるのだが、なかでも芸術科クラスの歌は段違いであった。
指揮者が手をあげた瞬間に、空気が変わるのである。
(勿論、芸術科というのは、音楽専攻の生徒ばかりではない。
生徒の一部が音楽専攻なのだ。それは十分理解している。)
そしてピアノの伴奏が始まる。
このピアノへのタッチがまた違っている。
最初の一音で、聴く人間を引き付けるのだ。
専門というのはこういうことか、と妙に納得してしまうくらいの腕前。
将来、音を生業(なりわい)にしていく人間の表現する音なのである。
当たり前といえば当たり前だが、それにしても・・・・・である。
さあ、他のクラスも頑張ってね。
その前哨戦というのか、昨日のホームルームの時間に、三年生の各クラスがそれぞれ持ち歌を披露した。
三年生のクラスともなると、やはりどのクラスも上手であるのだが、なかでも芸術科クラスの歌は段違いであった。
指揮者が手をあげた瞬間に、空気が変わるのである。
(勿論、芸術科というのは、音楽専攻の生徒ばかりではない。
生徒の一部が音楽専攻なのだ。それは十分理解している。)
そしてピアノの伴奏が始まる。
このピアノへのタッチがまた違っている。
最初の一音で、聴く人間を引き付けるのだ。
専門というのはこういうことか、と妙に納得してしまうくらいの腕前。
将来、音を生業(なりわい)にしていく人間の表現する音なのである。
当たり前といえば当たり前だが、それにしても・・・・・である。
さあ、他のクラスも頑張ってね。
2014年5月8日木曜日
屁負い比丘尼
優雅に箏を奏でる写真に添える言葉には相応しくないが、先日「月曜から夜更かし」という番組の中で「屁負い比丘尼(びくに)」の言葉が出てきた。
昔、身分の高い家には、その家の妻女や娘に付き添って、放屁や過失などを自分の攻めとして負う役を持った者がいた。
それが「屁負い比丘尼」である。
妻女や娘が屁をする。
その時に、この「屁負い比丘尼」が登場して言うのだ。
「私がしました。不躾(ぶしつけ)なもので申し訳ありません。」
いやはや、大変な役である。
他人の失敗をすべて負うのである。
もっとも、ここには恐らく「失敗の責任を負う」ことへの対価が発生するのだろう。
それならまあ許せる。
でも、今の世の中、対価を伴わない「屁負い比丘尼」が多くはないかい。
昔、身分の高い家には、その家の妻女や娘に付き添って、放屁や過失などを自分の攻めとして負う役を持った者がいた。
それが「屁負い比丘尼」である。
妻女や娘が屁をする。
その時に、この「屁負い比丘尼」が登場して言うのだ。
「私がしました。不躾(ぶしつけ)なもので申し訳ありません。」
いやはや、大変な役である。
他人の失敗をすべて負うのである。
もっとも、ここには恐らく「失敗の責任を負う」ことへの対価が発生するのだろう。
それならまあ許せる。
でも、今の世の中、対価を伴わない「屁負い比丘尼」が多くはないかい。
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