「おとはしぐれか」
「あの音は時雨か」である。
書の方は木片に書いている。
たまたま気に入った木片が見つかったので、これを活かすべく、作ったそうだ。
写真は長野県にある地獄谷野猿公苑のニホンざるである。
N東の高原教室に付き添った際、怪我をしたり、体調不良の生徒を引率して、この公苑に行った。
ここのサルは餌付けされているので、、近寄っても逃げてはいかない。
おそらく写真のサルは頭か何かを掻いているのだろうが、いかにも耳をすましているように見えた。
「おとはしぐれか」
である。
2014年10月7日火曜日
2014年10月6日月曜日
「見あぐればまうへ飛行機の空」
「見あぐればまうへ飛行機の空」
山頭火の句にしては、ずいぶん明るい、そしてモダンな句である。
そこで、句のイメージをそのままに、写真も思い切って明るくモダンにしてみた。
一昨年のN西マラソン大会に、カメラを持って出かけたところ上空をジェット機が通過して行った。
雲ひとつない空には飛行機雲。
一番上がオリジナルの写真であるのだが、それをパソコンにより加工したものである。
パソコンで加工しないことをモットーにしてきた私であるが、これが意外と好評で、これはこれでいいかと、すぐに宗旨がえを宣言してしまったのである。
さて、最初に明るくモダンと言ってしまったのであるが、よくよく考えてみると、山頭火がこの句を作った時代にはジェット機など存在するはずはなく、おそらく空を飛んでいたのは、ゼロ戦かなにかの戦闘機なんだろう。
どちらかと言えば暗い句だったのかもしれない。
まあ、それはそれ、これはこれと考えて、これで良いことにしよう。
山頭火の句にしては、ずいぶん明るい、そしてモダンな句である。
そこで、句のイメージをそのままに、写真も思い切って明るくモダンにしてみた。
一昨年のN西マラソン大会に、カメラを持って出かけたところ上空をジェット機が通過して行った。
雲ひとつない空には飛行機雲。
一番上がオリジナルの写真であるのだが、それをパソコンにより加工したものである。
パソコンで加工しないことをモットーにしてきた私であるが、これが意外と好評で、これはこれでいいかと、すぐに宗旨がえを宣言してしまったのである。
さて、最初に明るくモダンと言ってしまったのであるが、よくよく考えてみると、山頭火がこの句を作った時代にはジェット機など存在するはずはなく、おそらく空を飛んでいたのは、ゼロ戦かなにかの戦闘機なんだろう。
どちらかと言えば暗い句だったのかもしれない。
まあ、それはそれ、これはこれと考えて、これで良いことにしよう。
2014年10月5日日曜日
「てふてふひらひらいらかをこえた」
「てふてふひらひらいらかをこえた」
この句も山頭火の代表的な句である。
昭和10年の日記には「死に場所を求めて旅に出る」と書いている。
旅は、甲州路・信濃路から平泉、さらに日本海側に移動、日本海に沿って福井永平寺に到着。
そのときの句に
・てふてふひらひらいらかをこえた
・水音のたえずして御仏とあり
・法堂あけはなつ明けはなれてゐる
がある。
「僕としては一つの関をくぐりぬけたと思う」と日記にあり、これまで死に場所を求めて旅をしていた山頭火は、ここで生きることについて
考えるようになった。
関をくぐりぬけた心境のもっとも表れている句が「てふてふ」の句なのである。
書では「てふてふ」の軌道を意識して表現したという。
私の写真では「いらか」を中心に表現してみた。
言ってみれば、ふたつをワンセットにして山頭火の句を表現したみたのである。
この句も山頭火の代表的な句である。
昭和10年の日記には「死に場所を求めて旅に出る」と書いている。
旅は、甲州路・信濃路から平泉、さらに日本海側に移動、日本海に沿って福井永平寺に到着。
そのときの句に
・てふてふひらひらいらかをこえた
・水音のたえずして御仏とあり
・法堂あけはなつ明けはなれてゐる
がある。
「僕としては一つの関をくぐりぬけたと思う」と日記にあり、これまで死に場所を求めて旅をしていた山頭火は、ここで生きることについて
考えるようになった。
関をくぐりぬけた心境のもっとも表れている句が「てふてふ」の句なのである。
書では「てふてふ」の軌道を意識して表現したという。
私の写真では「いらか」を中心に表現してみた。
言ってみれば、ふたつをワンセットにして山頭火の句を表現したみたのである。
2014年10月4日土曜日
「歩きつづける彼岸花咲きつづける」
「歩きつづける彼岸花咲きつづける」
写真の彼岸花は、背景が白い雲である。
白い雲を背景にした彼岸花は映える。
いささか露出オーバーぎみにしてみた。
昔近所に住んでいたKさん一家、次女のAさん久しぶり。
G南のKさん、いつもありがとう。
写真展の同志S先生、国語科の同志だったW先生ありがとう。
沼津朝日を見てやって来てくれたIさん、ご苦労さまでした。
そして本日の最後のお客、Tさん遠くからありがとう。
今日も大勢の人に見ていただいて、感謝、感謝である。
写真の彼岸花は、背景が白い雲である。
白い雲を背景にした彼岸花は映える。
いささか露出オーバーぎみにしてみた。
昔近所に住んでいたKさん一家、次女のAさん久しぶり。
G南のKさん、いつもありがとう。
