以前書いたように、このお寺の石仏は三十三体仏だ。
ナンデ三十三体なのかということに疑問を持ったワタシはさっそく調べてみた。
これは、三十三観音・三十三間堂(京都にある)共に法華経の普門品(観音経)に説かれる観音菩薩の「三十三応現身」に由来しているのだという。
観音菩薩が三十三の姿に変化してあらゆる衆生を救ってくれるというもので、日本ではそれを発展させて独自に三十三観音を生み出すなど、とても人気があったのだそうだ。
では何故三十三に変化すればすべての衆生を救うことが出来ると考えられたかと言うと、一説にはヒンドゥーの世界観などを見てもわかるように、古代インド人にとって「三」は神聖な数字であると共に「多数」を意味するものでもあったということがある。
一つで「多数」を意味する「三」を重ねた「三十三」は数え切れぬほど多い、つまり無限をあらわすことになると言われたのだそうだ。
ふーん、そういうことか。
0 件のコメント:
コメントを投稿