今年の金曜日は週休日である。月・火・水・木と仕事をして、金・土・日と休む。理想的な過ごし方だなとワクワクしながら金曜日を迎えたのであるが、これが意外と悲しい。だいたい、平日の午前中に外を歩いている人をよく見てみると、ほとんどが老人なのである。都会であれば、大学生や夜の勤務をする人などがいっぱいいて、あまり違和感はないのだが、私のまわりは老人ばかりなのである。まあ私も老人なのだがね。
さて、今日はその週休日を利用して、N東に行った。やはり私にとっては、とても居心地の良いところである。生徒の顔を久しぶり(久しぶりと言ってもたかが二週間なのだが)に見て、教員との会話を久しぶりにして、何かほっとした気持ちになった。廊下ですれちがった生徒や教員が、最初は違和感がなかったらしく、いったん通り過ぎてから、「どうしてここにいるの?」。私にとって「違和感がないよ。」と言われることは、とても嬉しいことであった。
2012年4月14日土曜日
2012年4月13日金曜日
怒髪天
奈良に新薬師寺というお寺がある。そして、このお寺の仏像に、私の大好きな十二神将がいらっしゃる。(十二神将は本尊の仏様を守護する役目を持った仏像)この十二神将の中で、特に有名なのが所謂、怒髪天(婆娑羅大将)という仏像だ。「怒髪、天を衝く。」のあれである。髪の毛が逆立って、恐ろしい形相で、見る者をにらみつける大変迫力のある仏像である。今日、BSプレミアムの番組で、この十二神将の特集をやっていた。実に懐かしかったのであるが、一方、天井の梁にくっつけられた裸の蛍光灯が映っていて、それが妙にそぐわない蛍光灯だった。そして、「あそこにあれはないだろう。」の感が強くわき出てきた。「多少暗くてもいいから、蛍光灯だけはやめてちょうだい。」である。何年前であったか、しかとは覚えていないが、その時の印象は、薄暗いお堂の中に仏像群が浮かび上がるように立っており、それはそれはムードがあったのだ。仏像というのは、その背景とか照明も含めて仏像だと思うのだが。
なんでも幕末から明治にかけての頃、廃仏毀釈運動の影響で、この寺も荒れ果て、仏像のあるお堂が博打場となっていたそうである。十二神将の中心には本尊の仏様があって、「この仏様はどんな顔をして博打を見ていたのだろうか。」と聊か気にはなるが、こちらのほうが蛍光灯よりは、まだましだろう。
なんでも幕末から明治にかけての頃、廃仏毀釈運動の影響で、この寺も荒れ果て、仏像のあるお堂が博打場となっていたそうである。十二神将の中心には本尊の仏様があって、「この仏様はどんな顔をして博打を見ていたのだろうか。」と聊か気にはなるが、こちらのほうが蛍光灯よりは、まだましだろう。
2012年4月12日木曜日
N西レポート②
N西レポート②である。今日はテスト監督で、初めて生徒のいる教室に入った。ここでの違和感。
これは慣れてしまえば何ということはないのだが、教室に教壇がなく、フラットにに生徒と向かい合うことになる。変な話だが、教師にとって教壇はひとつの聖域であって、ここに入ったとたん、教えの神様が降臨するのである。(ホントか?)まあ、それはどうかわからんが、教壇の縁は私にとって結界にほかならないのだ。ここに踏み込むことにより「さあ授業をするぞ。」というスイッチが入るのである。やはり、これがないと、「なにも辛くないカレーであり、わさびを抜いた寿司」である。
これは慣れてしまえば何ということはないのだが、教室に教壇がなく、フラットにに生徒と向かい合うことになる。変な話だが、教師にとって教壇はひとつの聖域であって、ここに入ったとたん、教えの神様が降臨するのである。(ホントか?)まあ、それはどうかわからんが、教壇の縁は私にとって結界にほかならないのだ。ここに踏み込むことにより「さあ授業をするぞ。」というスイッチが入るのである。やはり、これがないと、「なにも辛くないカレーであり、わさびを抜いた寿司」である。
2012年4月11日水曜日
ダルビッシュもやはり人間だったか。
ダルビッシュもやはり人間だったか。今日(10日)の大リーグの試合の感想である。
先日どこかのテレビ局の特集で、ダルビッシュを取り上げていた。その番組を見た限り、なんてクレバーなピッチャーなんだろうという印象であった。すべてを理詰めで考えている。「物事にはすべて理由がある。」とはよく言われる言葉であるが、その理由を分析して、自分をステップアップさせて行くのである。勿論ステップアップをさせるためには、それに合った肉体を備えていなければならない、彼はそのための肉体改造を計画的におこなっていたのだ。こう考えると、ダルビッシュというのは本当に非の打ち所のない野球選手だと、認めるしかなかった。ところがである。鍛えてもなお鍛えきれないのが、心なのであろう。本人もインタビューで答えていたが、「心と体がバラバラであった。」ということだ。ダルビッシュもやはり人間だったのである。
