明日からはいよいよ七月である。
今日の三島は三十三℃以上であったそうだ。
このくらいの温度になると、冷房が入っているとはいえ、さすがにダルさが優先してしまう。
特に、午後の授業は生徒もワタシもツライのです。
明日からはいよいよ七月である。
今日の三島は三十三℃以上であったそうだ。
このくらいの温度になると、冷房が入っているとはいえ、さすがにダルさが優先してしまう。
特に、午後の授業は生徒もワタシもツライのです。
このような時に、炎天下のテニスコートに立つことは「如何なものか」と思われるのだが、そこはそれ、普段から「如何なものか」ばかりしているワレワレ「老人集団」は、この状況でもテニスコートに立ったのです。
ワタシは果たして、いつまでこの集団についていけるのでしょうか。
全国的には猛暑日が続いているが、ワタシの家の現在の室温は、エアコンなしの二十九℃なので、過ごしやすいと言えそうだ。
夕方の情報番組を見ていると、アイスクリームの新しい食べ方を説明していた。まあ、説明というと大袈裟だが、なるほどと思ったものもあった。
ひとつは、アイスクリームに醤油をかけて食べるというもの。味はみたらし団子のようだと言っていたが、何となくわかるような気がする。
そしてもうひとつが、納豆を利用する食べ方。これは納豆の豆は使用せず、納豆をかき回したあとの、あのネバネバを使用するというもの。味は納豆臭さは感じられず、「のびるアイスクリーム」と言ったものらしい。
何れもチョイとやってみたい気はありますな。
一方、エアコンを入れなくても室温が二十八℃程度なので、比較的楽な御殿場、日本全体が、六月とは思えない暑さに襲われている昨今、御殿場に感謝である。
この暑さ、いきなり真夏への突入なのだろうか。
「自分がこの世にいなかった世界は、あんがい気持ちよかった」
これは俳人恩田侑布子の言葉であるが、そこには次のように書かれている。
検診中に「一過性健忘」を起こし、数時間後に気がついた時には、あの世から戻ったような気がした。死ぬとは「わたしと思い込んでいるちっぽけなあぶくがプチンとはじけるだけ」のことかと、俳人は思った。
ふーん、ワタシも以前「硬膜下血種」の手術を受けた時に、同様の印象を持ったことを覚えている。
実際、今見たニュース速報によると、群馬県の伊勢崎で40.1℃を記録したということであった。さらに、この気温は6月の国内気温観測において史上初だという。
ここ数年の異常気象からしてみれば、こんなことは予想されたことなんですかね。
下界の暑さから逃れて御殿場に帰ってくると、やはりホットする。
これからの御殿場は天国なのです。
来週から七月に突入、早いもので今年もすでに半分終わるのだ。
ここのところずっと紫陽花の写真を載せてきたのだが、紫陽花のことをチョイとしらべてみた。
紫陽花の一般的に花と言われている部分は、装飾化で、大部分が中性花からなり、4枚のガク片が大きく変化したもので、花弁状で目立ち、中央にある両性花は、極小で目立たないそうである。
写真では紫の部分は、実際花ではなく、ガクということになる。
どうみても花なのですがね。
久しぶりのテニスゆえ、帰宅しても身体の痛みは残っているが、それでもストレスの解消には十分役に立ったようだ。
最近特に世の中を騒がせているのが、多くの詐欺事件である。日本民族というのはここまで非道徳的(ワタシは道徳という言葉が好きではないが)になってしまったのか。
シカゴピザというピザがあるらしい。
シカゴピザとはその名の通り、アメリカのシカゴで人気のピザだという。分厚い生地の中に、たっぷりのチーズと具材が入ったピザだ。
深い器にたくさんの具材を詰め込むことから
Deep Dish Pizza (ディープ ディシュ ピザ )とか Stuffed Pizza (スタッフ ド ピザ)などと言うらしい。(Stuff=詰める)
ふーん、チーズたっぷりのピザかあ、是非食べてみたいものだ。
こんな時には無理やり詰めこもうとしても、その効果は極めてウスイ、かと言って授業を適当に受けさせるのも癪に障る。
まあ、こういう時にはあまり考えさせることはせずに、手作業を伴う授業に切り替える。
例えば、辞書を引かせるとか、助動詞を活用表から自動的に抜き出させるとか、やや単純だが考えることはせずに出来るのです。
そもそも、ワタシが高校生の時に教わったのは、「鎌倉幕府」とは1192年に源頼朝が「鎌倉」に開いた「幕府」というものであった。
しかしながら、新聞を読んでみると、現在では「幕府の成立年」について説が四つあり、「頼朝が鎌倉に入った」1180年、また「頼朝が行政・司法機関を設置した」1184年、さらに「頼朝が国地頭を設置した」1185年、そしてワレワレに馴染みの「頼朝が征夷大将軍に任命された」1192ということである。
これは「幕府」というものの「定義」を巡る学会での論議によるものだと言うが、近年の有力説は1185なのだと。
うーん、ワタシの1192(いい国つくろう頼朝サン)は、どこへ行ってしまったのだろうか。
それはそうと、ここ数日心の方が不調であり、何だかスカッとしない日が続いている。
その原因ははっきりせず、(はっきりしないから心の不調なのだろうが)早くこのコンディションから抜け出したいと思っているのです。
さすが若者、答えはすぐに出てきた。おまけに「勝たん=最高」という若者言葉は、もう古いことまで教えてくれた。
おおー、ワタシが流行りをしらないうちに、すでにその言葉は廃れてしまうのか。
ところで、彼に「勝たん」の「ん」は何だ?と質問すると、納得できる回答は返ってこなかった。このまま分からないのもシャクなので、授業の時に生徒にもこの問を投げかけた。
「勝たん」の「ん」は何だ?文法的に説明するとどうなる?
