2019年9月30日月曜日

オーロラ

山形県の名産品の果物の中に「ラ・フランス」という西洋梨があるのだが、今回の山形行きでは、「オーロラ」という西洋梨を見つけた。
「オーロラ」は「ラ・フランス」などよりも一足早い9月頃から出回り始める早生種の洋梨である。
味は、「ラ・フランス」をもう少し上品にした感じだ。

「オーロラ」の歴史を紐解くと、1950年にアメリカ・ニューヨーク州ニューヨーク州立農業試験場において「マルゲリト・マリーラ」と「バートレット」の交雑実生から選抜され、1964年に命名されたた品種で、日本へは1983年に導入されたということである。
さらに、オーロラの果実は300~400gと大きめで、どっしりとした下膨れの形をしている。

今回「オーロラ」を発見した時も、いつも見ている「ラフランス」とは色も形も違っており、どっしりした形が特徴的であった。

ひとくちに「洋梨」といっても、その種類は、プレコース、バートレット、ブランデーワイン、セニョール・デスペラン、マルゲリット・マリーラ、ラ・フランス、コミス、ゼネラル・レクラーク、セニョール・デスペラン、ル・レクチェなどがあるという。

うーん、素人ではとても覚えきれないなあ。

2019年9月29日日曜日

ちくわパン

「ちくわパン・ツナ」を食べた。

この間スーパーに行くと、パンを陳列してある棚で、このパンがワタシの方をジーッと見て、「どうか試しておくれ」と言っていたのだ。
「エーッツ、なんでちくわだよ」と思いながらも、その意表をつく組み合わせに、思わず購入してしまったのである。

なんでも「ちくわパン」というのは、北海道が始まりということで、北海道に行けば当たり前のように販売しているとのことである。
「そうか、知らんかったなあ」。

さて、実食であるが、このちくわパンには「ちくわパン」の字の横に、「ツナ」という字が入っている。
これは「ちくわ」の「穴」の中に、「ツナとマヨネーズ」が入っているということだ。
まあ、ツナマヨネーズはサンドイッチにも普通に見られるので、「ツナマヨネーズ+ちくわ」の組み合わせには、それほどの違和感はなかった。
ただ、「もう一度このパンを食べたいか」と聞かれれば、「うーん」と言ってしまうでしょうね。


2019年9月28日土曜日

奇跡ではない。

奇跡がおきた。
と、テレビニュースは告げていたが、今日のラグビー・ワールドカップ、対アイルランド戦は奇跡ではなかった。
すなわち、ラッキーで勝てたのではなかったのだ。
なんてったって、FW戦で負けていなかったのだから。

今までの日本FWは、その体力差からくるマイナスイメージの強いスクラムしか組めなかったのだが、今日のそれは違っていた。
アイルランドに押されても、一歩も引き下がらないスクラムだったのだ。

思えば、今から三十年以上前のF高に在職していた時に、ラグビー好きの同僚から誘われて、国立競技場まで行って大学ラグビーの早明戦を観たのがラグビー観戦の始まりであった。

まさか、このような日が来るとはね。



2019年9月27日金曜日

金曜日はヘロヘロ

金曜日はヘロヘロ。

週の最後を飾る授業ともなると、最後なので口先はナメラカであるのだが、身体の方はジジイゆえヘロヘロとなる。

それはまるで、ウルトラマンの胸についている「もう少しでくたばるランプ」がピカピカ点滅しているような状態なのである。

昨夜、久しぶりにユーチューブの「ネットサーフィン」というべきものをした。
昨夜は「勝手にフュージョン特集」、英国のフュージョンバンド、シャカタクの「ナイト・バーズ」から始まって、米国ジャズクルーセーダーズの「スクラッチ」まで。
聴いていると、1970年から1980年頃の自分が思い出された。




