「どうしようもないわたしが歩いている」
山頭火の真骨頂とでも言うべき句である。
昭和9年5月22日の日記。
「煩悩執着を放下することが、仏道修行の目的である。しかも修行しつつ、煩悩執着を放下(ほうか・・・・悟りを開き万事を投げ捨てる意)してしまうことが、惜しいやうな未練を感ずるのが人情である、。言い換えると、煩悩執着がなくなってしまえば、生活一人生ー人間そのものがなくなってしまうやうに感じて、放下したくないやうな弱い気を起こすのである。」とあった。
煩悩がなくなったら、人間ではなくなってしまう。
失敗がなくなったら、人間ではなkなってしまう。
酒を飲んでは失敗する破壊的な生活を繰り返す中から生まれた句でもある。
ところで、一昨日の「は」の字日記に、唐黍が「ぶる下げられている」と書いたところ、新潟の友人から「ぶる下げる」は、おかしいとの指摘を受けた。
確かに「ぶる下げる」なんてえ言葉は辞書には載っていない。当然「ぶら下げる」と書くべきなのであろう。
しかしながら、「ぶる下げる」という言葉、私には違和感がないのだ。
仕方がないので、ネットで調べたところ、「ぶる下げる」とは、どうも方言らしい。
しかも東京の方言とある。
そうか、「ぶる下げる」は方言かと、あらためて認識をしたのだが、「でも東京の方言だよね、東京の言葉は、ほぼ標準語だよね。」と、開き直る私でもあった。
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