写真展の同志S先生、国語科の同志だったW先生ありがとう。
沼津朝日を見てやって来てくれたIさん、ご苦労さまでした。
そして本日の最後のお客、Tさん遠くからありがとう。
今日も大勢の人に見ていただいて、感謝、感謝である。
2014年10月3日金曜日
「誰か来さうな雪がちらほら」
「誰か来さうな雪がちらほら」
書に使用した墨は、何でも年代モノであるらしい。
古墨でなければ微妙なぼけが出てこないのだと。
へぇー、素人にはよく分からないところだね。
写真の方は、ちょいと分かりにくいが、うっすら積った雪の上に足跡がついている状態を撮ったものだ。
山頭火は、ちらほら降り出した雪によって、誰かが来るのではないかと、予想しているのだろうか。
書に使用した墨は、何でも年代モノであるらしい。
古墨でなければ微妙なぼけが出てこないのだと。
へぇー、素人にはよく分からないところだね。
写真の方は、ちょいと分かりにくいが、うっすら積った雪の上に足跡がついている状態を撮ったものだ。
山頭火は、ちらほら降り出した雪によって、誰かが来るのではないかと、予想しているのだろうか。
2014年10月2日木曜日
「どうしようもないわたしが歩いている」
「どうしようもないわたしが歩いている」
山頭火の真骨頂とでも言うべき句である。
昭和9年5月22日の日記。
「煩悩執着を放下することが、仏道修行の目的である。しかも修行しつつ、煩悩執着を放下(ほうか・・・・悟りを開き万事を投げ捨てる意)してしまうことが、惜しいやうな未練を感ずるのが人情である、。言い換えると、煩悩執着がなくなってしまえば、生活一人生ー人間そのものがなくなってしまうやうに感じて、放下したくないやうな弱い気を起こすのである。」とあった。
煩悩がなくなったら、人間ではなくなってしまう。
失敗がなくなったら、人間ではなkなってしまう。
酒を飲んでは失敗する破壊的な生活を繰り返す中から生まれた句でもある。
ところで、一昨日の「は」の字日記に、唐黍が「ぶる下げられている」と書いたところ、新潟の友人から「ぶる下げる」は、おかしいとの指摘を受けた。
確かに「ぶる下げる」なんてえ言葉は辞書には載っていない。当然「ぶら下げる」と書くべきなのであろう。
しかしながら、「ぶる下げる」という言葉、私には違和感がないのだ。
仕方がないので、ネットで調べたところ、「ぶる下げる」とは、どうも方言らしい。
しかも東京の方言とある。
そうか、「ぶる下げる」は方言かと、あらためて認識をしたのだが、「でも東京の方言だよね、東京の言葉は、ほぼ標準語だよね。」と、開き直る私でもあった。
山頭火の真骨頂とでも言うべき句である。
昭和9年5月22日の日記。
「煩悩執着を放下することが、仏道修行の目的である。しかも修行しつつ、煩悩執着を放下(ほうか・・・・悟りを開き万事を投げ捨てる意)してしまうことが、惜しいやうな未練を感ずるのが人情である、。言い換えると、煩悩執着がなくなってしまえば、生活一人生ー人間そのものがなくなってしまうやうに感じて、放下したくないやうな弱い気を起こすのである。」とあった。
煩悩がなくなったら、人間ではなくなってしまう。
失敗がなくなったら、人間ではなkなってしまう。
酒を飲んでは失敗する破壊的な生活を繰り返す中から生まれた句でもある。
ところで、一昨日の「は」の字日記に、唐黍が「ぶる下げられている」と書いたところ、新潟の友人から「ぶる下げる」は、おかしいとの指摘を受けた。
確かに「ぶる下げる」なんてえ言葉は辞書には載っていない。当然「ぶら下げる」と書くべきなのであろう。
しかしながら、「ぶる下げる」という言葉、私には違和感がないのだ。
仕方がないので、ネットで調べたところ、「ぶる下げる」とは、どうも方言らしい。
しかも東京の方言とある。
そうか、「ぶる下げる」は方言かと、あらためて認識をしたのだが、「でも東京の方言だよね、東京の言葉は、ほぼ標準語だよね。」と、開き直る私でもあった。
2014年10月1日水曜日
「つきあたってまがれば風」
「つきあたってまがれば風」
道の突き当たりを曲がると、そこには風。
不思議な句である。
風は心地の良い風であろうか?
それとも厳しい風であろうか?
山頭火の乞食の旅からすれば、この風は後者なのであろうが、私にはどうしてもそうは思えない。
もう少し、からっとした明るい感じの風のような気がする。
写真はN東の一年生が夏に行なう海浜教室で、
遠泳のシーンである。
手前は、それを見守るライフセイバー。
左手を挙げて、合図を送っているのだが、これが何となく「つあたってまがれば風」なのである。
道の突き当たりを曲がると、そこには風。
不思議な句である。
風は心地の良い風であろうか?
それとも厳しい風であろうか?
山頭火の乞食の旅からすれば、この風は後者なのであろうが、私にはどうしてもそうは思えない。
もう少し、からっとした明るい感じの風のような気がする。
写真はN東の一年生が夏に行なう海浜教室で、
遠泳のシーンである。
手前は、それを見守るライフセイバー。
左手を挙げて、合図を送っているのだが、これが何となく「つあたってまがれば風」なのである。
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