2019年9月26日木曜日

木曜日のダメージ

身体も頭も一番シンドイのが木曜日である。
特に今年は、身体にダメージを受ける水曜テニスの翌日が、午前ニ時間、移動して午後ニ時間授業をやらなければならないということで、極めてシンドイ木曜日なのである。
ただ、救いはG南の生徒もT徳の生徒も、皆とても気持ちの良い生徒たちであり、実に気分よく授業ができるのである。


北海道では気温が0℃を切っているし、霜も降りているそうである。
いよいよ冬始まりか。







2019年9月25日水曜日

ラジオ体操

久しぶりの水曜テニスであった。
まだ多少暑さはあるが、一時のジリジリするような日差しは流石に無くなって、心地よい風さえ感じられる。

この間のテレビ番組で、「ラジオ体操は、何故第一と第二があるの?」の問いが出されていた。
答えは「第一は子供から大人まで想定したものであり、第二は若者を想定したもの」であった。
つまり、第二は第一よりもより激しい運動となっているということである。
因みに、ラジオ体操には第三というのもあり、これはより激しい運動である。

そう言えば、(何故そうなったのか分からないが)小学校時代にワタシは、全校生徒の前で「模範」だということで演技をさせられたことがある。
そんなに「上手い」という意識は、なかったような気がするのですがね。

2019年9月24日火曜日

ねびゆかむさま

今、授業をしている源氏物語「若紫」の中に、次のような場面がある。
源氏が療養のために訪れた京都北山の地で、可愛らしい少女を見つけるシーン、
そこには、このように書かれている。

「ねびゆかむさまゆかしき人かな、目とまり給う。」
訳はこうだ。
「ねびゆかむさま」とは、「成長してゆく様子」、「ゆかしき人」とは「見てみたい人」。
つまり、「これから成長していく様子を、見たい人だなあと(源氏は)目がとまりなさる。」となる。

すごいね。
十八歳の源氏が、十歳前後の少女を見て「おおー、この女の子は将来とんでもない美人になるぞ、これから先を是非見たいものだ」と、思うのだ。
果たして、源氏はこの女の子を自分で引き取り育て、自分の妻にしてしまう。
十八歳と十歳ですぞ。

2019年9月23日月曜日

祭り

いきなり妙な写真が登場してしまった。

これは山形県上山で観た(何という祭りか失念してしまったが)行列を伴うお祭りなのである。

上山という所は、いわゆる城下町なので、おそらく京都でいうところの「時代まつり」のような祭りではないかと思うのだが、正確な行列名は分からない。

目の前に、「非日常の世界」が現出すると、人間結構焦ってしまって、カメラの焦点もままならないのである。

2019年9月22日日曜日

アフォーダンス理論

この間、アフォーダンス理論という言葉を耳にした。
ウィキペディアでは次のように記されている。

アフォーダンスは、動物(有機体)に対する「刺激」という従来の知覚心理学の概念とは異なり、環境に実在する動物(有機体)がその生活する環境を探索することによって獲得することができる意味/価値であると定義される。
アフォーダンスの概念の起源はゲシュタルト心理学者クルト・コフカの要求特性(demand character)の概念、あるいは同じゲシュタルト心理学者クルト・レヴィンの誘発特性(invitation character)ないし誘発性(valence)の概念にあるとギブソンは自ら述べている。

この文面では何を言っているのかよく分からないが、簡単に言うと、アフォーダンス(affordance)とは、環境が動物に対して与える「意味」のことだという。
アフォーダンスは、物をどう取り扱ったらよいかについての強い手がかりを示してくれるのだと。
例えば、ドアノブがなく平らな金属片が付いたドアは、その金属片を押せばよいことを示している。逆に、引き手のついたタンスは、引けばよいことを示している。これらは、体験に基づいて説明なしで取り扱うことができる。