先日どこかのテレビ局の特集で、ダルビッシュを取り上げていた。その番組を見た限り、なんてクレバーなピッチャーなんだろうという印象であった。すべてを理詰めで考えている。「物事にはすべて理由がある。」とはよく言われる言葉であるが、その理由を分析して、自分をステップアップさせて行くのである。勿論ステップアップをさせるためには、それに合った肉体を備えていなければならない、彼はそのための肉体改造を計画的におこなっていたのだ。こう考えると、ダルビッシュというのは本当に非の打ち所のない野球選手だと、認めるしかなかった。ところがである。鍛えてもなお鍛えきれないのが、心なのであろう。本人もインタビューで答えていたが、「心と体がバラバラであった。」ということだ。ダルビッシュもやはり人間だったのである。
2012年4月10日火曜日
N西の入学式
今日(9日)のN西は、入学式であった。以前N東でもやっていたような気がするが、午前始業式、午後入学式のパターンであった。式はスムースに進み、「おお、これは早いぞ。一時間以内で終わってしまうな。」と思った次の瞬間である。いきなり、同窓会入会式というのが始まったのだ。着物やドレスのような洋服で正装した、五十代、六十代、七十代?のおばさま達が十人前後、颯爽と入場してきて、その会はあっという間に始まり、会長挨拶、新入生の言葉と続き、なんだかわからないうちに終わっていた。「ギョギョー。」である。N東の来賓の挨拶がずいぶん多い入学式にも違和感はあったが、これはそれ以上のショックであった。入学式当日に同窓会入会式?ウーンであったが、これがN西なのだろう。
2012年4月9日月曜日
続パレルモ・シューティング
昨日に続いて、ヴィム・ヴェンダースの「パレルモ・シューティング」である。彼の表現したかったこと「デジタル」についての反発。デジタルの世界によって、多くの人が苦しんでいる「現実の喪失」また「オリジナル」と「フェイク」の差に対する疑問。
パソコンを使ってブログなるものを書いている私に、こんなことを言う資格はないのだが、確かに「デジタル」は多くの人を苦しめているケースがある。それは、年金問題で明らかになった。現実に存在していた記録がパソコンのキーひとつで変わってしまったり、失われてしまったりするのだ。あるいは、最近よく騒がれている「個人情報の流出」などもそうなのかも知れぬ。私個人の些末なことで言えば、インターネットで必要な、パスワードであるとかIDであるとか、それを忘れてしまうと、二進も三進も行かなくなることである。暗証番号さえ知っていれば、「オリジナル」と「フェイク」に差がなくなって、オレはオレであるのにオレでなくなってしまうのだ。朝の第一番目にする仕事がパソコンを立ち上げることなんて、ああ、いやじゃいやじゃ。
パソコンを使ってブログなるものを書いている私に、こんなことを言う資格はないのだが、確かに「デジタル」は多くの人を苦しめているケースがある。それは、年金問題で明らかになった。現実に存在していた記録がパソコンのキーひとつで変わってしまったり、失われてしまったりするのだ。あるいは、最近よく騒がれている「個人情報の流出」などもそうなのかも知れぬ。私個人の些末なことで言えば、インターネットで必要な、パスワードであるとかIDであるとか、それを忘れてしまうと、二進も三進も行かなくなることである。暗証番号さえ知っていれば、「オリジナル」と「フェイク」に差がなくなって、オレはオレであるのにオレでなくなってしまうのだ。朝の第一番目にする仕事がパソコンを立ち上げることなんて、ああ、いやじゃいやじゃ。
2012年4月8日日曜日
パレルモ・シューティング
ヴィム・ヴェンダースの「パレルモ・シューティング」をレンタル屋からDVDを借りて来て観た。ヴェンダースは私の好きな映画監督の一人で、有名な作品としては「パリ・テキサス」とか「ベルリン天使の歌」などがある。今回も「監督借り」であったが、やはりヴェンダースは裏切らなかった。なんと言ってもワンシーン、ワンシーンのカットが美しいのだ。どのシーンをとっても絵になるカットなのである。ストーリーは、売れっ子のドイツ人写真家が死に神と出会うことを中心に展開する。すべてにおいて満たされている彼が興味を持ったイタリアのシチリア島にあるパレルモに出かける。そこでは死に神に命をねらわれたり、イタリア人の美女と巡り会ったり、いろいろな事件が起こるといった案配だ。愛・生・死といった言葉がテーマになっているのだが、「デジタルは実在を保証しない。好き勝手に手を加えられる。すべてが混乱し、いい加減なものになり本質は失われる。」と言う死に神役のデニス・ホッパーがたまらない。デニス・ホッパーと言えば「イージー・ライダー」で一躍有名になった役者だが、死に神役で、実にいい味を出している。この作品出演後、彼は亡くなってしまったが素晴らしい役者であることはまちがいない。他にも妊娠中のミラ・ジョボビッチが、そのままモデルとしてのミラ・ジョボビッチで出演しているし、ルー・リードというロック・シンガーが音楽を担当したりしている。時間があれば是非観て欲しい作品だ。
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