すると生徒達、いろいろ考えていたが、たぶんこうだろう発言が出た。
答え、「勝たん」の「ん」は打消しの助動詞「ぬ」の変化型ではないか。この変化型は「君が分からんはずはないだろう。」のように、口頭語として用いられる「ん」だ。
「勝たん」は大抵「しか」とセットになり、「しか勝たん」という言い方になる、例えば、「ビールしか勝たん」は「ワタシにとって最高なものはビールである。(ビールしか勝てない)」と、なるのであろう。
さて、コンビーフとは何か、あらためてネット検索をしてみる。
日本では一般に、塩漬けの牛肉をほぐして牛脂で固めた缶詰を「コンビーフ」と呼ぶが、本来は長期航海用や軍需品として使うための保存食料である塩蔵牛肉のことであるそのため欧米では、缶詰ではなくほぐした状態でもない、ブロック肉であることが一般的であるそうだ。
「corned」とは、岩塩を砕いた粒状の粗塩で肉を漬けることを意味する。これによってコンビーフの名称は牛肉100%の物のみに使用できることとなり、馬肉など他の肉が使われている物はコーンドミートと表記するように定められた。またコーンドミートの内、馬肉と牛肉が使われており、そのうちの牛肉重量が20%以上のものはニューコーンドミートもしくはニューコンミートと表記することが許可された。
そうそう、スーパーに行ってみると、確かに「コーンドミート」とか「ニューコーンドミート」とか何種類かあったような気がする。ワタシが購入したものは「ノザキのコンビーフ」というもので、牛肉・牛脂・植物油が原材料として表記されていた。
週に一度の運動する機会が奪われてしまうのは少々イタイのです。
昼過ぎから「ドコモのお店」まで携帯プランの変更に出掛ける。 これは良いチャンスだと、今まで疑問に思っていたことをいくつか聞いてみた。
第一の質問は、現在、固定電話を設置しているのだが、この契約をキャンセルすると、電話料金はどのくらい違ってくるのか?
答え 550円。
うーん、この金額だったら有事の時にも使用できる固定電話があった方が良いですな。
次に、遠方に電話する時には携帯と固定とどちらが安いか?