初めて接することでも、体験があれば何とかなるということか。


2019年9月21日土曜日

蔵六面

蔵六面。
今回、上山で入った蕎麦屋の鴨居に飾ってあった和紙で作った面である。
なかなか面白い風合いがあるので、ワタシもかつて購入している。

上山は昔は和紙の里であったが、張子づくりはいなかったそうだ。
「それはつまらん」と昭和53年から初代の木村蔵六が、昔ながらの手漉き和紙を使い手張りで様々な張子(はりこ)のお面や人形を作り始めた。
蔵六(ぞうろく)と言う名は、初代蔵六が、幕末の軍師・大村益次郎(別名 蔵六)の『物事をフェアに見、合理的に考え、かつ心はそれとは別に偏っても良いとし、田舎をひいきし、自分で決めた上下や価値などなく、自身で決める。』考えに感銘を受け、『蔵六』には『六つの宝を蔵してる』事、万年生きる吉祥の代表である亀の事もそう呼ぶことから名付けられた。
現在は息子の二代目蔵六が張子づくりを継いで、父の意思を継ぎながら、自由な発想で、今の時代や生活に合わせた張子を考えながら、こつこつと作っているそうである。

2019年9月20日金曜日

ツッコミ

昨日、ブログに「海のない山形県」と書いたところ、新潟の友人から早速のツッコミがあった。

これはウッカリしていたわい。
山形県には、酒田という立派な港町があるではないか。
以前、酒田の「土門拳記念館」に出掛けたこともあるのだ。(土門拳は日本が世界に誇るな写真家である。)
完全にワタシの勘違いだ。

まあ、それにしても持つべきはツッコミ友人である。
これからもチェックをヨロシクね。


2019年9月19日木曜日

カニ

カニである。

どういうわけか、海から離れた山形県の上山でタラフク蟹を食べることができた。
カニの種類はズワイガニ。

ズワイガニは10本の長い脚が特徴であるそうだ。
甲羅は約14cm程度のサイズで、大きなオスであれば脚を広げると約70cmほどで、メスはオスの半分くらいのサイズであるという。
したがって、市場に出回っているのはほとんどがオスとなる。
 メスは産卵を短期間で繰り返す途中で成長が止まることから、サイズの違いが生じているのだそうだ。
また、漁師の間ではオスのズワイガニを越前ガニ・松葉ガニ、メスをメガニ・オヤガニなど違う呼び方で区別しているケースも多い。
生息地域は、日本海・北太平洋・オホーツク海などの深海で、日本では北海道や兵庫県漁獲量が多く、冬の味覚として非常に有名であるという。

2019年9月18日水曜日

案山子祭り

上山には昔から「案山子祭り」というユニークな祭りがあって、これがなかなか面白い。

かつては「案山子」を中心にして、その周りに出店があり、だいぶ賑わったそうである。
しかしながら、最近では日本のあちらこちらに「案山子祭り」なるお祭りが登場してきて、上山の祭りも、だんだん影が薄くなってしまっているそうだ。

2019年9月17日火曜日

蔵王遠望

写真の奥にある山は、上山市街から見た「蔵王」である。
ワタシの意識する「山」というものは、富士山のような、単体の山であるのだが、この「蔵王」や「月山」などは、どこからどこまでが「蔵王」や「月山」なのか、あまりにも大きすぎて、よく分からない山である。

上山(かみのやま)と言えば、アララギ派の歌人「斎藤茂吉」の生まれ育った地であるが(茂吉の家=守谷家は小学校卒業後に進学するだけの経済面の余裕が無く、茂吉は、画家になるか寺に弟子入りしようかと考えたが、東京・浅草で医院を開業するも跡継ぎの無かった同郷の精神科医、斎藤紀一の家に養子候補として厄介になることとなった)、茂吉の歌には次のようなものがある。

朝な夕なこの山見しがあまのはら蔵王の見えぬ処(ところ)にぞ来(こ)

2019年9月16日月曜日

蔵王

金・土・日とブログがストップしてしまった。
理由は故あって、山形県までの旅行をしたからである。

写真は山形県と宮城県の県境にある「蔵王」のお釜である。
冬は美しい樹氷で有名な「蔵王」であるが、現在はチョイト荒々しい姿を見せている。
まるで、「賽の河原」を想像させるような荒涼とした風景が広がっていた。

2019年9月12日木曜日

タピオカミルクラーメン

昨日までの暑さはどこへやら、今日は一転して涼しい夜となった。

現在の気温が25℃、31℃の一昨日からは、一気に6度も下がった。
そのせいかどうか、外からは虫の声も聴こえる。
今日はイキナリ秋か?

ナンでも「タピオカミルクラーメン」というものがあるそうだ。
いくらタピオカブームでもここまで来ると、口がアングリである。
もっとも今日昼のテレビ番組で、納豆に牛乳を入れて美味そうに食べている外国人がいたので、意外と「タピオカミルクラーメン」も、アリなのかもしれない。

2019年9月11日水曜日

水曜テニス

久しぶりの、というか、約ひと月ぶりの水曜テニスであった。
御蔭で、身体のあちらこちらがキシムように痛い。

ここ何日かは異常に暑い日が続いており、今日の愛鷹テニスコートには人影も疎らであった。
やはり、老人にとって暑い日のテニスは極めて危険なのです。

2019年9月10日火曜日

風がない。

午後の八時になっても室内温度は三十℃を超えている。
なんという暑さ。

その理由のひとつは、無風であること。
風がちっとも吹いていない。
おまけに湿度が高い。
これでは暑いはずである。

何を今更であるが、やはり、日本も異常気象時代に突入したのだ。
写真は何年か前に、沼津の富士に近いお寺で撮影した「蓮の花」である。
蓮は、このピンクが何とも言えない良い色なんですよね。

2019年9月9日月曜日

スティービー・ワンダー

テレビのクイズ番組を観ていると、葉加瀬太郎が選ぶ「昭和・平成時代、世界の音楽シーンに影響を与えた音楽家は?」という特集をしていた。

まあ、個人が選ぶ音楽家なので、それなりの偏りはでてくるのだろうが、なんと、その第二位には多くの解答者の意表をついて、盲目のミュージシャンであり作曲家の「スティービー・ワンダー」が挙げられていたのである。
一位は誰もが予想できる「ビートルズ」なのであるが、その次に「スティービー・ワンダー」がくるとは。

1950年生まれのスティービーは、ワタシとほぼ同年代のミュージシャンである。
黒人特有の強烈なビートと極めてお洒落なメロディーを融合させた曲は、それまでにまったく聴いたことのない曲であり、ワタシもショックを受けたことを覚えている。
特に1972年の「迷信(SUPER STITION)」は印象的な曲だ。

番組を観ていると、何度も何度もこの曲を聴いた当時が蘇ってきてしまった。




2019年9月8日日曜日

台風十五号

台風十五号が近づいている。

予報によると、「気象庁は8日午前、台風15号の接近・上陸により、関東甲信と静岡県では8日夜から9日昼前にかけ、記録的な暴風となり、猛烈な雨が降る恐れがあると発表した。」とある。

現在、時間は十七時半であるが、まだそれほど雨風は見られない。
しかしながら、予報の見出しが「記録的暴風、猛烈な雨の恐れ」とあるので、予断は許さないであろう。

2019年9月7日土曜日

残暑

相変わらず残暑が続く。

富士川のカフェまで写真展の案内に出かける。
また、富士川からの帰り道はだいぶ遠回りをして、富士宮から朝霧高原まで足を延ばす。
最近あまり長距離の運転をしていなかったので、今日の運転はかなり疲れた。

その疲れにさらに追い打ちかけるように、夜は中学時代の仲間の同窓会。
イヤハヤ今日の予定はタイト過ぎたか。

2019年9月6日金曜日

グリンピース

残暑という言葉がぴったりの本日であった。
しかしながら、さすがに九月。
夜になると、以前のような蒸し暑さからは解放され、現在の御殿場の気温は室内で、二十八℃である。