答え 同じ。
通話料金は、距離ではなく使用時間なんだと。
ふーん、昔は遠いところに電話すると、それだけ料金がかかったのですがね。あれは一体なんだったんだ。
このように、暑くなったり寒くなったりする年も珍しい(珍しいと思うのだが)。このまま日本は(いや地球は)異常気象で滅びていってしまうのだろうか。
そしてまた、この温度変化にジジイの身体は、十分に付いていけないのです。それだけ即座の対応力が鈍ってきているのでしょうね。
意味は「自分がもっとも好きなもの」に対して使う言葉であり、「○○が最高、○○に勝てるものはない」のような意味合いとして使用するそうである。
例えば、「から揚げ勝たん」は、食べ物の中でワタシは「から揚げが最も好きだ」という意味なのだろう。
ナゼこうなったのかは分からないが、おそらく「勝たん」の「ん」は、推量とか意志を表す助動詞なんだろうかね。
さらに、気力が充実しないと、体力までが何だかオカシクなってしまうのである。身体がなんとなく重く感じられるようだ。
人間というものは、やはり気力・体力が充実してこそ目標に向かって進めるのであって、今の状態では、チト進むことが出来ないのである。
例えば、「なお、あはれに情け深し」というフレーズがあると、口語訳は「一段としみじみと情趣が感じられる」となる。
ここで問題なのは、「しみじみとした情趣」とは一体何だろう、ということだ。
「情趣」を国語辞典で引くと、「そのものに接した人に感じさせる、ほのぼのとした良さ」とある。
うーん、これは難しいぞ。
「そのもの」が「人間」であったとしたら、「ある人間に接した時に感じる、ほのぼのとした良さ」を「情趣」などと言うだろうか。つまり、ここで言う「そのもの」とは、人間のことではなく「モノ」限定になるのだろうが、それとて、あまりにも「モノ」は多すぎる。
勿論、生徒にしてもここで言う「モノ」についてのイメージはあるのだろうが、これを具体的な「モノ」にしてしまうと、生徒もワタシも感じ方の差異により、泥沼に一歩踏み込むことになるのである
うーん、これは難しいぞ。
木曜日ゆえ午後からの授業であった。 午後からの授業というのは、聊か問題がある。何が問題かというと、それは昼食のタイミングだ。
家で早めの昼食をとるには早すぎる時間で昼食を食べねばならず、かと言って職場に到着してからの昼食では遅すぎるのである。
まあ、これは普段の昼食時間と比べてのことなので、自分の意識さへ変えれば良いのだが、これがなかなか出来ないのです。
というのも、ワタシの知る限り、このブログの閲覧者(いつも見ていただいて感謝申しあげます。)が、高校生から後期高齢者までということで、かなり大きい年齢幅を持っているからである。
この幅は、発信のポイントがかなり異なってしまうことを意味するのだが、さらに考えてみると「そんな小さなことは、どうでもいいではないか。」という声も聞こえてくるのである。
おおー、何はともあれ、言いたいことを言うことにしよう。
そう言えば、一年生の教科書に掲載されている「伊勢物語」の「東下り」の中には、主人公が東国に下る途中に、静岡県で(たぶん現在の富士市)富士山を見る箇所がある、
そこで主人公の男が「季節を知らない山は富士の山」と驚く。この男は「五月のつごもり」と言っているので、今にしてみれば六月から七月あたりに富士山をみたのだろう。
ホントウニ、今日の雪うをみると、「季節を裏切る山」が富士山なのである。」の感が強くなるのである。
これは現在のロシアとウクライナの戦争にも関連することだと思うが、一部記事を抜粋してみる。
「国土と戦友を作戦の犠牲にし、なお且つ死者たちと『大いなる愛』で結ばれる。そこにロシアのすごさとおぞましさがある。第二次世界大戦、旧ソ連は二千数百万人もの犠牲者を出しつつ、勝利した。ウクライナ侵攻ではロシアの形勢不利が伝えられているが、そう簡単に勝利をあきらめるとは思えない」
ロシアにはこのような過去があるのだ。
悲しいことだが、戦況が不利だろうと世界から批判されようと、ロシアという国は理想に向かって突き進むのである。
おかげで、額からは滴る汗、一刻も早く涼しい御殿場に帰りたくなったのである。
一昨日から写真の解説をしていなかったのであるが、今日までの三枚の写真はいづれもT高校の「体育祭の華」である女子生徒による「よさこい踊り」である。
この踊りは中学校でもやるところがあるそうだが、やはりインパクトのある踊りである。
何と言っても衣装がスゴイのです。
天気予報では凡そこのような予報をしていたので、今回は予報通りだったのかもしれない。
しかしながら、この時期の天気予報は、おそらく「気象予報士泣かせ」なのだろう。前線が上がるか下がるかによって、きっと目まぐるしく予報は変わっているのだろうから。
四年目で初めてと言っても、ここのところ「コロナ騒動」のために、どこの学校でも体育祭や文化祭は正常に行なわれておらず、T高でも久しぶりの体育祭であったということだ。
T高のメイン競技は、女子が「よさこい踊り」と男子の「徒体操」だという。両方とも体育の時間にに練習、いわばここがその発表の場であるそうだ。
やはり、若者の躍動する姿は、観ていて清々しい。ワタシなんぞはトウノムカシに失ってしまった姿だ。
御殿場は午後に雷雨あり。幸いなことに雷も雨もたいしたことはなかったが、高原地方にはよくあることなので、これからも注意せねばである。
以前、同様の「ド根性大根」というのが話題になったが、それに従うとこれは「ド根性マーガレット」なのだろうか。
水曜テニスをやったのだが、肩の方は「良くもならないし、悪くもならない」と言ったところか。
もう、半年近くたったのになあ。