数日前のテレビ番組で、シュウマイからグリンピースが消えたのはなぜかということ取り上げていた。

答えはこうである。
実は冷凍食品やデパートの食品売り場で販売されるシュウマイのグリンピースは、もうかなり前から無くなっており、シュウマイの上のグリンピースというのは、我々の幻想であると。
では何故グリンピースの幻想が我々にあるのかというと、それは食品サンプルのイメージなのだそうだ。
へー、知らんかった。

2019年9月5日木曜日

スポーツデイ

スポーツデイというか何というか、サッカーのパラグアイ戦とバスケットのアメリカ戦があった。

バスケットの方は、明らかに実力の差があり、大人と子供の試合のようであった。
まあ、本来であればこの場(アメリカと試合ができる)にいること自体が奇跡のようなものなんだろうから仕方がない。

一方、サッカーの方は南米パラグアイに二対零で勝利する。
日本のサッカーも、国外でプレイする選手が多くなって、確実にレベルが上がったような気がする。


2019年9月4日水曜日

透かさない「秋明菊」

N西まで写真展のDMを届けに行く。
本来ならば職員室に上がり込んで、いろいろ話をしてくるのだが、今日は何となく気が向かず、事務室にDMを置いてくるのみとなった。

水曜は午後より水曜テニスのある日なのだが、本日は三名しか参加できずということで、水曜テニスは消滅してしまった。
週に一度のワタシの運動日であったのになあ、残念である。

写真は「秋明菊」ナンバーフォー。
前の三枚は透かし「秋明菊」であったのだが、今回は透かさない「秋明菊」である。
この花、「透かす」写真と「透かさない」写真とではエラク異なるのである。

2019年9月3日火曜日

夜になって雨

夜になって雨。
昼間は蒸し暑く、晴天ではあったがジトジトした感じであった。
しかしこれが、夜になると一転して激しい雨。
ここは東南アジアの、どこかの国となってしまったのだろうか。

二学期になって初めての、「移動を伴う午前・午後授業」。
これがジジイとってはキツイのです。
身体が慣れるまでは、当分修行の毎日ですな。



2019年9月2日月曜日

秋明菊②

秋明菊をウィキペディアで検索してみた。

シュウメイギク(秋明菊、学名:Anemone hupehensis var. japonica)とは、キンポウゲ科の植物の一種。別名、キブネギク(貴船菊)。名前にキクが付くが、キクの仲間ではなくアネモネの仲間である。

へー、アネモネの仲間なんだ。
また次のようにも書かれている。

中国から古い時代に入ってきた帰化植物である。
文献上では「花壇綱目」に「秋明菊」の名前で記載が成れていて、日本に定着していたことが窺える。
中国では明代末の「本草綱目」には記載はなく「三才図会」に「秋牡丹」の名前で記載されるようになる。
「秋牡丹」の呼称は貝原益軒も「大和本草」で使用している。
以後日本の園芸書には「秋明菊」「秋牡丹」で紹介されることが多くなり、「しめ菊」「紫衣菊」「加賀菊」「越前菊」「貴船菊」「唐菊」「高麗菊」「秋芍薬」などの多様な別名で呼ばれることになった。

うーん、参考になりました。

2019年9月1日日曜日

秋明菊

以前、写真に撮った花(右の写真)の名が分からくて、チョイト苦労をしてみた。

写真に撮ってある花の名を調べるには、まず、その花がいつ頃咲くかを知る必要がある。
幸い、デジタルカメラで写真を撮ると、撮影日時がデータとして入っているので、いつ咲いているかは知ることが出来る。

咲く時期を特定できれば、そこからはインターネットの花図鑑とニラメッコ。
同じ姿カタチを発見すれば、それで解決である。
世の中、便利になったものだ。

まあ、このくらいの苦労であれば次回もしてみよう。

因みに、花の名は「秋明菊」でした。